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望みと願い
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最近苛立つことが増えた。
エーヴァルトが体調を崩さなくなったことは喜ばしい限りだったが、あいつらが我が物顔で居座り続けていることは腹立たしくてたまらないのだ。
(我が君を利用しているくせに、厚かましいにも程がある)
それでもあの方の楽しそうな表情を曇らせるのは忍びなく、結局何も出来ないまま現在に至る。以前には――自分だけが傍にいた頃には――目にすることがなかった満面の笑みに心から喜べないでいることも、不愉快な要因の一つだった。
不意にノックの音が聞こえ、訝しげな表情のままドアを開ければそこにはエーヴァルトが立っているではないか。
「我が君!……どうかなさいましたか?お呼びいただければ伺いましたものを」
「うん、ちょっとお茶でも飲みながら話がしたいと思ってね」
戸惑うベンノにエーヴァルトは両手に持ったトレイを持ち上げて微笑む。
当然自分が用意した物ではないそれは、あの聖女か人間の侍女が準備したものだろう。
領域を犯されたような不快感がじわりと滲むが、主人にそのような不満を見せるわけにはいかない。
何とか感情を宥めていると、エーヴァルトがティーカップにお茶を注いでいる。
「っ、我が君……そのようなことは私がいたします」
「大丈夫。これぐらい出来るからベンノは座っていて」
焦るベンノを意に介さずエーヴァルトは楽しそうに、だが慎重にカップを満たしていく。
(まさかあいつらは我が君にこのような雑用をさせていないだろうな)
本来なら王として君臨するほどの器であるというのに――。魔王が初代聖女と関わり始めた頃の苦い記憶が蘇り、ベンノは慌てて忌々しい思いを呑み込む。心の機微に敏感なエーヴァルトに悟られたくなかった。
「ベンノがいつも淹れてくれるお茶には敵わないけど、良かったら飲んでみて」
その言葉に少し違和感を覚えたものの、勧められるがまま茶を口に含んだ。
抽出時間が長すぎなのか、茶葉の量が多すぎるのか渋みが感じられる。とはいえエーヴァルトが手ずから注いでてくれたものだ。エーヴァルトには別のものを用意するとして、これは自分が飲んでしまおう。
そう考えていると、エーヴァルトが妙にそわそわしながらこちらの反応を窺うような眼差しを向けている。
「ベンノ、どうかな?美味しくなければ残してくれて構わないんだけど……」
「……………このお茶は、もしや我が君が?」
恐る恐る尋ねれば、エーヴァルトが含羞みながらも頷く。
「申し訳ございません!」
側にいれば気づけたことなのに、人間どもの中に混じることを厭った結果、主人に不自由な思いをさせてしまった。
「どうして謝るの?僕がベンノにお茶を淹れてあげたいと思っただけなのに」
少し困ったような笑みは見慣れたもので、言葉選びを間違えてしまったのだと分かる。それでも配下として主人に使用人の真似事をさせてしまったと忸怩たる思いに駆られてしまう。
「ごめん、困らせたね。日頃の感謝を伝えるためだったけど、あまり良いやり方ではなかった」
「感謝など、私には勿体ないお言葉です。我が君にお仕えするのは私の喜びであり――我儘のようなものですから」
人間になることを決断した魔王陛下をベンノごときが止めることなど出来るはずもなく、額づいて請うたのは、生まれ変わった陛下の傍にいるための許しだ。
どんな形であれそれが魔王であるならば、唯一の主と決めた方ならばと必死で頼み込んだ。
『お前がそれを望むなら』
僅かに見せた感情は憐憫か、それとも困惑だっただろうか。遠い記憶にある魔王の表情とエーヴァルトの寂しげな微笑みが何故か重なった。
「エリーたちが来てからベンノにはずっと負担を掛けているだろう?それに……これからはもっと人も増えることになる」
エーヴァルトが人間といることを望むのは、仕方のないことだ。
