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第2章

葛藤

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ユナが明るさを取り戻したことだけが、唯一の救いだった。声が出ないと聞いたときには、何故気づかなかったかと自分の愚鈍さを呪った。口を利きたくないほどに嫌われているのだと自分のことしか考えていなかったのだ。

例え嫌われていたとしてもそんな真似は彼女らしくないと、どうして思い至らなかったのか。結局自分は誰かを好きになってはいけなかったのだろう。愛しく想っていても大切にすることなどできず、傷つけ悲しませている。そしてとうとう彼女の声まで奪ってしまった。

ユナのことを想っているなら手放すべきなのだろう、何度そう思っただろうか。彼女を目にするとたちまち失せてしまうのに、その考えが頭の片隅にこびりついて離れない。
繋ぎ止めたいという思いと手放さなくてはという思いがせめぎ合っている。そんな状態で彼女に触れてしまえば、理性より欲望が勝ってしまうのは目に見えている。そうすれば今度こそ間違いなく嫌われてしまう。

(ユナと出会ってから自分の行動に確信が持てない……。自分の気持ちであるのになんと厄介なことだろう)

『あなたもあの人と一緒ね!私はこんなこと望んでいなかったのに!』
遠い昔に母から投げつけられた言葉と父の行動の意味がようやく分かってきた。あの時自分は母を理解するための努力をしなかった。今更ながら、あの時の母の気持ちが少し理解できたような気がした。


『疲れているの? もし仕事が忙しいのだったら、お茶の時間を一緒に過ごせなくても大丈夫だよ』

差し出された紙を見て、何と返事をしてよいか少し迷ってしまった。書かれた言葉の意味をつい考えすぎてしまう。
本心では一緒に過ごしたくないと思っているから、このように伝えているのではないか。
ユナはそんな性格ではないと浮かんだ考えを否定しながら答える。

「…いや、大丈夫だ。少し考え事をしていただけだ」

そう答えるが、ユナはどこか困ったような顔をしている。それから何か思いついたような表情を浮かべると、立ち上がって抱きついてきた。反射的に抱きしめ返すが鎖骨の辺りに柔らかいものが当たり、慌てて意識を逸らす。

そんな心情も知らずにユナはシュルツの頭を撫でている。疲れた自分を労わってくれているのだろうが、この状態は少し困る。ユナの気持ちが整うまでは不埒な真似をしないと決めているが、愛しい女性に触れて欲を抱かないわけではない。

「……ユナ、少し離れてくれぬか」

これ以上は理性が欲望に押し流されそうになると感じてそう告げると、体を離したユナは傷ついたような表情をしていた。触れられることを嫌がっていると勘違いしたのかもしれない。そんな表情をさせたいわけではないのに、どうして上手くいかないのだろう。

「ユナ、違う。触れられたくないわけではないのだ。ただ——」
そのまま説明してもユナを困らせるだけだと気づき言葉を探す。だがそれよりもユナのほうが早かった。

『大丈夫です。邪魔してごめんなさい』
席を立つことはなかったが、ユナはサイドテーブルに置いてあった本を手に取った。怒っているわけではなく、悲しみを飲み込んだような表情はあまり良くない兆候だ。

「邪魔などと思ったことは一度もない」
弁解じみた言葉を告げれば、ユナは開きかけた本を再び再度テーブルに戻し、ペンを取る。

『考え事の最中にすることじゃなかったね。あのね、私の声が出ないからといって、シュルツが我慢する必要はないんだよ』
自分の欲望を見透かされていたのかと思わず顔を逸らしてしまったが、次の言葉に冷静になった。

『言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってほしいの』

(……どうやら早合点だったようだ)
感情が表に出ないことを今ほど感謝したことはないだろう。ユナは真剣な顔で返答を待っている。何でもないと言っても彼女は納得しないだろう。そのまま見つめあっていると、ユナが手元に視線を落とした。

『言いたくないことならもういいよ』

それだけ書いてついには席を立とうとする。すれ違ったままでは誤解を認めることになると理解していたので、腕を伸ばして引き留めようとした。だが思いのほか力が入っていたのか、ユナがバランスを崩してよろめく。咄嗟に自分の方に引き寄せて彼女を抱きとめた。

「ユナ、すまぬ。大丈夫か?」
ユナは一つ息を吐いて、こくりと頷いた。ソファーに膝立ちになっている状態のため、顔が近い。

気づけば唇を重ねていた。ユナの手が肩に触れて、ようやく我に返った。名残惜しくもあったが、自制が利くうちにと解放する。ユナは吐息を漏らすとそのままシュルツの膝の上に座りこんでしまった。

(こんなに無防備で可愛らしい姿がどれだけ煽るか自覚してないのだろうな)
消化不良な欲求を誤魔化すように、シュルツはユナに触れるだけの口づけを落とした。
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