一人っ子のララバイ

M-kajii2020b

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第16話  蒼穹の彼方

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僕がまだ学部生の頃、二年続けて夏のバイトにこの小屋に来ていた時の話だが、哲人の岩と僕らが呼んでいる大きな岩が、小屋が在る丘の先に在った。その岩は横から見ると何となく人の顔に見えてくるのと、夕日を見るのには絶好のポイントだったので、何時しか小屋の宿泊者達の一寸した観光名所となって知られる様になった。そのおかげでそんなもっともらしい名前が付けられた経緯がその岩の名前の始まりだった。僕が薫さんと少し長い話をするきっかけもその場所からだった。

「和也君だっけ、あなたの髪の毛て結構赤いのね。始めは夕日のせいかと思っていたけど!」そんな風に声をかけてくれたのが薫さんとの付き合いの始まりと言ってもいいだろう。それまでは何度か顔を見て知っていたが、まともに話す機会がなくて僕としては小屋の常連さんと言う位の認識しかなかったのだが。僕はその夏も前の年と同じ様にこの小屋でバイトしていて、仕事がひと段落付いたのを見計らい、この岩まで遣ってきていた。

「ええ、我が家の家系ですかね、僕の爺ちゃんは本当に赤いですけど。」

「ふーん、珍しい家計ね、遺伝するんだ。」

「うん、隔世遺伝かな、親父は普通なんですが。」そんな四方山話から話は始まり、薫さんはアフガンの空の話をし始めていた。

「バーミヤンの近くに医療キャンプが在った時、そこまで行くのに深い谷底にある回廊を通るのだけど、そこから見る空がまるで、海の底から水面を見ている様なのよ。空の色とは思えない、深い青を持っていてそのまま、宇宙の彼方まで通じている、ああ、実際にそうか?そんな特別な場所なの、でもそこを通る度に、この空の彼方はここに通じているんだなて気がするのよ。ここの夕日て、あの青い空とは正反対みたいだけどね。」そろそろワタスゲの白い帽子も終わりかけてきた、目の前の湿原の先に沈みかけている夕日を僕達は暫く見ていた。

「あっちわさ、何時も晴れだから、それこそ雲とかが出始めたら一大事で、皆でテントの杭を打ち直したり、医療機器にカバーしたりするわけよ。だから青い空なんて特に何にも珍しくないんだけど、その回廊から見る空だけが私の心に引っかかるの。まあ、そんな事情もあって今日は逆に此所からあっちの空に思いを通じて見ようかなと思った訳。」薫さんはあかね色の先に在る黒みを帯びた紫の空を見上げた。

「そう言えば、和也君て圭輔の後輩だっけ?」

「ええ、そうです。ぼくにこの小屋を紹介してくれたのが圭輔さんですが。」

「ああ、やっぱりね。如何にも圭輔が声を掛けそうなタイプだものね。」

「え・・・」僕は薫さんの真意が読み取れないまま首をかしげたが

「彼奴て、ロマンチストだからね。それに頼みもしないのに海外の辺鄙なとこまでお節介やきに来るし・・・」

「もしかして、圭輔さんと薫さんて・・・」

「うん、そう言う仲、最近彼奴に求婚されたのよ。」

「え、キュウコン?ああ求婚ですか。」

「彼奴はまだ海外に居るけどね。」

突然切り出された薫さんの只ならぬ話題に、僕は一寸戸惑ったまま、所在無く回りを見渡していた。その日の夕焼け空は、雲一つ無い空間を染めていて地上に近い部分は赤く、その少し上は徐々に紫から紺色へとグラデーションされていた。時として自然は、まるで誰かの意思を反映させたかの様な光景を作り上げるものらしい。

結局話の続きは、夕食後の片付けが終わった言わば団欒の一時と言える時間帯での事となった。薫さんと小屋の主人が食堂脇の冬は薪ストーブが燃える部屋で話しているのが目に入り、特性のココアを持参して僕は顔を出した。

「圭輔君なら何の問題も無いじゃないの、ねえ和君?」主人が僕の顔を見るなり話を振った序でに同意を求めてきたので、オウム返しの様に

「ええ、全然問題無いと思いますよ。」と言葉を返した後に、そう言えば圭輔さんについての情報が自分の中にどれ程在ったのかを疑問に感じながら二人のやり取りに聞き入っていた。

