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カトリ

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一日目(2)

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5.
 稽古場をからからと開けると、長い黒髪の後ろ姿が目に付いた。
 昨日、辞めてやる! と、叫んだ美人な先輩だ。
 先輩は、煙草を指に挟んでいて、ぐるっとこちらを振り向いた。
「何よ」
「え。あ。ちょっと、台本を返しに」
「台本?」
 ずんずんこちらに向かってきた先輩は、私の腕の中にある台本を見て、眉間に皺を寄せた。
「嘘。誰から借りたのよ、これ」
「伊藤先輩です」
 いと~っ! 先輩は叫んでから、片手で顔を覆った。
「あいつも孝もほっんと馬鹿っ! どいつもこいつも馬鹿ばっか!」
 しばらく、先輩と私は出入り口で突っ立っていた。
 先輩はいろんな事に思いを巡らしているらしく、中に入れない。
「……あの」
 やっとの事で口を開いた私と同じタイミングで、先輩も煙草をくわえながら言った。
「とりあえず、座れば?」

 窓の外の景色は、昨日の夕闇と打って変わって青空だった。
 雲一つない、青だった。
 私と先輩は、パイプ椅子に、向かい合って座っていた。
「あんたには聞きたい事が山ほどあるわ」
「私も、聞きたい事、あります」
「何よ?」
「先輩の、名前なんて言うんですか? あ。別に『先輩』って呼び方でも構わないんですけど……いつか他の先輩とも混ざっちゃうかなぁ、なんて」
「あんたさぁ」
 先輩は、黒ずんだ空き缶に煙草を捨てると、真っすぐに私に向き直った。
 正面から見ると、ホントに先輩は美人だった。
「ここで、本気でやってくつもり?」
「はい」
 それを聞いて、先輩は俯いて黙ってしまった。
「ダメですか?」
「そういう問題じゃなくて」
「だって、先輩、怒ってる……」
「怒ってないわよ」
 嘘だ。
 先輩は昨日からずっと怒っているのに。
 いや、
 白山さんが死んだ時から、ずっと怒っているのに。
「怒ってないわよ」
 もう一度繰り返すと、先輩は煙草の箱を小さなバッグからライターと一緒に取り出した。
「飽きれてるの」
「はぁ」
 煙草に火をつけると、先輩は窓の外に目線を移した。
 横顔も、美人だった。
「あんたも、あいつらも、絶対頭がおかしい」
「おかしくなんてないですよ」
「おかしいわよ! 大体あんたねぇ、見学に来たのに絶筆になった台本の続き書きたいなんて普通言わないわよ?! 孝だってあろう事かいきなり信也の話し出すし!」
 見学に来た生徒みんなドン引きよ!
 あぁ。菜穂も同じ事を言っていたなぁ、と思う。
「イかれてる」
「でも、なんとかなるかもしれませんよ?」
「あんたが言うな。あんたが」
「すいません……」
 なんとなく気まずくなってきたので、私は数冊の台本を先輩に渡した。
「とりあえず、これ、返します。お邪魔しました」
「待って」
 立ち上がりかけた私を、先輩は止めた。
「あんた、これ読んでないでしょ?」
「はい。読んでません」
 空気が、一瞬固まった気がした。
 先輩は、私を睨んではいたのだけれど……それは、嫌悪感からではなく、どちらかというと驚愕に近いものだった。
「これ読まないで、それの続き、書けるの?」
「違う気がしたんです」
「違う? 何が? ここの演劇部は全部信也が台本書いてきたのよっ?!」
「えーっと……」
 私は、唯一抱えていた「白山ブック」を見た。
「これ見てたら、きっと、違うんだなぁ……と」
「白山ブック!」
 先輩はガタンっと立ち上がった。
 パイプ椅子がガコンとこけた。
「それも、伊藤が?」
「は、はぃ」
 先輩の気迫に押されながらも、私はこくこく頷いた。
 頷きながら、続けた。
「私、これと、演劇部の皆さんと、この稽古場があれば、あの台本の続き……書けそう、なんです」
 先輩は、ぽとり、と煙草を落とした。それを、真っ赤なパンプスで踏み付ける。
「違うって、何が?」
「今まで書いてきたお話と、違うと思ったんです」
「どうして?」
「えと、それは……──」
 言いかけて、気が付いた。
 先輩は、泣いていた。
「私が何度せがんでも、それは見せてもらえなかった」
 ぽとぽと涙を落としながら、先輩の声は震えていた。
「あいつが死んだ後だって、私はそれを見れなかった。見るのが恐かった」
 沈黙が、流れた。
 けれど、急に先輩はバッグを手に取ると、台本を床に叩き付け、また凄い勢いで稽古場を出て行ってしまった。
 私は、ぼんやりと白山ブックを持ちながら……強く閉められた引き戸を眺めていた。

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