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しおりを挟む陽翔がマンションへと帰ると、リビングで寝入っている慶の姿が目に映った。恐らくリビングで勉学に取り組んでいたのだろう、その証拠にもテーブルの上で突っ伏している慶の腕の下にはノートが潜ってあった。
突っ伏した状態で何時間も過ごしていたら背中を痛めてしまう。陽翔は慶の側まで足を進め、慶の肩へと触れようと腕を浮かせた。しかしふと慶の顔を目に入れた瞬間、陽翔の腕はピタリと止まった。
慶の閉じられている瞼の下部が、肌よりもやや黒ずんでいた。薄らとした慶の隈、陽翔は今の今まで気づきもしなかった。寝室が別のため慶がどの程度睡眠を取っているか陽翔は知りもしない。そのため隈を作ってしまうほど慶が疲労している事だって気づかなかったのだ。いや、気づこうと思えば気づけるはずだ、毎日顔を合わせるのだからなんら難しいことではない。しかしいつも明るく振舞っている慶の様子からそのような事実は感じられなかった。
「…ん」
慶の閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。慶が起きたのだと気づいた陽翔は「…っあ、先輩起きましたかっ?」と上擦った声を出した。
「あれ…俺いつの間にか寝てたのか。お前も今帰ってきたの?」
「はい、リビングに入ったら先輩が寝てたから起こそうか迷ってたんです」
もぞもぞと上半身を起こしグッと伸びをしている慶に、陽翔は慌てて笑顔を作る。急に慶が起きたものだから、ジッと慶の瞳を直視していた陽翔の心臓は忙しなく鼓動していた。寝顔を盗み見られていたなどと思われていないかと不安になる。
「ん?どうした?」
「えっ?あ、えっと…」
慶の瞳から逃れるように、陽翔はカーペットの一点に視線を移した。陽翔はこの場から立ち去ろうと腰を上げるが、先程の彰人との会話が頭をよぎる。慶が甘れられるような存在になりたい、そう陽翔は思っているのだ。何か抱え込んでいる事があるのなら相談に乗ってあげたい、何かしら慶の力になりたい。陽翔は慶の手の甲にそっと触れた。
「先輩…ちゃんと寝れてますか…?」
「えっ…?」
慶の瞳が驚きで丸くなる。急に手を重ねたからか、それとも唐突的な質問に戸惑っているのか、陽翔にはその真意は分からなかったが、確実に慶は動揺していた。
「どうしたんだよ急に…?」
「先輩の目の下、隈ができてるから」
「えっ?!まじか」
陽翔に指摘された事でスマホを手に取った慶は、内カメラにしスマホを目元の間近まで持っていった。「うわ…ほんとだな」と自身の隈をなぞるように慶は触れる。
「いつの間にまた出来たんだ…?消えたと思ってたんだけどな」
「前にも出来てたんですか?」
「ああ、この前は悠哉の奴に指摘されたんだ、あいつ意外と人の顔見てるんだな」
へらっとした笑顔を浮かべた慶とは対象的に、陽翔は表情を強ばらせる。悠哉は自分自身の事にはとことん鈍いが、他人の変化には妙に鋭いところがある。しかしそうだとしたところで悠哉よりも陽翔の方が慶と共に過ごす時間は長いはずだ。陽翔が先に気づくべきだったことを悠哉は既に気づいていた、その事実によって黒い影が視界の外側から徐々に忍び寄ってくるような失意感を覚える。
「僕は…先輩の役に立ちたいんです…今までの罪悪感とか恩返しとか関係なしに、僕の本心がそうしたいって言ってるんです。だから僕を頼ってください」
触れている手に力を込めた陽翔は、慶の瞳から決して瞳を逸らさなかった。
「頼るって…別にお前は何かしようとしなくていいんだ、そばに居てくれるだけで俺は…」
「確かに僕は頼りないし自分の事に精一杯で全然先輩の事見れてなかった、だけど今は…しっかりと慶先輩の事を見たいんです…っ些細な変化にも気づけるようになりたいんです…!」
以前までの自分がいかに愚かだったと今となって痛感する。だからこそ陽翔は自分が変わる必要があるのだとそう決意を固めることとなった。