「圭輔と一緒に成るには、一つ吹っ切らなくちゃ成らない事が在るのよ。」薫さんがポツリと言うと

「あの人の事でしょ?」主人はさり気なく言いながら、僕らを見た。

「死んじゃった人の事を何時まで背負っていても仕方ないんだけどね。」薫さんはまるで僕にその話を聞かせる為のように話始めた。そしてそれは、僕を通して圭輔さんの心に話かけているかの様でもあった。あの時哲人の岩で言っていた、あかね色の空の彼方にある蒼穹の下の大地へと。

 薫さんがこの仕事(国境無き医師団NPO)に関わる様になったのは、大学の先輩でも在った一人の医師の勧誘が在ったからだった。過去に数度この小屋に来た事もある、だからその人物が後輩の薫さんへ声を掛けたのは至極当然な成り行きだったと言えよう。在る意味で、日本の閉鎖的な医局体質に窒息しそうに成っていた薫さんを救い出したのがその人物だったとも言えるのだろう。数年間アフリカやアラブでの駐在を経た後、民族紛争に火が点いてしまった東ヨーロッパでの勤務の時に事件は起きた。その頃、内戦の拡大を恐れた難民達が、嘗ては華やか冬季オリンピックさえ開催されたその国の首都近くに大規模なキャンプを作っていた。各国から政府機関や民間機関を問わず支援団体がそのキャンプへ出向きそれぞれの役割を果たした。その渾然一体とした体制が比較的旨く機能しマスコミからも賞賛された程のキャンプの運営だった。そんな折り、そのキャンプから東へ数十キロ行った所に小さな村が在り、新たな難民がその村の付近に集結し始めていた。本来ならそれぞれの団体が独自の判断で、行動を起こすのが一般的なやり方だったのだが、珍しく緩やかな協調体制が出来上がっていたそのキャンプの運営人達が、各団体から少しずつ人を募り、暫定的な医療救援団を作り出した。そしてその中に、薫さんとその人が居た。村は首都の市街地と同じ様に砲撃にさらされ瓦礫と化していたが、幾つかの井戸が健在だったので医療用テントを設営する上では助かっていた。

「昨日までパン屋の主人だったおじさんが、今日はスナイパーとなって隣の住民を殺している・・・そんな絶望的な状況だったのよ。」薫さん暗い口調で話を続けていた。

「小規模ながら、何とか医療テントの姿を整えて患者の治療を始めた矢先だったかな、第三勢力の大規模な進行が有るらしいて言う情報が有って、その場所を引き払う様にとの上部からの通達が来て、でも、もう結構重傷な患者を抱え込んでいたからその人達を優先して首都近くの難民キャンプに移送する仕事やら、機材の撤収準備やらと、本当に蜂の巣を突いた状態てあんな状況の事だろうと思うような事態が続いていたの。」

 第三勢力の進行は、軍事関係者の予想を遙かに超えた早さで迫って来たことで、国連を初めとした各国の平和維持組織は最終決断を急がざる得なかった。首都近郊の大規模難民キャンプを守るため、空爆による迎撃を決めたのだった。結局この決断がこの戦争を終わらせる大きな役目を果たす事となったのだが、その代償も小さくは無かった。第三勢力の電撃的な進行は、既に幾つかの村を吸収して民間人も含めた複雑な分布を作り上げていて、どの地域がどの勢力と言う明確な線引きも出来ないまま空爆は行われた。迎撃対象は重火器やその拠点、戦車や大砲などと言った明確な対象以外に補給車両や通信施設なども含まれていた。

「私が、難民キャンプの事務所に辿り着いた時には、あの村のスタッフの三分一が行方不明だったの、あの人も含めて・・・」薫さんは僕の入れたココアを飲み干した後で

「一年半位後かな、うちのNPO事務所に連絡があって、あの人の名前が行方不明者リストから死亡確認リストへ移ったて・・・後は何にも無し。髪の毛一本、遺品一つ戻って来なかったわ。」

 自分の日常とかなりかけ離れた薫さんの話を、僕はまるで映画のストーリでも聞いているような気持ちで認識していたが、やがて、気づくと薫さんはブラウスの裾をたくし上げながら自分の脇腹を見せた。

「圭輔にもこの傷見せなきゃね。こんな傷物の女でも言いかってね。これ結構やばかったのよ。もう少し深かったら内蔵がやられていたところだったから。」

薫さんの傷跡は、僕を一瞬にして現実に引き戻し、同時に無力で薄っぺらい自分の存在に嫌悪を抱かせていた。
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