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第2章 悲劇の予兆
こうもりエレベーター
しおりを挟むヒクシマヤ本社の会議室で、部長のコトハラさんと十数名の社員がコの字型に並んで黙り込んでいる。
「えー、どなたかいらっしゃいませんか。」
会議室には何とも陰鬱な空気が漂っていた。ある者は何度もため息を吐き、ある者は目尻をいじり、ある者は盛んに貧乏ゆすりをしている。無意味だとは承知の上、コトハラさんはもう一度他の社員たちを見渡した。
事の発端は1週間前に居須崎支店のインフォメーションセンターにかかってきた電話だった。
「あのー、おたくのデパートなんですけどね、あたし昨日そちらを利用した者なんですけど、閉店間際に『蛍の光』流れて急いでエレベーターに乗ったら、下押したはずなのになぜか上行っちゃったんですよー。あたし焦って1階のボタン押しまくったら途中で止まっちゃって。それで非常ベルっていうんですか?あの受話器のマークのボタン押して、それでも繋がらなくて、しばらくしてからやっと降り始めて、そしたら1階に着いたの乗ってから5分経ってたんですよ。ええ、ちゃんと下行きのエレベーター乗りましたよ。それに途中で止まって表示も消えるっておかしいですよねえ。一緒に乗ってた人?いなかったんですよー。でもあれ変ですよ。絶対機械故障してますって。え?名前?いいですけど、大したもの買ってませんし、閉店間際に帰った証明とかにはなりませんけど。」
それから同じような話が居須崎支店の従業員から聞かれるようになった。
「遅くまで残ってたら、もうお客もとっくに帰った後なのにエレベーターの音がチンチンチンチンうるさくって、何だったんだありゃ。」
「わたしがご案内している時にも、一回調子が悪かったことがありました。」
「早朝に閉じ込められたことがあったなぁ。確かにあの時もエマージェンシーコールが繋がらなかった。」
「最近、警備中に勝手にエレベーターの4号機が作動することがあるんですよ。まだ人いるのかなーって下降りてみたら、誰もいない。そこの4号機の階数表示見てみたら、ずーっと上がってって僕のいた階も通り越して、最上階でもランプが止まらなくて、ったらそこのランプも消えて、元通りになるんです。」
このような証言が相次いだことにより居須崎支店では4号機の点検が行われたが、特に異常な箇所は発見されなかった。しかしその後も警備員からエレベーターの誤作動の報告があったため、この件は本社にも伝えられることとなった。
「え?それはつまり、原因不明ってことですか?」
「そういうことらしい。」
「確か居須崎支店って半ば事故物件みたいなとこじゃなかったっけ。」
「黒い噂のあった豪邸を建て替えて出来たって聞いたぞ。」
「部長。それで、我々はどうすれば…。」
「あ、うん。それでですね、まぁ我々本社も何の対策も取らない訳にはいかずですね。…えー、本社の中から1人、居須崎支店に調査に行く者を出すべきだと…。」
「えーっ!!」
「そんなのハハッ、お客様の冗談に決まってるだろーハハッ。」
「いえあの決して強制という訳ではなくてですね、そのー、そういう方がいらっしゃれば是非来てもらいたいというまぁ希望があったと受け止めて頂ければ…。」
会議開始から30分。会議のための会議よりも不毛な時間が流れて行く中、コトハラさんは諦めて立ち上がった。
「分かりました。それでは私が行くことと致しましょう。皆さん、宜しいですか。」
社員たちの顔に安堵と疲労の表情がどっと浮かんだ。
その日の夜、コトハラさんは居須崎支店4号機エレベーターの前に立っていた。人望のないために他の社員にこの面倒な案件を押し付けられなかったことを心底憾みつつ、コトハラさんはカバンの中からホチキス留めされた書類の束を取り出した。証言によると、不可解な誤作動の発生時間帯は深夜12:00前後だという。腕時計の針はあと少しでエレベーターを指して重なり合うところだった。
深夜12:00。コトハラさんはエレベーターの上にある階数表示のランプを確認した。すると、それは2階、3階と通り過ぎて、コトハラさんのいる4階に近づいているではないか。エレベーターはいつも通り、閉店後は作動しないようにしている。ガーアッと音がして、それからランプは4階で止まった。
「……。」
コトハラさんは固唾を飲んで目の前のエレベーターの扉を凝視した。
「チン」
ガーッと、ゆっくり扉が開いた。エレベーター内の電気は消えていた。
「………。」
コトハラさんは、その中に1歩踏み込んだ。
生きた心地がしないままエレベーター内に入ったその直後、扉は音もなくさーっと閉まった。
「……?」
コトハラさんは驚いて後ろを振り返ったが、そこはもう真っ暗な闇の筺と化していた。上方にオレンジ色に光る「4」がぼうっと浮かんでいた。
コトハラさんは右前方を手探って、階数ボタンを見つけた。
ガタン!
途端、音がしてエレベーターが大きく揺れた。
「ブー」
ブザー音が鳴って、それからエレベーターは突然上昇し始めた。
「えっ、えっ、おい!開けてくれ!誰か!おい!」
コトハラさんはボタンをめちゃくちゃに押したが、エマージェンシーコールはおろか、どれ1つとして点かなかった。エレベーターはそのまま上昇を続け、8階、9、10、11、12…そして最上階の12階を通り越して、階数表示はどんどん右へと移動していった。 暗闇に浮かぶオレンジ色の光は遠く見えなくなってしまい、かと思うとこちらへ向かってきてコトハラさんの頭上を通過していった。オレンジ色の光は横長の塊になってぐるんぐるんと8の字を書きながら底知れない闇の中を飛び回る。そしてカウントアップしていったその表示が1000になった時、
「チン」
と音がして、扉が開いた。
外は、一面水色の空間だった。しかしそれは水色の水彩絵の具をかき混ぜたような気味の悪いものだった。コトハラさんはエレベーターからその空間へと降り立つ。見回すと、辺りには太陽のオレンジ色をした様々な立体図形が浮遊していた。コトハラさんはそのうちの自分の近くに来た1つを触ろうとしたが、3D映画を観ているかのように、それに触った感覚が感じられなかった。奥に進んで行くと、白いドアがあるのが見えた。コトハラさんはもう開けるしかなかった。
ドアの奥に広がっていたのは、立体図形と同じ太陽のオレンジ色の空間だった。コトハラさんが中に入ってドアから手を離した、そのすぐ後…。
「……あ、暑い、暑い、暑い!!」
オレンジ色の空間の色に、赤い絵の具の線が混じった。それらがどろっと溶け合って、それから室温が急激に上がった。
「あ、あ、アーッ!!!」
それはもう「暑い」というより「熱い」という感覚だった。白いドアはゆっくりと宙に浮き上がり、やがて音もなくこなごなに散った。
翌日、ヒクシマヤ本社の会議室では、コトハラさんの行方を巡って臨時の会議が開かれていた。社長のヒクシマさんと十数名の社員がコの字型に並んで黙り込んでいる。会議室には何とも陰鬱な空気が漂っていた。ある者は何度もため息を吐き、ある者は目尻をいじり、ある者は盛んに貧乏ゆすりをしている。
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