(これまで仕えた方々も皆そうだった……)
人間に厭われる存在でありながら、同族であるがゆえに憎みきれず、どれほど献身的に尽くしても最後には魔物であるベンノに嫌悪の表情を向けるようになる。
「僕はこの力がずっと怖かったし、どこかで憎んでいたんだと思う」
ぽつりと漏らした声が僅かに震えていて、ベンノがはっとして顔を上げれば、緊張した面持ちのエーヴァルトと目があった。
「両親からも拒絶されて、制御も出来ないせいで苦しい思いもたくさんしたし、いつか僕のせいで……ベンノも失ってしまうんじゃないかとずっと不安だったから」
「我が君……」
言葉を詰まらせてしまったベンノに、エーヴァルトは少しだけ表情を緩めて続けた。
「でもね、今は大切な人たちを守ることが出来ると思えるようになって受け入れられるようになったよ。制御できるようになったのもそのおかげなのかもしれないね。……エリーに将来のことを聞かれた時に告げた言葉は本心だけど、出来ることが増えて僕はもっと多くのことを望むようになってしまった」
「それは当然のことかと思います。貴方様はもっとご自分の望みを優先させて良いのですよ」
他人のことばかり気遣うから、今も聖女たちの良いように利用されているのではないかと気が気ではない。平穏に暮らすことを望むなら人間など受け入れるべきではないのだ。関わる者が増えれば、煩わしさやトラブルなども増えるだろう。
「いつか、また魔王の魂を持った子供が生まれた時に安心して暮らせる場所を作りたいんだ。その子が辛い思いをしないように、ベンノが傷つかないように」
「……私が、ですか?」
思いがけない言葉にベンノは内心首を捻る。自分と同じ境遇の子供のためにという理由は理解できるが、自分が傷つくことについて心当たりがなかった。
「ベンノは僕に優しくて甘いから聞き流してくれたんだろうけど、僕はちゃんと覚えているよ。君は僕を助けてくれたのに、最初の頃は随分と酷い態度を取ってしまった」
エーヴァルトはこれまでの主人と比べると、ほとんど我儘を言わない子供だった。魔力制御ができず苦痛に苛まれて父母を求めることはあっても理不尽な要求はなく、せいぜい素っ気ない態度を取ることがあった程度だ。罵声や暴力を振るうこともなく、静かに己の運命を受け入れ耐え忍ぶ姿を労しく思ったものだ。
「我が君に酷いことをされたことなどございません。それにもしそのようなことがあったとしても、それは私が至らなかった所為でしょう」
「でも僕が嫌なんだ。何の責任のないベンノが八つ当たりされてしまうのは理不尽だと思う。だから魔物と人間が共存できる国を築いて、魔王の力を受け継ぐ子供を国として保護できる仕組みを作りたい。それに、人間に生まれた僕はどうしてもベンノより先にいなくなってしまうけど、そんな国があれば誰かと一緒に過ごしながら次の魔王を待つことができるだろう?僕はベンノを一人にしたくないんだよ」
息が止まりそうなほどの言葉にベンノは声を発することが出来なかった。一緒に平穏に暮らしたいと望んでくれた時、人間よりも自分たちを選んでくれたのだと歓喜に震えたが、エーヴァルトはさらに多くの未来と可能性を与えようとしているのだ。
(……この方は王の器だ)
「それから僕の魔力がこの地に浸透すれば、ベンノのように人型の魔物も増えるんだよね?」
ベンノ自身も元々獣の姿をしており、一定の魔力量を蓄えることで人型の魔物になった。かつて魔王の力とそして魔王の魂を受け継ぐ者の傍にいることで、ベンノは変わらない姿を保っている。以前は多くみられた人型の魔物だが、魔王がいなくなった後は魔力量が不安定なため変化できずにいた。
溌剌とした口調で未来を語るエーヴァルトはとても充足した表情を見せている。
魔力を制御できるようになり自信が付いたことも一因だろうが、将来を見据えて物事を考えるようになったのは、間違いなくあの聖女の影響だろう。
悔しいので絶対に認めないし、口に出すことはないが――。
