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第8章 謬錯
謬錯
しおりを挟む農家の息子のイトウさんは、自宅の庭で家庭菜園をしていた。
ある日、収穫時期のトマトを摘もうと、緑のまぶしい庭を分け入って進んでいた時、見たことのない収穫物を目にした。
イトウさんはその植物に近づき、まもなく「やあっ」と驚いた。
なぜならそれは、確かにこれから摘み取ろうとしていたトマトなのだが、先に点いている実はトマトではなかったからである。その植物は、太陽の光を反射して赤くきらめくルビーを実らせていたのである。
イトウさんはとっさにこれを見間違いだと判断した。トマトはその実の美しい見た目のため、長らく、観賞用の植物として扱われてきたという話があるのだ。
しかし、そこにあるのは、どこからどう見てもトマトではなく、ルビー。ブリリアントカットの大粒ルビーが、たくさん実っているのである。
イトウさんは、もしや新種の植物の誕生かと疑い、その1つを摘み取り、口に運んでみた。
だが、とても食べられる代物ではなかった。味がない上、ひどく硬い。本物のルビーを口に入れたかのようだ。
イトウさんはその実を「ぺっ」と吐き出して、こんなものは出荷もできなければ自宅で調理もできない、と考えて落ち込んだ。
ところが翌日、イトウさんはその実を全て摘み取って、宝石店の前にいた。ヘタを外してしまえば、本物のルビーと偽って売り捌いてしまえると考えたのだ。
「店長さん、見て下さい、この大粒のルビーの山。どれも素晴らしきブリリアントカットの品々です。こりゃあべらぼう付くでしょう。」
イトウさんは自信たっぷりに、ルビーで満たされた麻袋の口を開いてみせた。整った白髪と片眼鏡が特徴的な店長は、体をかがめてそれを覗き込む。
「どうです、一度にこんなに大量には、見たことないでしょう。」
しかし物腰柔らかな店長は、しばしそれをためつすがめつした後、少し口を窄めて言った。
「これは……………これは美しき………じつに美しきトマトですな。」
イトウさんは耳を疑った。
「はい?何ですって?これが、これがトマトだって?」
「ええ。」
「馬鹿な!これはルビーですよ!何をおっしゃっているんですか!ほらこの硬さ、この輝き!どこからどう見てもこれはルビーでしょ!?どうしたらトマトだなんて言えるんですか!だったらお1つ、食べてみて下さい!」
イトウさんは焦ってつい乱暴な口調になった。やはり相手はプロ、これが本物のルビーではないと分かってしまうのだろうか。
「いえ、食べろだなんて、そんな…。そんなことをしなくても、どこからどう見ても、これはトマトでしょう?」
店長は尚もそう主張した。
「これがトマト?なぜです。あなたは宝石店の店長でしょう。これが何という宝石か、一目ご覧になればすぐに分かるはずです。これはルビーです。ルビーでしょう?」
すると店長はあからさまに顔をしかめて反論する。
「……いいえ、これはトマトですよ。野菜の。サラダに入ってる、ジュースになっている。トマトですよ。トマト。」
「はいい?ルビーですよ!ルビーに決まってる!おれはこんな形のトマトなんて見たことない。」
「どういうご冗談か存じませんが、気晴らしなら他所でやって下さい。山盛りのトマトをルビーだなんて。馬鹿にしないで頂きたい。」
「馬鹿にしてるのはそっちだろう!あなたこそおちょくらないで下さい。これがトマトだなんて、そんなのあり得ない!このルビーの山がただのトマトだなんて、おたくの目は節穴か!」
すると、すっかり気を悪くした店長は、何気ない様子で奥に引っ込んで、それきり出てこなくなってしまった。
イトウさんは憤慨し、ルビーの山の詰まった麻袋を抱えて店を出た。
そして、訳が分からなくなった。
確かに、あの店長の言う通り、この実はトマトだ。トマトだったはずのものだ。
しかし今は違う。もうトマトではないじゃないか。これはルビーだ。どこからどう見てもルビーだ。いや、仮にルビーでなかったとしても、それと同価の宝石であるはずだ。
そう思って、イトウさんはそれから1日かけて町中の宝石店を訪ねた。だがどの店もそれをルビーと認めなかった上、やはり「トマトだ」と言ってきた。
おかしい。どう考えてもあり得ない。仮にこれがルビーでなかったとして、いや、宝石でもなかったとしたって、トマトだなんて、あり得ない。
とある宝飾店にやって来た知的なマダムは、受付で店員と言い争っている男を見つけた。どうやら男は自分の収穫したトマトをルビーだと言い張って高値で売りつけようとしているようだったが、やがて諦めて帰って行った。
マダムはワニ革のバッグから真珠のネックレスと金の延べ棒を取り出して、受付に差し出すと、店員に話しかけた。
「さっきの方、存分強引でしたこと。精神科行きですわ。」
すると店員は困り顔で笑い、こう答えた。
「そう無粋を仰らなくても。トマトは観賞用の果実とされ、飢饉の時に食されるまで食べ物として扱われなかったという話があります。見た目もまるで、本物の宝石のようではありませんか。」
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