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第7章 探検隊
人間洗濯機
しおりを挟む洗濯機を新しく変えた次の日、妻は仕事で2、3日家を留守にした。
僕は洗濯機の使い方が分からず、昨日妻に聞けば良かったとだらしない思いをしながら近所のコインランドリーへ向かった。妻には「仕事中は出来るだけ連絡してこないように」とお願いされているため、こんなことでメールを送る訳にはいかないのだ。
全く、「今日からちょっとの間、ママがいないよ。だからパパがママの代わりだ!」と言ってイクメン万歳とニコニコしている父親とは遠く離れた存在だ。
とりあえず、自分、妻、2人姉弟の子供の服を持っては来たが、何だか使うのが図々しい気がしてしまう。
躊躇から意味もなく店内をぶらぶらしていると、
「ドン!」
誰かに勢いよくぶつかられた。胸に相手の肘が当たったので思わず相手を睨もうと振り返ると、そいつは坊主頭の中年男だった。上はステテコ1枚、下はジャージとかなりの軽装だったが、それよりも後ろ姿の異様な揺れ方が気になった。
(なんだよあいつ。すみませんも言わないでボケーッと歩きやがって。)
しかし気持ちが切り替えられたので、僕はどの洗濯機を使おうか考え始めた。
とその時、壁に貼られたあるポスターが目に飛び込んできた。
「新入荷!イスサキランドリー松梅町店限定の『人間洗濯機』!!スイッチを押して中に入れば、たったの1分であなたの心はピッカピカ!清廉潔白な人間になれます!!さらに、心当たりのある方は、足だけを回っているドラムの中に入れると、悪友や黒い稼業と手を切ることができます!この機会に是非お試し下さい!!」
僕の目はポスターに釘付けになった。
「清廉潔白な人間」。そうなれればどんなに良い人生が送れるだろう。
僕は今までうだつの上がらない人生を送ってきた。地元の零細企業に就職し、営業成績はいつもビリ。そもそも就活の時点でほとんど内定がもらえず、それも地元の無名大学卒だからで…早い話、昔から人より頭も要領も悪く、かといってすごく真面目な訳でもなく、考えの浅い怠け者で、ただぼんやりと生きてきたら何も残らなかったということである。見合い婚でも、妻を娶れただけ幸せというべきか。
ああ、不甲斐ない。
しかしその不甲斐なさが、かえってこの怪しい洗濯機を魅力的に見せた。
僕は床に置いてある小さなプラスチック製のかごに服を入れると、ポスターの矢印の絵が指す方向を見た。そこには、並んだ他の洗濯機から離れて、1台の洗濯機が設置されていた。広告をパウチした長方形のビニル樹脂が貼り付けてあり、その黄色い広告には赤字で「人間洗濯機!」という文言と矢印が書いてあった。
(何の変哲もない洗濯機だな。)
近づいてみても、それはやはりただの白い洗濯機にしか見えなかった。広告がなければ、他の洗濯機と全く変わらない。
僕は店員さんを捕まえようと今一度辺りを見回したが、それらしき人はいなかった。
その時、他の客は帰って、店内は僕1人になったことに気づいた。
僕は「人間洗濯機」に100円を入れ、恐る恐る片足をドラムに突っ込んだ。
「ガスン」
足元が揺れるのを感じて
「ゴトン」
もう片方の足も中に入れた。そして、そのままうずくまった。
ああ、これで自分も清廉潔白な人間になれるのか。
僕は今まで何と情けない奴だったのだろう。今だって、結局自分の力ではなく、お金を払って機械に頼っているなんて…。
ーーピー、フタを閉めて下さいーー
おっと、そうか。普通に服を洗濯する時と同じで、この洗濯機も蓋を閉めて使うのか。そりゃあそうだと言いたいところだが、果たしてこの「人間洗濯機」なるものも水や洗剤を使って僕のことをグルグル回して洗うのだろうか。
「ゴトッ…」
その時、ドラムが動き出した。
ーーピー、ピー、ピー、洗濯終了ーー
気がつくと………………。
ドラムの中から出てきた男は、まるで気の抜けたビールの瓶だった。焦点は定まらず、口を半開きにしてつっ立っている。
コインランドリーに入ってきた客達は、「人間洗濯機!」という広告が貼られた洗濯機の中で立っている男を明らかに不審がって、じろじろ見たり、あるいは反対に、目を合わせない様に注意した。
「ガン!」
少しして、音がした。
他の客が怯えて振り向くと、男が片足を上げてドラムの外に出し、もう片方の足も出そうとしているところだった。先ほどの物音は、男が片足を上げた際にドラムの内壁に当たったことによるものだったのだ。
それから男は両足を洗濯機から出し終え、改めて真っ直ぐその場に立った。その目はさながら、初めて二足歩行を覚えた猿人の様だった。
男は1歩、2歩と歩き出し、周りの客達は男の挙動を注視しながら道を空けた。
男は右足、左足と踏み出し、その度に重心が偏った方に体が揺れた。しかし惚けた顔の両目は虚空のある一点を捉え、そちらに向かって直進しようとしている様だった。
コインランドリーの客全員が見守る中、男は自動ドアを通過して外に出、歩道を横切って、尚も進み続けた。
「キイイイイイ!!」
直後、車道にブレーキの悲鳴が響いた。
「ドカアン!」
絶叫。驚嘆の声。
男の体が静かな朝の通りの宙空を引き裂き、鈍い衝撃と共に、無慈悲な形で地面に着地した。
「イヤアアァー!!」
黒いアスファルトの上に、感情を知らないロボットのように無機質な真顔が転がった。
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