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第1章 いぬがみさま
名演技
しおりを挟むサワムラはその朝もいつものように自分のオフィスのあるビルに入り、エスカレーターへと向かっていた。彼がエスカレーターの一段に足をかけようとしたまさにその時、今までどこにいたのか、あちこちの物陰から大勢の人々が出てきて、拍手をしながら彼の方に近寄ってきた。
サワムラは突然の出来事に戸惑い、上げかけた右足を宙に浮かべたまま立ち止まってしまった。彼が驚いたのは、その人々の誰もが全身を黒いタイツにぴっちりと包み、鼻の高さやまぶたの曲面、唇の突出までもが見てとれるほどだったからでもあった。頭の天辺から足のさきまで黒地で布性の彼らに不気味な印象を覚えたサワムラは、足を下ろすと後ずさりをしようとしたが、右から左からやって来た黒いマネキンたちに肩越しに手をかけられ、されるがままに奥の方に連れられていった。
マネキン集団を連れながら、サワムラは入口と反対側の壁に設けられた横幅ね狭いエスカレーターに乗せられることとなった。ここにエスカレーターはなかったはずだと訝しみながら後ろを振り向くと、彼の後についてくる者は誰もいなかった。マネキンたちはエスカレーターの手前で立ち止まり、サワムラを見送っていた。すっかりマネキンに戻る道を塞がれているものだとばかり思っていた彼は、とっさにエスカレーターを下ろうとしたが、とたんに上の階に出て辺りが開けたので、180度回転してまた前方に視線を移した。
そこは壁も天井も一面真っ白の、奥へと続く部屋だった。エスカレーターはここに上がったとたんに平坦になって「動く歩道」に変身した。まるでベルトコンベアに乗せられた商品のようだと思ったサワムラは、自分がこれからどこへ行くのか不安になって辺りを見回した。すると両サイドに、これまた黒いマネキンが立っているではないか。しかもひとりやふたりではない。「動く歩道」の左右には、ピンクと銀色のストライプでデザインされた円柱形の低い踏み台が道に沿って等間隔で置かれていて、そこに黒いマネキンが一人ずつ、今度はレインボーカラーのアフロのウィッグをかぶって立っているのである。等間隔に並んだマネキンたちは皆一定の速いリズムで手を叩いており、サワムラの登場を歓迎している風だった。サワムラはアフロマネキンが真横に来る度に、攻撃されやしないかと右に左に体の向きを動かし、迫り来るマネキンに怯え、遠ざかってゆくマネキンを眺めた。
ベルトコンベアの終着点は、オレンジの室内で多くの人かませわしなく動き回る何かの現場だった。彼らは至って普通の人間で、しかし皆黒いシャツにジーパンという格好で何となく統一感がある。さらにそこにはテレスコープのように前後に長くごついカメラが部屋の中心に向けられていくつも置かれていたことから、サワムラはここがテレビ番組の撮影現場だと気づいたのだった。しかもここはドラマの撮影現場である。部屋には天井に届く大きな白い仕切りが3つほどあり、その囲いの中で3人の人物が演技をしていた。1人は「大阪のオバちゃん」を連想させる、パーマヘアにエプロン姿の母親らしき女性。1人はキャップを反対にかぶり、テレビドラマらしい、アルファベット1文字が中心に書かれた安っぽいTシャツを着た野球少年。そしてあと1人は浴衣姿にハゲ頭、四角い眼鏡の中の目を三角にして険しい表情を演じている「カミナリオヤジ」だった。「ィヨーイ、アークションッ!!」その時突然近くから声がした。サワムラがそちらを向くと、そこには黄色い折りたたみイスにふんぞり返った、厳しそうな顔の男がいた。彼はさしずめ「監督」だろう。
監督の声と共に始まった寸劇は、サワムラの予想通りのものだった。友達と空き地で草野球をしていた少年は、別の子が投げたボールがカミナリオヤジの家の窓を割った責任をなすりつけられた上、カミナリオヤジの「親に弁償させる」の一言で母親まで登場する羽目になったのだ。
「僕じゃないよ」
「いいや、お前が割ったんだ」
「本当に申し訳ありませんでした」
「お母さん、違うんだってばあ、僕じゃないよ、本当なんだよ」
「いいや、お前がやったに決まってるんだ。だから最近の子供は、生意気なのが増えて困るのう」
カット! そこで監督の声が響いた。しかし監督は何も言わない。無言のまま、ただイスの上で固まっていた。一方3人の役者は監督の方を気にも留めず、疲れ切った表情を隠そうともせずに雑談している。サワムラは、ここはどこで自分はどうしてこんなところに連れてこられたのか聞こうとして、
「あのー、つかぬことをお伺いしますが……」
と言いながら3人のいる方に近づいていった。その時、再び監督の声がした。
「ィヨーイ、アークションッ!!」
監督が言い終わった瞬間、サワムラは最初の「アクション」では聞こえなかった「カンッ!」というカチンコの鋭い音が聞こえたような気がしたが、それに気を取られている間に役者たちは再び演技を始めてしまった。
「……本当にすみません、ほら、あなたもタケルも謝って!」
母親が言った。なるほど、この野球少年は「タケル」かあ。道理でシャツの真ん中に「T」の文字が書いてあるわけだ。サワムラがそう思っていると、急に周りが静かになってしまった。気になったサワムラが顔を上げると、母親役の人が彼の顔をじっと見つめている。カミナリオヤジも見つめている。野球少年はずっとうつむいているが、目はこちらに向いているようだ。
「え?」
サワムラが間抜けた声を上げて周りを見ると、先ほどまであんなにせわしなく動いていた黒シャツ・ジーパンのスタッフたちが一斉にこちらを向いているのに気づいた。そしてその中に1人、見事に忍び込んでいた黒マネキンが、カンペを持って立っていた。
「あ、あの、本当にすみませんでした!うちのタケルが、本当に大変な事を……。ほら、タケルも早く謝りなさい!!」
と、カンペにはそう書かれていた。場の空気を察したサワムラは、とっさにそのカンペを目で追って声に出した。
「え、あっと、あえの、本当にすみませんでした。
……たっ!
