ヒュブリス!

柿崎ゴンドウ

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深淵7

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魔術の診療所は真夜中もあって静かだった。夜勤の担当者が眠たい眼をこすりながら部屋を案内する。
診療所といっても魔術を提供する場所ではない。落ち着ける隔離部屋を提供するのだ。余分な外部情報を遮断する意味もある。薬物乱用防止のためにドアはなく、部屋内の視認性は保たれていた。

コンクリート打ちっぱなしの殺風景な部屋、窓の外には鉄格子がはめられている。安全のためとはいえ、いい気分ではない。保健室にあるようなベッドとスタッキングされた椅子が角に置かれている。

「朝まで寝とき、な」

担いでいた青年をシーツに降ろした。
袖で血涙を拭い去る。シーツ汚損代を請求されるのは嫌だからだ。
タクトの息遣いは重苦しく、横にさせてもそれは変わらない。

積まれた椅子をひったくって広げるとサツキは座り込んだ。大きなため息と脱力、今回も疲労困ぱいだった。

眼の前の青年はちゃんと目覚めるだろうか。

瞼を閉じれば早かった。気絶するように寝てしまう。

「…?」

次に目が醒めたのは岩場の上だった。遠くで潮騒がする。
黒く濡れた大地と冷えた空気。白金に輝く月。

服も喪に服した黒ではなく生成りの白だ。
前身頃は開け放したまま、臍あたりまで素肌が覗く。何かに呼ばれたような気がして重い腰を上げた。

ひんやりとした硬い泥の上をふらついて呼び主を探す。背後に気配がした。

良くはない気分だ。振り返ると、銀髪のタクトが立っていた。

『お客さん?珍しいね』
「?!。。アンタ、私の知ってるタクトじゃないな」

本人タクトでないのはわかる。この美青年は何なのだろう。

『あなたの知ってる僕はこの底のどこかにいるよ』
「…探してくる」

優しいタクトの声。
黒い浜辺から漆黒の海へと向かう。上には虚空しかないから。

『僕の闇は深い。知ってるだろう?』

背中越しの言葉に動きが一瞬止まった。

「アンタには関係ない」

泥を物ともせずに咲月は優雅に深海へ滑りこんだ。

『またそうやって、僕を置いてくの…』

青年は独り残される。タクト自身に、彼女からも。

表層はそんなことなかった。透明で抵抗なく進んでいける。苦しくない。ふとした時に泥にあたった。

「...」

無理矢理押し入る。彼の悲しさと苦しさで空間を冷たく感じる。
しばらく暗闇を探ると、タクトが冷たい深淵の底に見えてきた。
重苦しさが蔦のように青年を縛りつけていた。

呪縛をむしり取ろうと腕を延ばす。


「!」

開かれた瞳が彼女を囚えた。黒髪の知っている青年は一瞬で銀髪の男になったかと思うと黒い蔦で彼女を取り込んだ。漆黒の鳥の巣。

『残念。君の知ってる僕はもういないよ』

 やっと一緒になれたのに…ずっと僕を見て見ぬ振りしてきた僕。

「やめろ変態。現実で寝たきりになりたいのか?」

身体の自由が効かずとも、サツキは冷たい声と鋭い視線で牽制した。
首を這う蔦がくすぐったい。

『君を一緒にしたっていいんだよ』

冷たい掌が彼女の片頬を撫でる。つばを吐いてやろうかとよぎったがやめた。瞳がとても悲しかった。

『わかる?ぼくたちの気持ち』

他人のインナースケープに深くまで潜りすぎた。
心を相手に支配されると目覚めるのは難しくなる。

「わかりたくない」

ひたすらに広がる暗闇に視線をそらした。
本心は生き延びる方法を考えろと叫び、感情はタクトの沈み込んだ深淵に包まれ抵抗する力が失われていく。

頰や髪にまで蔦は広がり、彼女を病状で飲み込もうとする。

『…置いてかないで』

優しく、悲しい声。
間近で見る青年の瞳は同じだ。限界点、紅い瞳。

「めんどくせぇヤツ」

サツキの不意なキス。
突然のことに蔦の拘束が緩むと構わず彼女は銀髪の青年の口を貪った。

蔦はそのまま二人を丸っと包んでしまう。
それは熱くなり、ドロドロになって二人を確かに闇に溶かした。

キスは好きじゃない。性自認は女性だが異性と、同性でも密接な関係や接触は嫌いだ。嫌悪感ではなく、必要としていない。身中からの欲求はまるで湧いてこないのだ。
フリーのモデル業をしていると必ず異性関係を聴かれる。苦痛だがわかってくれる者は少なかった。

自分より小柄で、線も細い青年にサツキは異性の嫌悪感を感じることはないし、中性的な雰囲気はむしろ安心感さえ与える。

熱気が上りきって再度二人の姿が形作られていく。

「…///」


考えた言葉を返すより悲壮感の塊を黙らせるのが彼女には楽だ。互いの口元から銀色の筋が現れた先、彼は拓徒に戻っていた。

漆黒の鳥の巣は藻屑になって深海に漂うだけだ。

「…帰るよ。タクト」
「…」

無言だが目線だけで青年の意思はわかった。
藻屑を払い退けると、痩せぎすの身体を抱き寄せて海面を目指す。

※※※

「…」

再び視界は診療所の床だった。
レースカーテンから眩しい朝日が差し込む。
床に伏せる青年の寝顔は心なしか穏やかに見えた。

拓徒が目を醒ましたのは清掃の時間になってからだ。

後日、いつもの心療内科の医師に夢の体験を話してみた。

「これは僕の見立てなんだが、タクトさんのあまりの客観視から、病状が一人の人格として生み出されたのかもしれない」

おそらくそうなのだろう。あの日以降、もうひとりの僕は現れることはなかった。咲月に逢うことも二度となかった。
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