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足が重い、腕が痛い。
頭が重い、視界が白く濁ってきた。
到底戦えぬ現状。
詰まる所、立っている事ですら奇跡とも言える死に体。
「苦しい……苦しいさ……」
遅延世界でトウタは涙を流す。
今ここに至っては、魔人に勝つとか、皆を助けるとか、生きて帰るとか。
――そんなモノは、どうでも良くなっていた。
ジュンが……セッターが……
――こんな自分を呼んでくれたのだ。
なら立って走れ。脚が千切れたって期待に応えろ。
ジュンがセットしてくれたあの球を、決めなくてはエースの存在価値なんてない。
「うおおおおお!!」
訳の分からない遅延世界の映像なんてどうでもいい。
ジュンからAクイックの指示が出た。
どれ程練習したか、どれ程共に汗を流したか?
血が出る程の反復で、高さもタイミングも覚え込んでいる。
――ああ、涙が出た。
「はあああ!!」
ディレイを解いた時、トウタはスパイクの体勢を完了していた。
後は火球を相手に叩き込めばいい。
「な……にい!!」
魔人の顔に驚愕の表情が貼り付く。
腕は既に振り被っている。タイミングはこの上なし。
「決めちまえ、トウタ!!」
信頼の声、手に伝わる球の重さ、鳴り響く歓声。
「ぐ……!!」
地を蹴った足から、振り抜く腕から、蛆の様に血が溢れる。
それがなんだ?
セッターが球をくれる事が、こんなに嬉しいと理解したのだから。
「腕が千切れようと……決めるんだ!!」
トウタは右腕を振り切り、中空に在ったジュンのファイヤーボールを、全力以上を込めて魔人へと弾き出した。
「う…うおお!『傲慢な刃』!!」
魔人は衝撃波を放ってファイヤーボールを相殺する。
バチバチバチと、反響する光と音。相反する熱が周囲を焼いていく。
「ぐ――――!!」
全方位に放出される衝撃波は、一点集中の火球の威力に及ばない。トウタとジュンの一撃を止め斬る事は出来ず、傲慢な刃は消失した。
質量と速度、共に十全の火球は、勢いを削がれることなく魔人に直撃。フルリペアの光すら吹き飛ばし、魔人の肉を焼き尽くしていく。
――その間にレンの修復が完了した。
「おの……れえええ!!!」
魔人の半身は焼き爛れ、左腕は黒焦げた骨が露出している。
それでも魔人は立ちはだかる。冷酷なまでに勝利に手を伸ばす。
「フリーズの少女は、スキルが完全に壊れておる!ヒールを掛けた所で、スキルは直らない様だなあ!そして、貴様も、もう戦えぬ!!」
ユウはもう何をやっても戦闘に復帰できない。
トウタも今の攻撃で、右腕と足が完全に潰れた。
カズオは気絶しているし、魔力を使い切ったジュンは地に伏せた。
「後はあの少女さえ壊せば、貴様らに打つ手はないなぁ!!『出鱈目な刃』!!」
魔人が剣を振り、嵐の様な魔力刃がレンを襲う。
スキル1つ分回復した程度のレンに、対処する術はない。
「動け!立って、走れ!」
トウタがレンの下に駆けていく。
右の太ももは役に立たない為、殆ど左足だけで距離を詰める。
あと2メートル。
「防げない……逃げて!」
「っ!!」
右手が全く動かない。
トウタは嵐の中に飛び込み、スキルを発動させた。
嵐が遅滞し、魔力が解けていく。
しかし、威力は減衰しても消失は叶わず。
嵐はトウタをズタズタに切り裂き、レンの顔を鮮血で濡らしていく。
「愚か者め!残る手は狭まった!ディレイの小僧を回復させるか?他の小僧を回復させるか?リペアは間に合わないがなあ!!」
魔人は勝ち誇り、羽を羽ばたかせる。
「『吹き飛ぶ極光』!!」
レンを消し飛ばす灼熱の光線を、無情に打ち放った。