……うちのおたけるが本当に大変な事を。……ほら、タケルも早く謝りなさい。……なさーいっ!!!」
「カット!」そこで監督かま止めた。サワムラは恐る恐る監督の方を見た。勝手に撮影現場に侵入したことを怒るだろうか、それとも下手くそな演技をしたことに呆れるだろうか。サワムラが顔を強張らせて監督の方を見るが、やはり監督は何も言わない。そしてまた役者たちの方に目をそらしてみると、3人の男女は何か言いたそうにして下を向いていた。それから再び監督の声が飛んだ。
「ィヨーイ、アークションッ!!」
サワムラの台詞の場面がテイク2に入った。そしてテイク3もさせられた。彼は声帯を何とかふるわせ、「あ、あの。本当に申し訳ありませんでした、あ、あぁ申し訳ありませんでしたじゃねぇわ、違ったすいません、本当にすみませんでしただ、本当に」「カーット!」
と失敗した。
テイク3が終わった直後に、彼はすぐさま母親役に話しかけた。
「あの、これ、何なんですか?」
母親役の女性はサワムラの方を少し見遣ると、
「はじめまして、大根役者さん」
と静かに言った。次に、野球少年が言った。
「おじさん、気の毒だね。これから会社だろ? でももう二度と行けないよ。ここに入ったら最後、ぼくらはずうっとこのドラマをやってなきゃなんない。逃げだそうとしてもムダだよ。それはもうぼくたち3人で検証済み。こうしてあの監督がカットした後のわずかな時間はしゃべれるけど、またアクションが来たら演技しなきゃなんない。しないと永遠にここから動けない。まあ動けるっていっても、この円の中だけだけどね」
円? サワムラは地面を見た。すると確かに、床には薄いオレンジ色の円が描かれている。サワムラは少年の話が信じられず、円の外へ出ようとしたが、円から外れた地点へは足が踏み出せなくなっていた。まるで床の円を底面とした円筒の中に閉じ込められているかのように、円の円周に沿って見えないバリアが張られていたのただ。
「そこの若者よ、諦めろ」
カミナリオヤジが言い放った。サワムラは、こんなことがあってたまるかと、監督に叫んだ。
「おい!!お前一体何しやがったんだ!!おれたちをここから出せ!!早くしろ!!おれはこれから会社に行くんだよ!!おうい!!何とか言え!!」
サワムラは見えないバリアに左手をつき、右手を振ってバンバン叩いた。見えないのに、バリアは強化ガラスが震動するような大きな音を立てた。
監督は先ほどからずっとサワムラを見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……ないんだよ」
「え?」サワムラが気づいて、バリアに手をついたままの姿勢で動きを止めた。監督がもう一度、同じことをいった。
「できないんだよ」
サワムラがその意味を測りかねていると、もう一言、つけ加えた。
「私も、あなたたちと、おんなじなんだ。監督を、させられている」
そして部屋の隅に視線を向けた。サワムラが監督の言葉を頭の中で反芻し、はっとしてその視線を追っていくと、行き着いたのは、あのカンペを持ったマネキンだった。カンペにはサワムラの台詞とは違うことが書かれていた。
「ィヨーイ、アークションッ!!(最初の「イ」は短く、「アー」は狂ったように大きな声で)」
マネキンは監督の方を向いている。それでやっとサワムラは理解した。ここにいる人間たちは、全員操られているのだ。見れば、いつの間にか黒シャツ・ジーパンのスタッフたちは皆マネキンになっている。いや、もともと彼らははじめに自分をここへ連れてきたマネキンたちと同じようなものだったのかもしれない。ここへ迷い込んだ人間を安心させるために、人間に化けていたのだろう。だとすれば、この監督も、3人の役者も、本当はマネキン集団の一味……?
その答えを教えてくれる者は誰もおらず、ベルトコンベアに乗せられた時に似た不安を覚えながら、サワムラは監督の大きな掛け声に再び耳を震わせた。
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