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第31話 第六回戦・3

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 京平はただ眺めていた。
 沈黙を。
 
 奈々を運んでいた京平は、第五回戦において目立ってはいた。
 しかし同時に、奈々を崇め奉る高校生たちも目立っていた。
 結果、京平は奈々を崇め奉る有象無象の一人で、たまたま奈々の足に選ばれた凡人と解釈され、周囲の記憶から消えていた。
 
 それは京平にとって、「こいつが神様だ」と指名されない幸運だった。
 
 第五回戦までで目立った代表者たちは、軒並み指名され、死に終えた。
 残るのは、参加者に紛れ込んで沈黙を続ける代表者たちと、騒ぎ立てる代表者以外の高校生たち。
 
「くそぉ! 早く名乗り出ろよ!」
 
 ゲーム開始から三十分、
 状況は、完全に沈黙していた。
 名乗り出る代表者はいない。
 誰も名乗り出ない以上、高校生たちは『神様当てゲーム』の名前通り、神様である代表者を探さなければならない。
 面識のない万人の中から。
 それは、余りにも無謀なことだ。
 
 同時に、神様の指名にリスクがない以上、確実に代表者を見つけられる容易なゲームとも言える。
 自分以外の誰かを指名し続ければ、いつかは代表者に辿り着くのだから。
 理論上は。
 しかし、理論通りに実行できない。
 一度でも外せば、無実の人間を殺したという暗黙の罪で、自身が指名され、殺される。
 その可能性が、ゲームの難易度を一気に引き上げる。
 
 京平は、理解した。
 神様当てゲームは、参加者が神様を殺すゲームではなく、神様が自分の死か他人の死かを選ぶことができるゲームだと。
 
「は……ははは……」
 
「京平?」
 
 ふいに笑い声が漏れる京平を、青澄は不思議そうな目で見た。
 
「どうすればいいんだ、これ」
 
「そ、そうよね。こんなたくさんの人の中から、神様なんて見つかるはずが」
 
 青澄は、京平に期待していた。
 過去のゲーム同様、機転を利かせ、青澄では思いつかない方法で神様を見つけ出してくれるのではないかという期待を。
 しかし、京平の一言で、京平でさえ無理なのかと言う絶望に襲われた。
 だから、青澄には祈ることしかできない。
 青澄でも、京平でもない誰かが、神様を見つけてくれることを。
 あるいは、神様が自分の意思で名乗り出てくれることを。
 祈るしかできなかった。
 
 生と死が定まらない感情の中、青澄は京平の手を握る。
 生きるにせよ死ぬにせよ、京平と共にありたいという、小さく大きな願望だ。
 
 対して、京平は何も考えていなかった。
 京平が生きるか、青澄が生きるか、どちらを選んでも絶望的な結末しか迎えない現実を前に、青澄と萌音の姿が重なった。
 京平の脳が現実の受け入れを拒絶し始め、現実が入っていただろう空っぽとなった部分に、過去の記憶が逆流してくる。
 
 退屈な過去が。
 
 
 
 
 
 
 ――あ、京平おはよーう!
 
 現実を見失った京平の隣には、幻の萌音が立っていた。
 萌音は生きていた時と同じように、上目遣いで京平を見る。
 
 ――どうしたの? なんか恐い顔してない?
 
 ――いや、なんでもないんだ。
 
 ――そっか! ならいいんだけど!
 
 いつも通りの登校。
 いつも通りの授業。
 いつも通りの雑談。
 京平の視界に広がる日常は、始業時間を過ぎてもなお、続いていた。
 
 すかい君なんてやってこない。
 担任の教師の頭部が破裂なんてしない。
 
 ――じゃあ、授業を始めるぞー。
 
 退屈で面倒でありきたりな一日が、ただ始まる。
 
 
 
 ――じゃあ、今日の授業はここまで。来月のテストに向けて、しっかり復讐するようにー。
 
 ――来月って、まだまだ先じゃないですかー。
 
 ――そう思ってると、いつの間にかテスト週間になってんだよ。
 
 一か月後に控えたテストは、生徒たちにとってどこか遠い未来の話。
 面倒だなあ、なんて愚痴を零しながら、明日の予定を考える。
 
 ――来月とか、まだまだ先だよなー。
 
 京平にとって、一か月後は遠い未来だ。
 
 ――そんなこと言って、いつもテストギリギリに焦ってるじゃない。
 
 が、萌音は知っている。
 京平にとって一か月と言う時間は、テストをこなす学力を得るために全然足りないと言うことを。
 萌音は、京平の背中をバンッと叩く。
 
 ――同じ大学行くんでしょ? 今日は今からテスト勉強!
 
