婚約破棄された令嬢はもう戻らない〜涙を捨てた私を今さら追うなんて遅すぎます殿下〜

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第1話 婚約破棄の宴

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夜会の光は、まるで罪を暴くためにあるかのように眩しかった。  
黄金のシャンデリアが煌めき、貴族たちの笑声が広間を満たしている。けれど、その中心に立つ私の世界だけが、静まり返っていた。

王太子アラン殿下が微笑みながら告げた言葉は、刃のように冷たかった。  
「侯爵令嬢アリア・レイフォード。君との婚約を、今この場で破棄する。」  

ざわめきが広がる。貴婦人たちの息を呑む音、男性たちの低い囁き。何十という視線が一斉に私へと注がれる。  
ああ――これが、公衆の前で行う破棄というものなのね。

「理由を、伺っても?」  
声が震えないように努めながら問い返す。ドレスの裾をつまむ指先には力が入っていた。  

殿下は隣に立つ少女を見遣った。淡い桃色の髪、控えめな眼差し。子爵家の出であるミレーヌ・クラウディア。ついこの間まで、私の学友だった。  
「彼女こそ、私が真に愛する人だ。アリア、君には相応の罰を受けてもらう。」

「罰……ですか?」  
「君はミレーヌをいじめたというではないか。婚約者としての品位に欠ける行いだ。」  

またか、と心の中で呟いた。彼らの空想を形にしたような噂。まるで脚本通りだ。  
私が使用人を叱責したことを、彼女の差し金とすり替えるのも、もう慣れた。無実を示す証拠など、最初から必要とされていないのだ。

周囲の令嬢たちが紅茶をすするような軽やかさで囁く。  
「やっぱり侯爵令嬢って、怖いのね……」  
「王太子殿下もお気の毒に」  

私は微笑んだ。ひどく痛いのに、唇だけは自然に上がった。  
「承知いたしました、殿下。お望みの通り、婚約を破棄いたしましょう。」  

アランの瞳がわずかに揺れた。だがすぐに誇らしげな笑みを浮かべる。予想より粛々と受け入れた私の態度が、彼の満足を深めるらしい。  

「これで解決だな。」  
「はい。お幸せに、殿下。そして――ミレーヌ様。」  

私はドレスの裾を翻し、広間を後にした。背中越しに誰かの笑い声が追いかけてくる。その中には、殿下の声も混じっている気がした。  
けれど、もう振り返らなかった。

***

馬車の中、息をつくたびに胸の奥が焼ける。  
涙は出なかった。もう何度も裏切られて、涙の価値を失ったのだ。

窓の外に流れる王都の灯火をぼんやりと眺める。  
父は病に伏せて久しい。母は早くに亡くなり、家を守るのは私だけ。婚約破棄の噂が広まれば、レイフォード家の地位はたやすく崩れるだろう。  
寒気が背を走る。私の人生も、今日で終わりか――そう思った。

だが、運命はそんな簡単には終わらせてくれない。  

馬車が石畳の角を曲がったとき、何かが砕ける音がした。次いで、馬がいななく。  
「きゃっ!」  
御者の叫びとともに衝撃が走る。体が横に投げ出され、私は車内の壁に叩きつけられた。  

ぼんやりとした意識の中、馬車が停まった気配がした。  
――誰かがドアを開ける。  
冷たい夜風の中から、黒い外套を羽織った男が現れた。  

「怪我は?」  
低く落ち着いた声。瞳は夜よりも深い黒。口元の傷跡が、彼の険しい人生を物語っていた。  
「王都の貴族が使う馬車が、こんな時間に……ここで何をしている?」  

「……少し、逃げ出したくなっただけです。」かすれ声で答える。  
彼はわずかに笑った。  
「逃げるには軽装だ。寒さで倒れる前に、うちに来い。」  

「あなたは……?」  
「ただの亡国の将軍さ。」  

それが、私とヴィンセント・カーヴァルの出会いだった。  
亡国の将軍――数年前の戦争で敵国を率いながら、今は傭兵として生きる男。  
危険で、得体が知れず、それでも不思議と安心できる声だった。  

***

「ここが私の居場所です。好きに温まるといい。」  
粗末な木造の屋敷。暖炉の炎がゆらゆらと揺れ、薪の弾ける音が耳に心地よい。  
彼は黙って湯気の立つカップを差し出す。中には甘く香るハーブティー。  

「名前を、聞いても?」  
「アリア・レイフォードと申します。」  
「レイフォード……侯爵家の?」  
「はい。でも、もう娘ではありません。今夜、婚約破棄を言い渡されたのです。」  

ヴィンセントは無言でこちらを見た。炎が彼の瞳に映り込み、まるで光を拒むような影を作る。  
「……裏切りは、慣れないな。」  
その一言に、胸が痛んだ。彼の過去にも、何か深い傷があるのだろう。  

沈黙が流れた。けれど、不思議と居心地は悪くなかった。  
夜会では誰かの視線を恐れ、屋敷では冷たい空気に包まれ――けれど、今この小さな暖炉の前だけは、息ができた。  

「あなたは、どうして私を助けたのですか?」  
「……君の顔が、戦場で見たある人に似ていた。」  
「戦場、ですか。」  
「ああ。自分を救おうともせず、誰かを庇って倒れた人だ。」  

その声に、どこか懐かしさが混ざっていた。  
「君が彼女のように、無茶をしないことを祈るよ。」  
「安心してください。私はもう誰のためにも泣きませんから。」  

笑いながら言ったつもりだったのに、声が震えていた。  
ヴィンセントはそれ以上何も言わず、ただ黙ってそっとブランケットを掛けてくれた。  
あの王太子が、私のためにそんなことをしてくれたことがあっただろうか。  

火の温もりが、氷のように冷え切っていた心を少しずつ溶かしていく。  
それが、私の再生の始まりだった。  

(続く)
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