「陽翔…」
「すみません急にこんな事言われても困りますよね…」
「そんな事ない、嬉しいよ陽翔。だけど俺はお前に好かれるためにカッコつけてきたんだ、だからそんな情けない姿見せたら余計愛想つかれんじゃないかって不安でさ…」
「そんな…っ愛想つかすなんて事あるはずないですよっ、情けない姿なんて誰にでもあります、僕なんて情けないところだらけですし」
陽翔の頭に手を置いた慶は「そんな事ねぇよ」とふっと力の抜けたような笑みを浮かべた。
「ただお前にはかっこ悪い俺を知られたくなかったんだけどな、だけどお前が知りたいって思ってくれてるなら話すよ」
足を組み、胡座の体制に座り直した慶は「不安なんだ」と小さく呟いた。
「受験がですか…?」
「ああ、もちろん受かる自信はあるし今だってそのために入念に勉強してる。だけどいざ落ちた時の事を考えると眠れないんだ」
普段陽翔が目にしている明るい慶の姿とは異なる曇りきった表情から、慶の心の内に沈められている不安やプレッシャーが渦を巻いている様子が想像できた。
「言ってなかったけど俺、兄貴がいるんだ」
「えっ…?お兄さんいたんですか?!」
突然打ち明けられた兄弟の有無に、陽翔は目を丸め驚きを隠せなかった。兄弟の話など今まで慶の口から一度も聞いた事がない。そのため「なんで言ってくれなかったんですか?」と陽翔は不満を漏らした。
「お前だって双子の弟がいる事教えてくれなかっただろ、お互い様だ」
陽翔はまんまと論破される。確かにその通りだ、陽翔は空音と慶が出会うまで双子の弟がいるなど伝えようとも思わなかった。陽翔はいざ慶の立場になってから、以前彰人が陽翔に言っていた言葉の意味を理解することとなる。兄弟の事など知らなくとも慶には何も影響がない、陽翔はそんな冷めた考えを持っていたが、いざ知らなかったという事実を受け止めると寂しい気持ちになるものだった。
「まぁ俺が兄貴の事をお前に話さなかったのは、あいつの存在を知られたくなかったからなんだけどな」
「それは…何故ですか?」
「単純に俺はあいつの事が嫌いで、あんなクソみたいな兄弟がいるって思われたくなかっただけだ」
慶の表情が途端に険しく歪んだ。たったこれだけの印象で慶が自身の兄の事を好いていない事が見て取れた。
「あいつとは歳が七つ離れてて今はもう家も出てる。何をしてるかも知らないし完全に縁が切れてる状態なんだ」
「縁が切れてるって…お兄さんは家を出ていったってことですか?」
「ああ、あいつは昔から問題児で親父にもお袋にも反抗的だった。簡単に言えばグレてたんだよ、高校も途中から行かなくなったみたいで気がついたら家を出てた。それからは会ってもないし会いたいとも思わない」
慶はきっぱりと言い切る。なんと言葉をかけたらいいのか、陽翔は言葉の引き出しを探ってみるがすぐには見つけ出すことが出来なかった。
「まぁ、あいつがグレたのも親父のせいなんだろうけどな。本当は長男である兄貴に後釜になってもらおうと思ってたらしいが、兄貴は耐えられなくなって全て投げ出したんだ。その代わりっていうか最早尻拭いだな、それが俺だったんだ。あいつが逃げたから弟である俺に目をつけた、全く勘弁してくれよって感じだよな」
「先輩はお父さんの跡を継ぐのは嫌なんですか…?」
陽翔の疑問に、慶はしばらく口を閉ざした。そして「そりゃあ嫌だな」とまるで投げ捨てるような軽い口調でそう答えた。
「じゃあなんで嫌だってお父さんに言わないんですか?先輩のやりたい事があるのならそっちを優先した方が絶対にいいに決まってる」
「そうだな、お前の言う通りだ陽翔。だけど俺はあいつとは一緒になりたくなかったんだ」
あいつ、慶が指す相手が誰なのかすぐには結びつかなかった。しかし、陽翔は慶の言葉から意図を察し、兄のことを指しているのだと理解した。