抱えていた苛立ちなどすっかり消え失せて、ベンノは主の言葉に耳を傾けるのだった。
エーヴァルトが体調を崩さなくなったことは喜ばしい限りだったが、あいつらが我が物顔で居座り続けていることは腹立たしくてたまらないのだ。
(我が君を利用しているくせに、厚かましいにも程がある)
それでもあの方の楽しそうな表情を曇らせるのは忍びなく、結局何も出来ないまま現在に至る。以前には――自分だけが傍にいた頃には――目にすることがなかった満面の笑みに心から喜べないでいることも、不愉快な要因の一つだった。
不意にノックの音が聞こえ、訝しげな表情のままドアを開ければそこにはエーヴァルトが立っているではないか。
「我が君!……どうかなさいましたか?お呼びいただければ伺いましたものを」
「うん、ちょっとお茶でも飲みながら話がしたいと思ってね」
戸惑うベンノにエーヴァルトは両手に持ったトレイを持ち上げて微笑む。
当然自分が用意した物ではないそれは、あの聖女か人間の侍女が準備したものだろう。
領域を犯されたような不快感がじわりと滲むが、主人にそのような不満を見せるわけにはいかない。
何とか感情を宥めていると、エーヴァルトがティーカップにお茶を注いでいる。
「っ、我が君……そのようなことは私がいたします」
「大丈夫。これぐらい出来るからベンノは座っていて」
焦るベンノを意に介さずエーヴァルトは楽しそうに、だが慎重にカップを満たしていく。
(まさかあいつらは我が君にこのような雑用をさせていないだろうな)
本来なら王として君臨するほどの器であるというのに――。魔王が初代聖女と関わり始めた頃の苦い記憶が蘇り、ベンノは慌てて忌々しい思いを呑み込む。心の機微に敏感なエーヴァルトに悟られたくなかった。
「ベンノがいつも淹れてくれるお茶には敵わないけど、良かったら飲んでみて」
その言葉に少し違和感を覚えたものの、勧められるがまま茶を口に含んだ。
抽出時間が長すぎなのか、茶葉の量が多すぎるのか渋みが感じられる。とはいえエーヴァルトが手ずから注いでてくれたものだ。エーヴァルトには別のものを用意するとして、これは自分が飲んでしまおう。
そう考えていると、エーヴァルトが妙にそわそわしながらこちらの反応を窺うような眼差しを向けている。
「ベンノ、どうかな?美味しくなければ残してくれて構わないんだけど……」
「……………このお茶は、もしや我が君が?」
恐る恐る尋ねれば、エーヴァルトが含羞みながらも頷く。
「申し訳ございません!」
側にいれば気づけたことなのに、人間どもの中に混じることを厭った結果、主人に不自由な思いをさせてしまった。
「どうして謝るの?僕がベンノにお茶を淹れてあげたいと思っただけなのに」
少し困ったような笑みは見慣れたもので、言葉選びを間違えてしまったのだと分かる。それでも配下として主人に使用人の真似事をさせてしまったと忸怩たる思いに駆られてしまう。
「ごめん、困らせたね。日頃の感謝を伝えるためだったけど、あまり良いやり方ではなかった」
「感謝など、私には勿体ないお言葉です。我が君にお仕えするのは私の喜びであり――我儘のようなものですから」
人間になることを決断した魔王陛下をベンノごときが止めることなど出来るはずもなく、額づいて請うたのは、生まれ変わった陛下の傍にいるための許しだ。
どんな形であれそれが魔王であるならば、唯一の主と決めた方ならばと必死で頼み込んだ。
『お前がそれを望むなら』
僅かに見せた感情は憐憫か、それとも困惑だっただろうか。遠い記憶にある魔王の表情とエーヴァルトの寂しげな微笑みが何故か重なった。
「エリーたちが来てからベンノにはずっと負担を掛けているだろう?それに……これからはもっと人も増えることになる」
エーヴァルトが人間といることを望むのは、仕方のないことだ。
(これまで仕えた方々も皆そうだった……)
人間に厭われる存在でありながら、同族であるがゆえに憎みきれず、どれほど献身的に尽くしても最後には魔物であるベンノに嫌悪の表情を向けるようになる。
