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田丸雅智さんのショートショート講座提出作品(400字超)
大自然
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ああ、空気が美味しい。
俺は深呼吸して、規則正しく並んだ樹々の翠が作り出す天井画をおおぉーきく仰いだ。
「重井沢の別荘に招待してやる」
同僚のEにそう言われて、俺は言われた場所にやって来ていた。
見渡せば、隆々とした焦茶色の樹のどの枝先からも、翠色のステンドグラスがぶら下がっている。それらが風に吹かれてカシャンカシャンと儚い音を立て、透き通る木漏れ日がその度に翠の色を際立たせる。
「あっ、お待たせ!今から案内する」
振り向くとEが走って来るのが見えた。俺はすかさず彼に笑いかけた。
「やっぱり高原だから涼しいんだな」
俺はEの後ろできょろきょろ辺りを見回し言った。歩みを進める度、足下では黄緑色のステンドグラスが割れてシャンッシャンッと音を立てる。長ズボンを履いては来たが、裾と靴下の間に覗く素足にステンドグラスが触れて、少し痛い。ステンドグラスの先に付いた露も足にかかるが、その感触は割と慣れている。
先程の森の樹々より濃い緑色の山体が、遠くまでどこまでもどこまでも連なっており、それを白い霧が所々覆い隠している。
むわっとした湿った空気が、半袖から覗く俺の腕を撫でつけていく。寒さで俺の体は身震いした。
「ここへ来れば正真正銘、自然溢れる生活ってのが堪能できるからね」
Eはそう言って誇らしげな顔をした。
空には豆電球が1つ、浮かんでいる。いや、実際には豆電球ではなくもっと巨大な電球なのだが、ずっと遠くにあるため小さく見えるのである。
俺は燦々と光る電球を仰いで、眩しさから思わず右手を翳した。霧が晴れてきているようだった。
霧を吹き飛ばしていたのは、近くの森から発生している風だったようだ。
その森の圧倒的に巨大な木々はしかし平面的で、軸となる黒くて背の高い幹から細い枝が分かれて横に広がっている。その枝の隙間を埋める様に、1枚の巨きな赤い葉が幹の枝分かれ部分から生えて、それぞれの枝の裏側とくっついている。早い話が、赤い地紙を張った黒い団扇に見えた。
木々は初めは1本1本、ざわ、ざわわわ、と揺れ出すのだが、次第に全ての木が同じ仕方で揺れる様になり、3分も経たない内に動きが揃って大風を起こす。
「早く別荘へ行こう。雲行きが怪しい」
Eが言い、俺達は先を急いだ。
暫くするとEの別荘が見えてきたが、悪い事も一緒にやって来た。
空にぎっしりとした綿が集まってきて、それらが凝縮し始めたのだ。
他の綿に圧迫された綿は自らが含む水分を地上に落とし、またそれは圧迫した方の綿も同じだった。
綿達は忽ち空を覆い尽くし、俺達は降り注ぐ水でずぶ濡れになった。
「急ぐぞ!」
Eが前を見たまま叫んだ。
俺は上着を脱いで、頭に被って駆け出した。
別荘に着いた俺がシャワーを借りた後リビングに戻って来ると、Eの足下に何やら太いビビッドピンクの竹筒があった。
「ありがとう、助かったよ」
「いやー、すげえ雨だなー…。そうだそうだ、早く乾かさないと」
答えながらEは竹筒を掴むと、その切り口をびしょびしょの俺の上着に向けた。
途端、ブオー…と竹筒から低い音が鳴り始め、Eは竹筒を持つ手を小刻みに左右に振り始めた。
「すげぇ…」
「これはドライヤーっていう植物でね。水分が近くにあると筒の中の空気に熱を伝えて温風を吹き出すんだよ。この服もすぐに乾くさ」
Eの言葉に、俺は礼を言う事も忘れて感嘆していた。
その後はEと談笑し、あっという間に夕食の時間になった。
「今日はお前の為にとっておきの食事を用意したからな」
得意顔でEが持ってきたのは、ここ重井沢産の天然素材を使った3皿の料理だった。
1皿目はビニール袋のソテーと硯のステーキだった。
ビニール袋は重井沢に自生している野菜であり、ハンカチノキの苞の様に木にぶら下がった葉が地面に落下しているところを拾って食べるのである。
硯は河原などで採れる大きいものが料理に最適だと聞いた事がある。綺麗な長方形のものはなかなか見つからないはずだが、Eが用意してくれたのはかなり大きく形の整ったものだった。上に乗っている黄色い小さな正方形のものは硯の脂を加工して作った食品で、大きな硯を食べる時に塗るのだ。