「全てを投げ捨てて反抗する、これじゃああいつと同じなんだ。だから俺は親父から逃げなかった、逃げる訳にはいかなかった。だけど受験に落ちたら親父からあいつと同じ落ちこぼれだと思われる、それが俺は耐えられなくて…もうすぐで本番だってのにほんと情けねぇよな」
慶は力なく笑った。兄と同じ運命を辿りたくなかった、そのため慶は父親に従うことから逃れられなかったのだ。そして受験を直前にして、落ちる事に対する恐怖が慶を蝕んでいる。兄という存在がより慶の心の負担となっているのだ。
「先輩は情けなくなんかないですよ、だって努力してるから。僕はこの一年先輩と一緒に居て、先輩のすごい所を沢山目にしてきました。いつだって前向きな先輩の事を本当に尊敬しているんです」
ひと呼吸置いた陽翔は「先輩は僕にとって憧れの存在なんです」と打ち明けた。
「俺が…憧れ…?」
「はい、僕はずっと幼い頃に読んだ絵本に出てくる勇者に憧れていました。誰に対しても優しくて、どんな事があっても前向きな勇者が僕は大好きで、自分もこんな人間になりたいってずっと思っていました」
悠哉に話して以来、陽翔は勇者への憧れを他人へ打ち明けたことは無かった。悠哉に受け止めてもらえただけで満たされるものはあった、そして他の誰かに伝えたところでまた子供っぽいと笑われる事は目に見えていたため話そうとも思わなかった。
けれど慶には伝えるべきだと、陽翔は思ったのだった。たとえくだらないと思われたとしても、慶には知って欲しかった。
「立派な夢だな」
慶のその言葉に陽翔は耳を疑う。優しい笑みを浮かべた慶は「勇者か、いいな勇者」と続けて口にする。
「子供っぽい夢だとは思わないんですか…?」
「え?どこが子供っぽいって言うんだよ、すごい立派じゃないか。だって自分から夢を持てたんだろ?それはすごく立派な事だ」
否定するどころか、慶は陽翔の夢を立派だと表現した。陽翔の胸は感動でいっぱいになる。
「先輩は…本当に僕が憧れていた勇者みたいだ…」
陽翔はぽつりと呟いた。困ったように「俺が勇者?それは買いかぶりすぎじゃないか?」と慶は否定したが、陽翔の夢を賞賛した慶はやはり憧れていたあの勇者にそっくりだと再度認識する。
「俺は敷かれたレールの上で歩くことしか出来ないんだ、俺からしたらお前の方が相応しいと思うぞ」
「そんな事ないです、先輩はすごくかっこよくて、優しくて、頼りになる、慶先輩は僕の勇者です」
陽翔は心からの気持ちを口にした。幾度となく慶に救われた、今だってそうだ、陽翔の夢を受け入れてくれた慶のおかげで陽翔の世界はまた一段と明るいものとなった。慶は陽翔にとって幼き頃から憧れを抱いていたあの勇者そのものだったのだ。
すると突然慶の腕が背中へ回り、陽翔の身体を引き寄せた。慶の胸へと収まった陽翔は、ギュッと陽翔の身体を優しく抱きしめる腕に動揺する。
「慶先輩…?」
陽翔が困惑しながらも呼びかけると、慶はバッと身体を離した。
「悪い、驚かせたな」
そう言って頬をかいた慶の肌は、一段と赤みを増していた。慶の様子がおかしい事に「どうしたんですか…?」と自分が変なことを口走ってしまったのではないかと陽翔は不安に思う。
「お前が嬉しいこと言ってくれるもんだから耐えれなかった。俺は陽翔の勇者なのか、俺としては勇者なんてそんな大層なもんとてもじゃないが似つかないと思うけど、お前がそう思ってくれるってだけですごい嬉しい、嬉しすぎる」
慶の柔らかな笑顔が、今慶が抱いている感情そのものを表現していた。「お前のおかげで元気が出たよ」という慶の言葉に、自分の正直な想いを素直に伝えることが出来て良かったと陽翔は胸を撫で下ろす。
慶の事を少しでも知ることが出来、慶の抱えている不安な想いに触れることも出来た。そして自分の言葉で慶が少しでも笑顔を浮かべられるのなら、そんな幸せなことはないと感じた。慶の事をより深く知りたい、どんな些細な事でも寄り添いたい、そして何より慶の笑顔を守りたいと陽翔は強く思った。
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