 ――今から!? なんで!?
 
 ――なんとなく!
 
 萌音と京平は、仲良く京平の家へと帰る。
 他人の家だというのに、インターフォンも鳴らさずに萌音が入る。
 
 ――お邪魔しまーす!
 
 ――あら萌音ちゃん、いらっしゃい。今日はどうしたの?
 
 ――京平に、勉強を教えに来ました!
 
 ――あらあ、助かるわ。この子、自分一人じゃ勉強なんてしないから。
 
 ――母さん!
 
 京平は素早く靴を脱ぎ、自身の母親と談笑を始めようとする萌音の背中を押して、京平の部屋へと連れていく。
 
 ――後で、お菓子とジュース持って行くからねー。
 
 母親の声を聞こえないふりして、京平は部屋の扉を力いっぱい閉める。
 
 ――あーあ、おばさんと話したかったのにー。
 
 ――本題を忘れるな! 俺の勉強だろ!
 
 ――そうでした。
 
 全部全部、萌音の掌の上だ。
 京平の母親に話しかけることを、京平は嫌がる。
 だから、なんとか萌音と母親の会話を終わらせようと、萌音の意識を逸らすため、本題の勉強を京平は自発的に提案してくる。
 自発的な勉強の方が、理解も高くなる。
 萌音は、京平の動かし方を熟知していた。
 
 ――じゃ、やろうか!
 
 カリカリカリ。
 
 カリカリカリ。
 
 京平の部屋の中に、萌音と京平のシャープペンシルの音だけが響く。
 萌音といる時、京平は真面目だ。
 萌音にいいところを見せたいという欲望と、真面目に勉強する限りはいつまでも萌音がいてくれるという欲望。
 二つの欲望が、京平の行動を決定づける。
 
 ――うーん。
 
 ――どうしたの? どっかわからない?
 
 ――えっと、ここなんだけど。
 
 ――そこはね、この公式を使ってー。
 
 京平にとって、幸せな時間だ。
 明日も明後日もその先も、ずっとこんな時間が続いてくれればいいと願うほどに。
 
 ――おやつよー。
 
 ――わ、おばさんありがとうございます! 休憩しよっか?
 
 母親の手作りクッキーと果汁百パーセントのオレンジジュースが、さっきまで勉強に使っていたローテーブルに並べられる。
 母親は空気を読んで、おやつを出し終えるとすぐに退室する。
 京平と萌音は向かい合って座り、クッキーを頬張っていく。
 
 ――美味しいー! おばさんのクッキーはいつ食べても美味しいよねー!
 
 ――俺は、食べ飽きたけどな。
 
 ――すぐそういうこと言うー。
 
 ――どうせ、明日も食べるし。
 
 ――当たり前の物が、いつまでも当たり前にあると思っちゃ駄目!
 
 ――え?
 
 ――いつ、何が起こるか、わかんないんだからね?
 
 京平の胸が、ずきりと痛む。
 痛みの理由が、京平にはわからない。
 しかし、萌音の言葉に起因しているのは確かだ。
 
 当たり前。
 
 京平の胸が、いっそう痛む。
 痛みの理由が、京平にはわからない。
 しかし、萌音の言葉に起因しているのは確かだ。
 
 京平がクッキーを食べる手を止めて萌音を見れば、萌音は口を大きく開けた状態で動きを止めた。
 
 ――なに?
 
 ――いや、なんでもない。
 
 京平は、胸の痛みはたくさん勉強をして、たくさん知識を詰め込みすぎて、体が驚いたのだろうと解釈した。
 そのうち収まるだろうと放置し、手を再び動かしてクッキーを食べる。
 
 いつも通りに振舞う京平を見て、萌音は自分の口の中にクッキーを放り込んだ。
 
 ――美味しー!
 
 ズキン。
 
 ズキン。
 
 ズキン。
 
 ――何か、忘れているような。
 
 まるで体の中からノックされているような感覚に、京平は首を傾げた。
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