#カメラのある生活

みなも

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Second photo 大人への階段

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 中学校は山間部に近い場所にした。仲の良かった友達とは数人別れてしまうことになったがそれ以上に大切なことができたのだ。
 
 紺色のセーラー服に深緑色のリボンをキュッと締めてスクールバックを肩にかける。「行ってきます。」と居間に向かって声をかけて外に出ると、朝日をいっぱい浴びた植物たちが元気に輝いている。通学路は他の子たちと違って少しハードだ。整地しきれていないアスファルトの下り坂は少し剥がれている部分もあって、遅刻しそうな時は何度も転びそうになった。1つにくくった髪の毛を大きく揺らしながら坂を下る。周りを見渡せば草木が茂っていて葉のいい匂いと木々の隙間の木漏れ日を心地よく感じながら学校へ行く。夏はたくさん汗をかくし冬は路面が凍ってつるりと滑ってしまう。
 それでも、春には桜の木々を所々に見ることができ、秋には真っ赤な紅葉も見ることができる。冬には雪が葉に積もり切なさと美しさを感じながら登校ができる。私はまるで四季旅行をしているようで楽しかった。

 部活は写真部がなかったため、美術部に入ることにした。とてもゆるく活動していた部活なので各々好きなものを描いていた。私がよく描いていたのは自分が一眼レフで撮ったコレクションたち。こうして絵に起こし、丁寧に調べ上げると、また一段と草木や風景の素晴らしさに気付かされる。例えば、マーガレットだと思っていたものが実はヒナギクだった。色や風貌こそ似ているが大きさはマーガレットに比べるとかなり大きい。世界にはたくさんの似ている草木があって、その全部に名前がつけられていることに感動した。紅葉もイロハモミジは全体に赤いけれど、オオモミジはオレンジや赤のグラデーションになっている。山を撮影したときも、天気によって写り方がかなり違った。空気が澄んでいて天気が良ければ山の輪郭はくっきりと浮かぶ。
 美術部の仲間たちは私の写真を見てはすごいと手を叩いてくれた。私は時に誇らしげにメガネをくいっと上げて照れ隠しをした。この時にはオートモードを使いながらも、自分なりに各設定を調節してみながら写真を撮れるようになってきた。

 クラスでもひっそりとだがしっかりと馴染めていた。同じ小学校の顔馴染みがいないぶん、少し時間はかかったが、友達と呼べるクラスメイトができてきた。休み時間は友達と一つの席に集まっておしゃべりをした。好きなアーティスからクラスメイトのスクープ話、くだらない話ですごく盛り上がった。

 ある日の美術の授業で風景のスケッチをすることになった。先生の指定する五つの場所に分かれ、実際の目で見てそれをスケッチするのだ。先生は適当に生徒を振り分けていったが、私だけをこっそり呼び出し「どこがいい?」と小さな声で尋ねた。美術部の特権だろうか、顧問は放任主義ではあるが美術部部員への愛はかなりある人だった。少し前に、忘れ物を取りに部室へ戻ったとき、部員の描いた絵をじっくり眺めては穏やかな顔で微笑んでいるのを見たことがある。
 選択肢にあるのは、県庁近くに最近まであった未開拓地をおしゃれな公園にしたもの、地元民に根強い人気のあるフラワーパーク、小さな子どもが思いっきり遊べる遊園地、駅近くにできた不思議な形の美術館、そして大正時代からあると言われる商店街。
 私が、選んだのは商店街。この商店街は入り口に大きなアーチがあり、オレンジ色と水色の2色使いで、「福来ふくきた商店街」と書かれている。名前の通りご利益がある商店街として有名で通るだけで願い事が成就すると言われている。商店街の各お店でも福を招く招き猫やお守りなどを多く売っていて、まるで神社のような神聖な雰囲気も感じる。正月になると多くの地元民や観光客がこのアーチをくぐりお守り等を買い一年の幸せを願う。

 私はこの何とも言えない不思議な場所に興味がわき、福来商店街を選んだ。写真で見た感じだと、アーチの文字部分は錆びていてアーチを支える支柱部分も現代風とは違い、鉄柱そのままという感じだ。奥行きはそこまで無く、平日に撮られた参考画像は閑散としていてどこか寂しげだった。それでも哀愁感じるこの場所に大きな魅力を感じて、それを絵に表現してみたいと強く思ったのだ。

 後日、家に帰り鞄を部屋に置いてすぐに家を飛び出した。一眼レフを首から下げ、自転車にまたがって坂を下っていく。母は驚いていたがふわりと笑って「気をつけるのよ。」と一言声をかけてくれた。

 着いたのは福来商店街。ここで思いもよらぬ出会いをするきっかけができる___。
 
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