「僕はこの力がずっと怖かったし、どこかで憎んでいたんだと思う」
ぽつりと漏らした声が僅かに震えていて、ベンノがはっとして顔を上げれば、緊張した面持ちのエーヴァルトと目があった。
「両親からも拒絶されて、制御も出来ないせいで苦しい思いもたくさんしたし、いつか僕のせいで……ベンノも失ってしまうんじゃないかとずっと不安だったから」
「我が君……」
言葉を詰まらせてしまったベンノに、エーヴァルトは少しだけ表情を緩めて続けた。
「でもね、今は大切な人たちを守ることが出来ると思えるようになって受け入れられるようになったよ。制御できるようになったのもそのおかげなのかもしれないね。……エリーに将来のことを聞かれた時に告げた言葉は本心だけど、出来ることが増えて僕はもっと多くのことを望むようになってしまった」
「それは当然のことかと思います。貴方様はもっとご自分の望みを優先させて良いのですよ」
他人のことばかり気遣うから、今も聖女たちの良いように利用されているのではないかと気が気ではない。平穏に暮らすことを望むなら人間など受け入れるべきではないのだ。関わる者が増えれば、煩わしさやトラブルなども増えるだろう。
「いつか、また魔王の魂を持った子供が生まれた時に安心して暮らせる場所を作りたいんだ。その子が辛い思いをしないように、ベンノが傷つかないように」
「……私が、ですか?」
思いがけない言葉にベンノは内心首を捻る。自分と同じ境遇の子供のためにという理由は理解できるが、自分が傷つくことについて心当たりがなかった。
「ベンノは僕に優しくて甘いから聞き流してくれたんだろうけど、僕はちゃんと覚えているよ。君は僕を助けてくれたのに、最初の頃は随分と酷い態度を取ってしまった」
エーヴァルトはこれまでの主人と比べると、ほとんど我儘を言わない子供だった。魔力制御ができず苦痛に苛まれて父母を求めることはあっても理不尽な要求はなく、せいぜい素っ気ない態度を取ることがあった程度だ。罵声や暴力を振るうこともなく、静かに己の運命を受け入れ耐え忍ぶ姿を労しく思ったものだ。
「我が君に酷いことをされたことなどございません。それにもしそのようなことがあったとしても、それは私が至らなかった所為でしょう」
「でも僕が嫌なんだ。何の責任のないベンノが八つ当たりされてしまうのは理不尽だと思う。だから魔物と人間が共存できる国を築いて、魔王の力を受け継ぐ子供を国として保護できる仕組みを作りたい。それに、人間に生まれた僕はどうしてもベンノより先にいなくなってしまうけど、そんな国があれば誰かと一緒に過ごしながら次の魔王を待つことができるだろう?僕はベンノを一人にしたくないんだよ」
息が止まりそうなほどの言葉にベンノは声を発することが出来なかった。一緒に平穏に暮らしたいと望んでくれた時、人間よりも自分たちを選んでくれたのだと歓喜に震えたが、エーヴァルトはさらに多くの未来と可能性を与えようとしているのだ。
(……この方は王の器だ)
「それから僕の魔力がこの地に浸透すれば、ベンノのように人型の魔物も増えるんだよね?」
ベンノ自身も元々獣の姿をしており、一定の魔力量を蓄えることで人型の魔物になった。かつて魔王の力とそして魔王の魂を受け継ぐ者の傍にいることで、ベンノは変わらない姿を保っている。以前は多くみられた人型の魔物だが、魔王がいなくなった後は魔力量が不安定なため変化できずにいた。
溌剌とした口調で未来を語るエーヴァルトはとても充足した表情を見せている。
魔力を制御できるようになり自信が付いたことも一因だろうが、将来を見据えて物事を考えるようになったのは、間違いなくあの聖女の影響だろう。
悔しいので絶対に認めないし、口に出すことはないが――。
抱えていた苛立ちなどすっかり消え失せて、ベンノは主の言葉に耳を傾けるのだった。
応援ありがとうございます!
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