70 / 74
周知
しおりを挟む
(……エリー、なのか?)
うなじが見えそうなほど短い髪はまるで少年のようにしか見えない。聖女であるにもかかわらず何故そのように奴隷のように髪を切り落とされているのか。
魔王に隷属させられたということなのか、とヴィクトールが信じられない思いで見つめていると、不意にその瞳が不快そうに眇められる。
「順番に治してやるから大人しく待ってろ。それよりもいつまでエルヴィーラの足を掴んでいるつもりだ」
変態なのか、と呟くエリーの声に慌てて手を離す。
「これは、違う――」
「うるさい、治療の邪魔するな」
誤解を解かねばと激痛を堪えて口を開いたのに、容赦なく拒絶される。だが真剣な表情にそれ以上言葉を重ねることは躊躇われて、ヴィクトールはその横顔を見つめることしか出来なかった。
小さな息を吐いてエリーが手を離すと、少年の瞼が震えてゆっくりと瞳を開く。
「聖女の、ねえちゃん……」
「まだ起きるな。怪我は治したが失った血液が戻るわけじゃないから、休んでおけ」
乱暴な口調だが、声には労りが満ちていて何故か胸が痛む。
ようやくこちらを向いたエリーは、ヴィクトールの横に座り込むと両手を傷口に添える。鋭い痛みと失血による震えがぴたりと止まり、湯の中を漂っているような温かさが身体の隅々に巡っていく。
(これが聖女の癒しの力……)
その心地よさを引き寄せるように思わずエリーの左手に自分の手を重ねが、振りほどかれることはなかった。ほのかな手の温もりに涙が零れ落ちそうになり、ヴィクトールは瞳を閉じて自分の不可解な感情に思いを巡らせた。
「終わりました。殿下もしばらくは安静にしておいてくださいね」
その声に瞼を開けば、疲れたようなエリーの顔が視界に映った。起き上がろうとすればくらりと視界が揺れたが、耐えられないほどではない。
「……何故、私を助けた?」
「神官長の思い通りにさせたくなかったので。――でも次はありませんよ」
その苛烈な眼差しが、冷ややかな態度が彼女の自分に対する気持ちをよく表している。例え跪いて許しを乞うてもエリーが受け入れることはないだろう。
「ああ……済まなかった」
それでも謝罪の言葉が自然と零れた。
姑息な手段で彼女を得ようとしたのに、それでもエリーは自分を癒してくれたのだ。
貴重な力を得てもそれをどう使うかは彼女自身の選択である。そして城から逃げ出したことも彼女が望み実行した結果なのだと、意志の強い瞳を見て思い知らされた。
魔王に惑わされているのだと思い込んだのは、自分自身の願望に他ならない。
(器が違うとはこういうことか)
彼女が自分に釣り合わないと父に言われ理由がようやく分かった気がした。
「反省できるのなら、やり直すこともできるでしょう。――エルヴィーラ、フリッツを運ぶのはジャンに頼もう」
聞き覚えのある名前に辺りを見渡せば、いつの間にか男が立っていた。腰の剣に手を添えていつでも対応できるように控えており、恐らくは初めからそこにいたのだろう。
するつもりはなかったが、仮にエリーの嫌がるような行為に及ぼうとしていたら助かった命を無駄にしていたかもしれない。
「エリー様、ジャン様には護衛の役割がありますからフリッツは私が背負いますわ」
「うーん、じゃあ交替しながらにする?流石に一人じゃ大変でしょ」
「わ、私が、引き受けよう」
意を決してヴィクトールが声を上げれば、二人のエリーが同時にこちらを振り向いて強張っていた顔がさらに固まった。
侍女であると分かった今でも、顔は変わらないのだからつい動揺してしまうし、あり得ないことを言ったという自覚はある。
「……俺、自分で歩けるよ」
警戒心をむき出しにした少年は自力で立ち上がろうとして、バランスを崩す。咄嗟に手を伸ばすが、傍にいたエリーが難なく受け止めていた。
行き場のない手が無性に恥ずかしい。
「休んでおけと言っただろ。っていうかやっぱり男の子だし、結構重いな。――ヴィクトール様、この子を背負ってもらってもいいですか?」
「え……ああ、いや私は構わないが……彼は、嫌なのだろう?」