2皿目に乗っていたのは紫色のイルミネーションだった。網棚に捻れて巻きついた透明の蔓を切り取り、そこになる大玉の実をもぎ取って食べる。紫色の実は3秒かけての明滅を白い皿の上で繰り返している。
3皿目には切り出したプリンが振舞われた。森でプリンの木を切り倒し、その切り株を皿に載せてくれたのだ。断面は甘そうなカラメル色で、側面の樹皮の肌色に自然の優しさを感じた。
Eの料理を完食して、俺はお腹も心も満たされた。
「ああ、お前はこんなものを毎日食べられるなんて、幸せだなぁ」
俺が言ってやると、Eは笑った。
「毎日じゃないよ。別荘に来てる間だけだ。ここにいると、人間社会の喧騒から逃れて、自然に還れる気がするよなぁ」
俺が羨んでいることを知っていて、こういう事を言う。俺はEを小さく睨んで、しかし本当に羨ましいので余計に大袈裟に溜息をついてしまった。
「おいおいなんだよ。そんなに溜息ついてぇ。大丈夫。俺もこの1週間の夏休みが終われば、またお前達と同じ世界に戻ってくるからさ」
ああ、なんて味気ない世界。俺はこれから帰らねばならない日常の風景を思い出して、益々憂鬱になった。
忙しなく冷たいコンクリートジャングルだけじゃない。
街路樹の先にはつまらない手の平形や流線形の葉が不規則に付き、芝生はただ無神経にピンピン草が伸びてぐっしょりとだらしない。
太陽という名の馬鹿でかい人工恒星がぎんぎんと容赦無く照りつける。
ウチワノキがあるのではなく、樹木が団扇に加工される。
雲と雨が絶えず制御されながら見境なく循環する。
竹林と呼ばれる模造装飾が和食料理屋の外観を取り繕う。
レタスという組換え野菜は地べたにくっ付いて厚かましく葉と葉を寄せ合う。
クローンの家畜を殺して肉を食い、バターを造る。
研究所で開発された葡萄という果物は、紫色の衣装の下に黄緑色の本性をひた隠している。
どの樹木の切り株からも、プリンを作る事は出来ない。
なんて美しくない世界だろう。
俺は別荘の窓から外を眺めた。
夜空に散らばった無数のビーズが瞬いている。
それはさながら、都会では見えない銀河の星々の様だった。
俺は深呼吸して、規則正しく並んだ樹々の翠が作り出す天井画をおおぉーきく仰いだ。
「重井沢の別荘に招待してやる」
同僚のEにそう言われて、俺は言われた場所にやって来ていた。
見渡せば、隆々とした焦茶色の樹のどの枝先からも、翠色のステンドグラスがぶら下がっている。それらが風に吹かれてカシャンカシャンと儚い音を立て、透き通る木漏れ日がその度に翠の色を際立たせる。
「あっ、お待たせ!今から案内する」
振り向くとEが走って来るのが見えた。俺はすかさず彼に笑いかけた。
「やっぱり高原だから涼しいんだな」
俺はEの後ろできょろきょろ辺りを見回し言った。歩みを進める度、足下では黄緑色のステンドグラスが割れてシャンッシャンッと音を立てる。長ズボンを履いては来たが、裾と靴下の間に覗く素足にステンドグラスが触れて、少し痛い。ステンドグラスの先に付いた露も足にかかるが、その感触は割と慣れている。
先程の森の樹々より濃い緑色の山体が、遠くまでどこまでもどこまでも連なっており、それを白い霧が所々覆い隠している。
むわっとした湿った空気が、半袖から覗く俺の腕を撫でつけていく。寒さで俺の体は身震いした。
「ここへ来れば正真正銘、自然溢れる生活ってのが堪能できるからね」
Eはそう言って誇らしげな顔をした。
空には豆電球が1つ、浮かんでいる。いや、実際には豆電球ではなくもっと巨大な電球なのだが、ずっと遠くにあるため小さく見えるのである。
俺は燦々と光る電球を仰いで、眩しさから思わず右手を翳した。霧が晴れてきているようだった。
霧を吹き飛ばしていたのは、近くの森から発生している風だったようだ。
その森の圧倒的に巨大な木々はしかし平面的で、軸となる黒くて背の高い幹から細い枝が分かれて横に広がっている。その枝の隙間を埋める様に、1枚の巨きな赤い葉が幹の枝分かれ部分から生えて、それぞれの枝の裏側とくっついている。早い話が、赤い地紙を張った黒い団扇に見えた。
