永遠に君を手放さないと誓った、あの日の僕へ――裏切られ令嬢の逆転婚約劇

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第4話 失った愛と自由の始まり

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春の夜会当日、王都ローゼンハイトの大広間はまばゆい光に満たされていた。  
磨き上げられた大理石の床はシャンデリアの光を映し、百の花が彩るかのように貴族たちが笑いさざめく。  
その中央、階段上の入口に姿を現したリディア・フェルナンドを見て、誰もが一瞬、息を止めた。  

淡い銀のドレスに小さなサファイアの輝き。光の加減で青にも白にも見えるその衣は、彼女自身がこの数ヶ月で掴み取った強さと静けさを形にしたようだった。  
赤みを帯びた瞳は真っすぐ前を見据え、その一歩一歩は舞台に立つ女王のように凛としている。

「フェルナンド令嬢……?」  
ざわめく声が自然と広がる。「戻られたのか」「あの婚約破棄の令嬢だ」と囁く者がいれば、「なんて美しい」とため息を漏らす者もいた。  
リディアは聞こえても気に留めなかった。微笑むことも、否定することもなく、ただ静かに歩を進めた。  

階段の下――そこには第二王子オーウェン・ローゼンハイトの姿があった。  
金の髪が燭光を受けて淡く輝き、青い瞳が優しく細められている。  
彼は群衆の前で、ためらいもなく歩み寄り、リディアの前で一礼した。  

「お待ちしておりました、リディア・フェルナンド嬢」  
「光栄にございます、殿下」  
言葉を交わすその瞬間、会場の空気がわずかに変わった。二人の前にあった距離が、何か新しい物語の幕開けを告げるように静かに満たされていく。  

オーウェンが手を差し出す。「最初の一曲を、私と踊っていただけますか」  
リディアは軽く礼をし、その手を取った。掌が触れた瞬間、ほんのわずかに鼓動が跳ねた。  

楽団の音が鳴り響く。  
二人は舞踏の輪の中心に立ち、ゆるやかにステップを踏む。  
オーウェンの動きは穏やかで、相手を導くことに長けていた。リディアの足取りも自然と揃う。  
「殿下、私などが主役の夜に立つなど恐れ多いことです」  
「いいえ、今夜はあなたが主役でいい。……目を見れば、なぜかそう思ってしまう」  
リディアはわずかに笑った。その笑みが、会場の誰よりも優雅に光った。  

* * *  

しかし、視線の隅で彼女を見つめる影があった。  
アルベルト・クロフォード。  
公爵家の嫡男として列席し、隣には金髪の令嬢マリアンヌ・ロゼッタが寄り添っている。  
二人は正式な婚約者として今夜披露される予定だった。  

マリアンヌが甘い声で囁いた。「あなた、見て。あれがリディアよ。ずいぶん変わったわね。でも、あの人、もう王都では居場所はないのよ?」  
アルベルトは答えなかった。  
彼の目はただひとり、踊るリディアに釘付けだった。  
あの夜、自分を見据えていた瞳と同じ、けれどまるで違う。冷たい決意の奥に、光が宿っていた。  
「……あんな顔を、俺は一度も見せられなかった」  
思わず漏れた声に、マリアンヌが怪訝な視線を送る。  

「何?」  
「いや……なんでもない」  

オーウェンが音楽の最後の一拍に合わせてリディアをくるりと回した。  
裾が舞い、絹の光沢が流星のように走る。拍手が響き、二人が静かに礼を取ると、王都の貴族たちは一斉にその姿に惹かれ、言葉を失った。  

「素晴らしい踊りでしたね、フェルナンド嬢」  
「ありがとうございます、殿下」  
「このあと控室で少し話を……」  
オーウェンが穏やかに誘い、リディアはうなずいた。  

* * *  

控室は静まり返っていた。  
絹のカーテンが揺れ、外の喧噪が遠くに霞む。  
二人きりとなった空間で、オーウェンはグラスに白ワインを注いだ。  

「あなたにお会いするのは、学園の式典以来ですね」  
「覚えておいででしたか」  
「ええ。あの時のあなたは……まだ少し硬かった。でも今日のあなたは見事だった。自分の誇りを纏うような女性に見えました」  
リディアは笑いながらも、その言葉の重みを感じた。  
彼はただ社交辞令を言っているのではない。見透かされているような、心の奥を覗かれているような錯覚があった。  

「北部での活動を聞きました。領民たちがあなたを“北の聖女”と呼んでいますね」  
「……本来の務めを果たしただけです」  
「謙遜ですね。でも、彼らが救われたのは事実です。あなたに会ってみたくなった――それが私が招待を出した理由です」  

リディアはグラスを置いた。静かに息を吐き、殿下を見つめ返す。  
「殿下は人を見るのがお上手ですのね」  
「いいえ。人を見るより、その影を見た方が本質が分かると教わっただけです。あなたの影には、哀しみではなく希望がある」  

リディアの胸に、言葉が静かに落ちていく。  
希望――そんなふうに言われたのは初めてだった。  
「……殿下。私は、まだ過去の痛みに完全に勝てたわけではありません。それでも前へ進もうと決めたのです」  
「だからあなたは光っている」  

短い沈黙のあと、オーウェンは微笑んだ。  
「私はあなたを支えたい。あなたの自由を邪魔することなく。――どうか、その翼を広げる手伝いをさせてください」  
その言葉はまるで誓いのようだった。  

リディアは何も言えず、ただ深く頭を下げた。  
心の奥で、何かが静かにほどけていく音がした。  

* * *  

舞踏会場に戻ると、騒めきが別の方向から起こっていた。  
マリアンヌが他の貴族令嬢たちの前で、リディアを皮肉るような声を上げていたのだ。  

「あら、フェルナンド令嬢。随分お力添えを得ているようね。王子に気に入られるなんて、さすがは“完璧令嬢”。」  
侮辱とも称賛ともとれる口ぶりに、周囲が息を呑む。  
しかしリディアは微笑を崩さず、ゆっくりと答えた。  

「いいえ、私は完璧なんかではありません。それに……あなたが羨むほどの庇護も求めていませんわ」  
「まあ、強がりを。あなた、まだアルベルト様のことを――」  

その名が出た瞬間、リディアは言葉を遮った。  
「その方には感謝しています。彼が私を捨ててくださったおかげで、私自身の足で歩く勇気を手に入れられましたから」  

ざわめきが広がる。  
マリアンヌの頬が青ざめ、アルベルトさえも言葉を失った。  
一瞬の静寂のあと、オーウェンの拍手が小さく響いた。  
「見事です。フェルナンド嬢の言葉は、誰よりも気高い」  

その瞬間、場の空気が完全にリディアのものになった。  
過去からの束縛が、音を立ててほどけていく。  
誰も彼女を“破棄された令嬢”とは言わなくなるだろう。  

* * *  

夜会が終わり、星空の下、王宮を出ようとしたリディアをオーウェンが呼び止めた。  
「リディア。もしよければ、明日私に同行してもらえますか?王立孤児院を視察する予定があるのです」  
「……私でよければ」  
「君以外に頼めません」  

見上げた王子の微笑みには、政治的な計算ではない優しさがあった。  
リディアはふと、失った愛の痛みが、知らぬ間に自由への始まりに変わっていたことを感じた。  
アルベルトの影は完全に遠のいている。  
もう誰のために微笑む必要もない。  

「では、明日。お待ちしております」  
そう告げて殿下が手を取る。リディアは一歩後ずさることなく、まっすぐに見上げた。  

もはや、過去は鎖ではなかった。  
彼女は初めて、心からの笑みを浮かべた。  

続く
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