助けるどころか見殺しにしようとしていたのだから、当然だろう。現に不安と嫌悪感が入り混じった表情を浮かべて首を横に振っている。エルヴィーラという名の侍女も困惑したようにエリーのほうを窺っている。
「大丈夫だ、フリッツ。背負われているんだから、マズいと思った時には首を狙えばいい。ヴィクトール様、お願いしていいですね?」
そんな不穏な言葉に早まったかと後悔しかけたが、一度口にしたことを取り消すつもりはなく頷いた。
「そのほうが王太子殿下にとっても安全でしょう」
(そういえば、聖女逃亡に手を出して騎士の資格を剥奪された騎士の名がジャンだったな)
そんなことを思い出しながらも、護衛であるジャンの言葉が引っ掛かった。
疑問に思っているのは自分だけではなく、エルヴィーラとフリッツも同様の戸惑った表情を浮かべている。
一方、ジャンとエリーは視線で何やらやり取りをしていたが、エリーがその疑問に答えてくれるまではそう時間はかからなかった。
「神官長がしたことの映像が……いや、それじゃ通じないな。えっと、簡単にいうとこの地下牢で行われていた様子が神殿の壁に映し出されていたんだ。だから神殿の関係者も街の人たちも何が起きたか知ってるんだよ」
うなじが見えそうなほど短い髪はまるで少年のようにしか見えない。聖女であるにもかかわらず何故そのように奴隷のように髪を切り落とされているのか。
魔王に隷属させられたということなのか、とヴィクトールが信じられない思いで見つめていると、不意にその瞳が不快そうに眇められる。
「順番に治してやるから大人しく待ってろ。それよりもいつまでエルヴィーラの足を掴んでいるつもりだ」
変態なのか、と呟くエリーの声に慌てて手を離す。
「これは、違う――」
「うるさい、治療の邪魔するな」
誤解を解かねばと激痛を堪えて口を開いたのに、容赦なく拒絶される。だが真剣な表情にそれ以上言葉を重ねることは躊躇われて、ヴィクトールはその横顔を見つめることしか出来なかった。
小さな息を吐いてエリーが手を離すと、少年の瞼が震えてゆっくりと瞳を開く。
「聖女の、ねえちゃん……」
「まだ起きるな。怪我は治したが失った血液が戻るわけじゃないから、休んでおけ」
乱暴な口調だが、声には労りが満ちていて何故か胸が痛む。
ようやくこちらを向いたエリーは、ヴィクトールの横に座り込むと両手を傷口に添える。鋭い痛みと失血による震えがぴたりと止まり、湯の中を漂っているような温かさが身体の隅々に巡っていく。
(これが聖女の癒しの力……)
その心地よさを引き寄せるように思わずエリーの左手に自分の手を重ねが、振りほどかれることはなかった。ほのかな手の温もりに涙が零れ落ちそうになり、ヴィクトールは瞳を閉じて自分の不可解な感情に思いを巡らせた。
「終わりました。殿下もしばらくは安静にしておいてくださいね」
その声に瞼を開けば、疲れたようなエリーの顔が視界に映った。起き上がろうとすればくらりと視界が揺れたが、耐えられないほどではない。
「……何故、私を助けた?」
「神官長の思い通りにさせたくなかったので。――でも次はありませんよ」
その苛烈な眼差しが、冷ややかな態度が彼女の自分に対する気持ちをよく表している。例え跪いて許しを乞うてもエリーが受け入れることはないだろう。
「ああ……済まなかった」
それでも謝罪の言葉が自然と零れた。
姑息な手段で彼女を得ようとしたのに、それでもエリーは自分を癒してくれたのだ。
貴重な力を得てもそれをどう使うかは彼女自身の選択である。そして城から逃げ出したことも彼女が望み実行した結果なのだと、意志の強い瞳を見て思い知らされた。
魔王に惑わされているのだと思い込んだのは、自分自身の願望に他ならない。
(器が違うとはこういうことか)
彼女が自分に釣り合わないと父に言われ理由がようやく分かった気がした。
「反省できるのなら、やり直すこともできるでしょう。――エルヴィーラ、フリッツを運ぶのはジャンに頼もう」
聞き覚えのある名前に辺りを見渡せば、いつの間にか男が立っていた。腰の剣に手を添えていつでも対応できるように控えており、恐らくは初めからそこにいたのだろう。
するつもりはなかったが、仮にエリーの嫌がるような行為に及ぼうとしていたら助かった命を無駄にしていたかもしれない。