木々は初めは1本1本、ざわ、ざわわわ、と揺れ出すのだが、次第に全ての木が同じ仕方で揺れる様になり、3分も経たない内に動きが揃って大風を起こす。
「早く別荘へ行こう。雲行きが怪しい」
Eが言い、俺達は先を急いだ。
暫くするとEの別荘が見えてきたが、悪い事も一緒にやって来た。
空にぎっしりとした綿が集まってきて、それらが凝縮し始めたのだ。
他の綿に圧迫された綿は自らが含む水分を地上に落とし、またそれは圧迫した方の綿も同じだった。
綿達は忽ち空を覆い尽くし、俺達は降り注ぐ水でずぶ濡れになった。
「急ぐぞ!」
Eが前を見たまま叫んだ。
俺は上着を脱いで、頭に被って駆け出した。
別荘に着いた俺がシャワーを借りた後リビングに戻って来ると、Eの足下に何やら太いビビッドピンクの竹筒があった。
「ありがとう、助かったよ」
「いやー、すげえ雨だなー…。そうだそうだ、早く乾かさないと」
答えながらEは竹筒を掴むと、その切り口をびしょびしょの俺の上着に向けた。
途端、ブオー…と竹筒から低い音が鳴り始め、Eは竹筒を持つ手を小刻みに左右に振り始めた。
「すげぇ…」
「これはドライヤーっていう植物でね。水分が近くにあると筒の中の空気に熱を伝えて温風を吹き出すんだよ。この服もすぐに乾くさ」
Eの言葉に、俺は礼を言う事も忘れて感嘆していた。
その後はEと談笑し、あっという間に夕食の時間になった。
「今日はお前の為にとっておきの食事を用意したからな」
得意顔でEが持ってきたのは、ここ重井沢産の天然素材を使った3皿の料理だった。
1皿目はビニール袋のソテーと硯のステーキだった。
ビニール袋は重井沢に自生している野菜であり、ハンカチノキの苞の様に木にぶら下がった葉が地面に落下しているところを拾って食べるのである。
硯は河原などで採れる大きいものが料理に最適だと聞いた事がある。綺麗な長方形のものはなかなか見つからないはずだが、Eが用意してくれたのはかなり大きく形の整ったものだった。上に乗っている黄色い小さな正方形のものは硯の脂を加工して作った食品で、大きな硯を食べる時に塗るのだ。
2皿目に乗っていたのは紫色のイルミネーションだった。網棚に捻れて巻きついた透明の蔓を切り取り、そこになる大玉の実をもぎ取って食べる。紫色の実は3秒かけての明滅を白い皿の上で繰り返している。
3皿目には切り出したプリンが振舞われた。森でプリンの木を切り倒し、その切り株を皿に載せてくれたのだ。断面は甘そうなカラメル色で、側面の樹皮の肌色に自然の優しさを感じた。
Eの料理を完食して、俺はお腹も心も満たされた。
「ああ、お前はこんなものを毎日食べられるなんて、幸せだなぁ」
俺が言ってやると、Eは笑った。
「毎日じゃないよ。別荘に来てる間だけだ。ここにいると、人間社会の喧騒から逃れて、自然に還れる気がするよなぁ」
俺が羨んでいることを知っていて、こういう事を言う。俺はEを小さく睨んで、しかし本当に羨ましいので余計に大袈裟に溜息をついてしまった。
「おいおいなんだよ。そんなに溜息ついてぇ。大丈夫。俺もこの1週間の夏休みが終われば、またお前達と同じ世界に戻ってくるからさ」
ああ、なんて味気ない世界。俺はこれから帰らねばならない日常の風景を思い出して、益々憂鬱になった。
忙しなく冷たいコンクリートジャングルだけじゃない。
街路樹の先にはつまらない手の平形や流線形の葉が不規則に付き、芝生はただ無神経にピンピン草が伸びてぐっしょりとだらしない。
太陽という名の馬鹿でかい人工恒星がぎんぎんと容赦無く照りつける。
ウチワノキがあるのではなく、樹木が団扇に加工される。
雲と雨が絶えず制御されながら見境なく循環する。
竹林と呼ばれる模造装飾が和食料理屋の外観を取り繕う。
レタスという組換え野菜は地べたにくっ付いて厚かましく葉と葉を寄せ合う。
クローンの家畜を殺して肉を食い、バターを造る。
研究所で開発された葡萄という果物は、紫色の衣装の下に黄緑色の本性をひた隠している。
どの樹木の切り株からも、プリンを作る事は出来ない。
なんて美しくない世界だろう。
俺は別荘の窓から外を眺めた。
夜空に散らばった無数のビーズが瞬いている。
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