永遠に君を手放さないと誓った、あの日の僕へ――裏切られ令嬢の逆転婚約劇

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第2話 偽りの微笑と婚約破棄

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朝の光が薄く差し込む王都の街並みは、いつもと変わらぬ静けさを保っていた。だが、その空気の下で流れる噂だけが異様に熱を帯びていた。フェルナンド侯爵家の令嬢リディアが、アルベルト・クロフォード公爵家の嫡男から婚約を破棄された――という話題だ。

その報せは一夜にして王都中を駆け巡り、貴族たちの朝の茶会の主要な話題となっていた。
「フェルナンド家のあの完璧令嬢が?」「嘘でしょう、あんなに理想的な婚約だったのに」
王都のあちこちで囁かれた噂は、わずかな誇張を含みながら、あっという間に“彼女が婚約者に捨てられた”という物語へと変わっていく。

一方で、リディア本人はすでに王都を離れていた。
屋敷を発つ朝、彼女は父であるフェルナンド侯爵にだけ簡潔に別れを告げた。
「申し訳ありません、父上。少しの間、休養をいただきたく存じます」
侯爵は事情を聞いて眉をひそめながらも、彼女の強い決意に気づいたのだろう、それ以上追及することはなかった。

リディアは馬車に乗り込み、しんとした空気の中を遠ざかっていった。
彼女が目指したのは、侯爵領の北にある古い別荘。両親が若い頃に長期滞在していた場所で、いまは使用人の手だけで管理されている。
森に囲まれたその地は、人の目を避けるには最適だった。

行路は二日、冬の息は深く、吐く息が白い。
窓の外では雪がちらちらと舞い、樹々の枝を白く染めていく。
リディアはその景色を眺めながら、膝の上に置いた手をぎゅっと握った。
「逃げたわけじゃない……。ただ、立て直す時間がほしいだけ」
声に出して言っても、胸の奥の痛みは和らがない。むしろ、言葉にするたび現実が突きつけられるようで苦しかった。

* * *

別荘に着いた夜、リディアは管理人の老女エリサに迎えられた。
「お嬢様、まさかお一人でこんなところまで……まあまあ、ずいぶんお痩せになって」
心配そうに見上げる年老いた侍女に、リディアはかすかに笑みを返した。
「大丈夫よ、エリサ。少し休めば大丈夫。心配をかけてごめんなさい」
「本当に、何があったのです」
「……少し、思い出すことが多すぎたの。ここで静かにしたいの」

それ以上を語らないリディアに、エリサはうなずき、温かいスープを用意してくれた。
湯気の上がる器を手にしたリディアは、ようやくほっと息をつく。
口に含むスープの味は昔と変わらない。幼い頃、疲れて帰ってきた父を待つ間に台所で食べた懐かしい味だった。
「……あの頃に戻れたら、どんなに楽なのかしら」
つい、口からこぼれた独り言に自分で苦笑する。

婚約破棄をされた夜から数えて、まだ日も浅い。なのに、まるで半年も経ったように感じる。
アルベルトの横顔を思い出さない日はなかった。あの冷たい目。淡々と告げられた言葉。「君とは違って」――あの一言を胸の奥で噛みしめるたび、自分が築いてきた“完璧な令嬢像”が崩れていく音がした。

だが、リディアは泣かなかった。
あの夜、泣き尽くしたからもう涙は乾いていた。
嘆く代わりに考えていたのは――これからどう生きるか、だった。

「壊されたなら、作り直せばいい。今度は誰かのためじゃなく、私のために」
鏡の前に立ち、リディアは自分自身を見つめた。
目の下にうっすらと影ができている。失恋の跡だ。けれど、その瞳の奥には、確かに以前とは違う炎が宿っていた。

* * *

それから数ヶ月、リディアは北の地で過ごした。
毎朝早くに起き、森を散歩し、領内の孤児院や診療所へ通った。  
父の支援で成り立つ施設の運営に関わるようになり、帳簿を見直したり、薬草の採取や仕分けを手伝ったりするうちに、彼女の心にも次第に変化が現れた。

「お嬢様、寒さの中で外を動かれては……」
「平気よ、エリサ。どうせ座って泣いても変わらないのなら、動く方が気分が軽いわ」
リディアは笑って手にした籠を揺らした。そこには緑色の薬草が詰まっている。
孤児たちが駆け寄って「リディア様!」と呼ぶ声に、彼女の顔は自然と柔らかくなった。
その笑顔はもう、“完璧な令嬢”としての仮面ではなかった。  

時間は確かに彼女を癒やしていた。が、傷跡が完全に消えたわけでもない。  
噂は時々届いた。王都では、アルベルトとマリアンヌが婚約を公式に発表したという。  
そして、新しい季節の舞踏会――春の社交の季節には、二人の婚約披露が盛大に行われるのだという報せも。

リディアはそのたびに胸の奥で細く息を吸った。  
「もう、どうでもいいわ」と言葉では言いながらも、心のどこかで凍えるような痛みが蘇る。  
けれど、涙はもう出なかった。代わりに、深い静けさが残った。

「なら、私は私をより強くすればいい」  
そう呟く頃には、リディアの背筋はまっすぐに伸び、穏やかな光を纏っていた。  

* * *

春の風が森を撫で、雪解け水がせせらぎとなって丘を流れる頃、王都から一通の手紙が届いた。
紋章は第二王子オーウェン・ローゼンハイトの印。  
内容は簡潔で、しかし予想外のものだった。

――春の夜会にぜひご出席ください。あなたの才覚と美徳を改めて伺いたい。  
第二王子オーウェン・ローゼンハイト  

「……なぜ、私に?」  
リディアは呟いた。  
王族からの直接の招待など、簡単に断れるものではない。  
けれどまさか、このタイミングで。まるで運命が何かを仕組んでいるかのように感じられた。

「お嬢様、出席なさるのですか?」  
エリサが心配そうに尋ねる。  
リディアはしばらく黙っていたが、やがて静かに笑った。

「ええ。……行くわ」  
「でも、王都には、例の方々が」  
「知っているわ。それでも、逃げるままでは終われない」

リディアの瞳に宿った光は、もうかつての弱さを含まなかった。  
すべてを失ったその夜に確かに切れたはずの“運命の糸”が、音もなく形を変え、再びどこかに繋がり始めていることを、彼女自身も感じていた。

馬車が再び王都へ向かう準備を整え、扉が閉まる。  
その中でリディアは、鏡にうつる自分の顔を確認した。  
白いドレスをまとい、瞳は強く輝いている。もう誰の陰にも隠れない。  

「今度の私は、もう誰にも負けない」  

その声は確信に満ちていた。  
そして、その春の夜会こそが――再会と逆転の幕開けになることを、誰もまだ知らなかった。  

続く
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