「エリー様、ジャン様には護衛の役割がありますからフリッツは私が背負いますわ」
「うーん、じゃあ交替しながらにする?流石に一人じゃ大変でしょ」
「わ、私が、引き受けよう」
意を決してヴィクトールが声を上げれば、二人のエリーが同時にこちらを振り向いて強張っていた顔がさらに固まった。
侍女であると分かった今でも、顔は変わらないのだからつい動揺してしまうし、あり得ないことを言ったという自覚はある。
「……俺、自分で歩けるよ」
警戒心をむき出しにした少年は自力で立ち上がろうとして、バランスを崩す。咄嗟に手を伸ばすが、傍にいたエリーが難なく受け止めていた。
行き場のない手が無性に恥ずかしい。
「休んでおけと言っただろ。っていうかやっぱり男の子だし、結構重いな。――ヴィクトール様、この子を背負ってもらってもいいですか?」
「え……ああ、いや私は構わないが……彼は、嫌なのだろう?」
助けるどころか見殺しにしようとしていたのだから、当然だろう。現に不安と嫌悪感が入り混じった表情を浮かべて首を横に振っている。エルヴィーラという名の侍女も困惑したようにエリーのほうを窺っている。
「大丈夫だ、フリッツ。背負われているんだから、マズいと思った時には首を狙えばいい。ヴィクトール様、お願いしていいですね?」
そんな不穏な言葉に早まったかと後悔しかけたが、一度口にしたことを取り消すつもりはなく頷いた。
「そのほうが王太子殿下にとっても安全でしょう」
(そういえば、聖女逃亡に手を出して騎士の資格を剥奪された騎士の名がジャンだったな)
そんなことを思い出しながらも、護衛であるジャンの言葉が引っ掛かった。
疑問に思っているのは自分だけではなく、エルヴィーラとフリッツも同様の戸惑った表情を浮かべている。
一方、ジャンとエリーは視線で何やらやり取りをしていたが、エリーがその疑問に答えてくれるまではそう時間はかからなかった。
「神官長がしたことの映像が……いや、それじゃ通じないな。えっと、簡単にいうとこの地下牢で行われていた様子が神殿の壁に映し出されていたんだ。だから神殿の関係者も街の人たちも何が起きたか知ってるんだよ」
47
あなたにおすすめの小説
期限付きの聖女
波間柏
恋愛
今日は、双子の妹六花の手術の為、私は病院の服に着替えていた。妹は長く病気で辛い思いをしてきた。周囲が姉の協力をえれば可能性があると言ってもなかなか縦にふらない、人を傷つけてまでとそんな優しい妹。そんな妹の容態は悪化していき、もう今を逃せば間に合わないという段階でやっと、手術を受ける気になってくれた。
本人も承知の上でのリスクの高い手術。私は、病院の服に着替えて荷物を持ちカーテンを開けた。その時、声がした。
『全て かける 片割れ 助かる』
それが本当なら、あげる。
私は、姿なきその声にすがった。
ここに聖女はいない
こもろう
恋愛
数百年ぶりに復活した魔王を討伐するために、少数精鋭のパーティーが魔王のいる《冬夜の大陸》へと向かう。
勇者をはじめとするメンバーは皆優秀だが、聖女だけが問題児。
どうしてこんな奴がここにいる?
かなり王道ど真ん中かつ、ゆるゆるファンタジー。
私は、聖女っていう柄じゃない
波間柏
恋愛
夜勤明け、お風呂上がりに愚痴れば床が抜けた。
いや、マンションでそれはない。聖女様とか寒気がはしる呼ばれ方も気になるけど、とりあえず一番の鳥肌の元を消したい。私は、弦も矢もない弓を掴んだ。
20〜番外編としてその後が続きます。気に入って頂けましたら幸いです。
読んで下さり、ありがとうございました(*^^*)
恋愛は見ているだけで十分です
みん
恋愛
孤児院育ちのナディアは、前世の記憶を持っていた。その為、今世では恋愛なんてしない!自由に生きる!と、自立した女魔道士の路を歩む為に頑張っている。
そんな日々を送っていたが、また、前世と同じような事が繰り返されそうになり……。
色んな意味で、“じゃない方”なお話です。
“恋愛は、見ているだけで十分よ”と思うナディア。“勿論、溺愛なんて要りませんよ?”
今世のナディアは、一体どうなる??