その絶対を前に、レンは諦めたような顔をした。
「私はSSRよ?スキルは2つあるっての」
「は!リペアに容量が圧迫されておるし、大したスキルではないだろう!」
「まあ、攻撃や防御には役に立たないわね。でも、鍵を無くした時とか、生活には便利だと思うの!『アンロック』!」
「は?」
アンロック……名前の通り鍵を開けるスキルだ。家の鍵や宝箱の鍵を開けられる。シーフには便利なスキルだが、戦闘で役には……
「しまった!」
魔人は慌ててアイアン・メイデンを見る。
それは戦闘の最初に、スミレを拘束した鉄の箱。
鋼鉄の箱はレンのスキルで解錠されており、怒りに肩を震わせるスミレが解放されていた。
「私、怒っておりますの!暴虐を尽くしてくれましたわね。箱の中で見ていて、どれだけ苦しかったか!それを助けられない自信が、どれだけ悔しい事か!絶対に許しませんわ。『ウインドブラスト』」
初期に拘束されたスミレは、神の使徒達の中で唯一継戦能力が残存している。
怒りに震えるスミレは、魔人の横合いに風の爆発を叩き付けた。
「よくもよくもよくも!!!」
フルリペアが途中でキャンセルされ、ファイヤーボールで限界に達していた魔人の肉体。
スミレの爆風によって、炭の様に崩れていった。
「やりましたわ!」
跡形もなくなっていく魔人の姿を見て、スミレが顔を輝かせる。
しかし、トウタの仮面は、魔人の周囲に尋常ではない魔力が発生したことを捉えた。
「にげ……て……」
声が出ない。立ち上がれない。
トウタはスキルすら発動できず、左手をスミレへと伸ばすことしか出来ない。
「まだだ!!魔神接続『リバース』!!」
魔人の魔力が一気に跳ね上がり、突如として肉体が修復されていく。
「そんな……」
愕然とするスミレ。魔人は即座に戦闘前の状態に戻ってしまった。
「そうだ、絶望しろ!神の玩具ども!これが世界を救うための俺達の力なんだぁ!!」
魔人は勝ち誇り、スミレへと歩み寄る。
――しかしスミレの撃ち出した風は未だ止まず、加速度的に勢いを増していく。
「は?」
魔人の眼前で、突如空間が歪んだ。
歪は高濃度に圧縮されたナニカ。
プラズマを発する人工の純粋破壊。
「あれは……」
地に伏せたトウタだけが、次に何が起きるのかを理解できた。
――――――――――――――――
拠点を揺るがす轟音が連続する。
脳が壊れるが如き暴力に、全員が耳と目を塞ぐ。
爆発は連続し、轟音は炸裂し、拠点が崩れ、戦場が消失していく。
目も当てられない破壊。人間の認識を超えた暴虐に、ただ震えて時を過ごす事しか出来ない。
「……」
数時間、恐怖に丸まっていた気分だった。でもきっと、一瞬の出来事でしかなかったのだろう。
「………これは……」
再びトウタが目を開いた時、魔人の姿は跡形もなくなっていた。
そもそも敵の拠点すら跡形もなく、廃墟とすら呼べない更地になっていた。
「勝った……のかな?」
トウタは起き上がれないまま周りを見回す。
戦場に立っているものは誰一人としていない。
勝ったとは到底言い難い惨状だが、殺されなかったのは事実らしい。
「旦那――!」
遠くからトンビの声が聞こえてきた。
ああ、動けないや――
トウタは仰向けになり、空を見上げる。
いや、雲が吹き飛ばされた天は、空ではなく黒塗りの闇だ。
宇宙ではなく、存在しない最果て。
自分達が過ごしてきた場所とは違うのだなと、今更ながら実感した。
「でも……風が気持ちいい……」
一陣の風に頬を撫でられ、トウタは目を瞑る。
充足の実感は訪れないが、悪くない気分で眠りに落ちたのだった。
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