第一章は、ナディアの前世の話で、少しシリアスになります。
❋相変わらずの、ゆるふわ設定です。
❋主人公以外の視点もあります。
❋気を付けてはいますが、誤字脱字が多いかもしれません。すみません。
❋メンタルも、相変わらず豆腐並みなので、緩い気持ちで読んでいただけると幸いです。
聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件
バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。
そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。
志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。
そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。
「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」
「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」
「お…重い……」
「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」
「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」
過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。
二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。
全31話
【完結】聖女召喚に巻き込まれたバリキャリですが、追い出されそうになったのでお金と魔獣をもらって出て行きます!
チャらら森山
恋愛
二十七歳バリバリキャリアウーマンの鎌本博美(かまもとひろみ)が、交差点で後ろから背中を押された。死んだと思った博美だが、突如、異世界へ召喚される。召喚された博美が発した言葉を誤解したハロルド王子の前に、もうひとりの女性が現れた。博美の方が、聖女召喚に巻き込まれた一般人だと決めつけ、追い出されそうになる。しかし、バリキャリの博美は、そのまま追い出されることを拒否し、彼らに慰謝料を要求する。
お金を受け取るまで、博美は屋敷で暮らすことになり、数々の騒動に巻き込まれながら地下で暮らす魔獣と交流を深めていく。
【完結】さようなら。毒親と毒姉に利用され、虐げられる人生はもう御免です 〜復讐として隣国の王家に嫁いだら、婚約者に溺愛されました〜
ゆうき
恋愛
父の一夜の過ちによって生を受け、聖女の力を持って生まれてしまったことで、姉に聖女の力を持って生まれてくることを望んでいた家族に虐げられて生きてきた王女セリアは、隣国との戦争を再び引き起こした大罪人として、処刑されてしまった。
しかし、それは現実で起こったことではなく、聖女の力による予知の力で見た、自分の破滅の未来だった。
生まれて初めてみた、自分の予知。しかも、予知を見てしまうと、もうその人の不幸は、内容が変えられても、不幸が起こることは変えられない。
それでも、このまま何もしなければ、身に覚えのないことで処刑されてしまう。日頃から、戦争で亡くなった母の元に早く行きたいと思っていたセリアだが、いざ破滅の未来を見たら、そんなのはまっぴら御免だと強く感じた。
幼い頃は、白馬に乗った王子様が助けに来てくれると夢見ていたが、未来は自分で勝ち取るものだと考えたセリアは、一つの疑問を口にする。
「……そもそも、どうして私がこんな仕打ちを受けなくちゃいけないの?」
初めて前向きになったセリアに浮かんだのは、疑問と――恨み。その瞬間、セリアは心に誓った。自分を虐げてきた家族と、母を奪った戦争の元凶である、隣国に復讐をしようと。
そんな彼女にとある情報が舞い込む。長年戦争をしていた隣国の王家が、友好の証として、王子の婚約者を探していると。
これは復讐に使えると思ったセリアは、その婚約者に立候補しようとするが……この時のセリアはまだ知らない。復讐をしようとしている隣国の王子が、運命の相手だということを。そして、彼に溺愛される未来が待っていることも。
これは、復讐を決意した一人の少女が、復讐と運命の相手との出会いを経て、幸せに至るまでの物語。
☆既に全話執筆、予約投稿済みです☆
助けた青年は私から全てを奪った隣国の王族でした
Karamimi
恋愛
15歳のフローラは、ドミスティナ王国で平和に暮らしていた。そんなフローラは元公爵令嬢。
約9年半前、フェザー公爵に嵌められ国家反逆罪で家族ともども捕まったフローラ。
必死に無実を訴えるフローラの父親だったが、国王はフローラの父親の言葉を一切聞き入れず、両親と兄を処刑。フローラと2歳年上の姉は、国外追放になった。身一つで放り出された幼い姉妹。特に体の弱かった姉は、寒さと飢えに耐えられず命を落とす。
そんな中1人生き残ったフローラは、運よく近くに住む女性の助けを受け、何とか平民として生活していた。
そんなある日、大けがを負った青年を森の中で見つけたフローラ。家に連れて帰りすぐに医者に診せたおかげで、青年は一命を取り留めたのだが…
「どうして俺を助けた!俺はあの場で死にたかったのに!」
そうフローラを怒鳴りつける青年。そんな青年にフローラは
「あなた様がどんな辛い目に合ったのかは分かりません。でも、せっかく助かったこの命、無駄にしてはいけません!」
そう伝え、大けがをしている青年を献身的に看護するのだった。一緒に生活する中で、いつしか2人の間に、恋心が芽生え始めるのだが…
甘く切ない異世界ラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる