蝉の灯

桜部ヤスキ

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2日目

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 ……………………
 …………んぁ、朝か。

 目覚ましを見ると、9時過ぎ。休日にしては早い。
 ずるずるとベッドから出る。
 ノートやプリントの散乱した勉強机。教科書の詰まった床の上のリュック。単行本の並んだ本棚。
 いつもの、俺の部屋。
 見た感じ、死ぬ前まで俺が使っていた頃とほぼ変わらない。リュックにはご丁寧に夏休みの課題らしきものも入っていた。量えげつな。
 本当に、どこまでも徹底した“辻褄合わせ”だ。
 あくびをしつつ階段を下りる。
 1階に着き、リビングのドアを開ける。

「おはよ。敦輝」
「…………はよ」

 テーブルに着いて笑顔で迎えたのは、遼だった。
 もはや違和感を感じない。朝起きて家に遼がいるのが当たり前になっている。
「つかなんで制服着てんの。補習引っかかっとったんかお前」
「いや、ちょっと部室行こうと思って。敦輝も来るか」
「用もないのにか」
「ないことはないやろ。一応今日は部活の活動日で。お前みたいに忘れとる奴多いだろうけどな」
「悪かったな」
 キッチンに入り、ご飯と味噌汁を注いでテーブルに持っていく。
 席に着き、手を合わせて箸を取る。
 朝ご飯を食べる間、隣に座っている遼がテーブルに肘を付いてこちらを眺める。毎度鬱陶しいからやめろとしつこく言っても聞く耳を持たないため、もう慣れてしまった。
「今日は起きるの早かったな。10時くらいまで寝てるかと思った。つか寝ぐせすご」
「起こしに来たんじゃないんか。いつもみたいにバカでかい声で部屋に入ってきて」
「んー、まぁ…………あの寝顔は起こせんて」
「あ?なんて?」
「あいや、さっきまでつーちゃんと話しててな。たまには自力で起きさせた方がええって言われて」
「何目線やあいつ」
 ずずっとぬるい味噌汁をすする。
 すると、リビングのドアが開いた。

「あ、にぃやっと起きた。ねぐせやば」

 妹の椿つばき。小学5年生。
 負けず嫌いの暴れん坊。最近多少大人しくなってきた。
「お、つーちゃんワンピースかわいいね。出かけるん?」
「友達ん家行く。遼にぃは学校なん?だったらにぃもついでに連れてって。どうせ1日中部屋でねるけぇ、外に出さんとカビ生える」
「どういうことや」
「熟成された敦輝か。どんなやろ。ソーセージみたいに香ばしいんかな」
「それ燻製だろ。てかきもい想像すんな」
「でもどっちみち部室には顔出してもらうで。お前も部員なんやから」
「はぁ……しょうがないな」
 俺は後期が始まっても登校することはないから、今日が人生最後の学校。
 そう考えると、行ってもいい気にはなる。見納めってやつか。
「やったらその頭どうにかせんとな。鶏のトサカみたいになっとるで。どんな寝方しとん」
「髪に訊け」
「こんな逆立ってんのに手ぐしで直るって不思議よな」
 遼の手が頭をなでる。
 子供の頃はよく思いっきりぐしゃっとやられて、かえってぼさぼさになっていた。
 いつからやろ。こんな優しい手つきになったんは。
「つかやめろ。どうせ変な風にセットしてんだろ」
「いやいや、かっこよくしてるよ。あれ、なんか今日ちょっと頑固やな。これはこれでええか」
「よくないわ。とにかくもういじんな」
 手首を掴んでどける。
 すると、常温の生卵のような目で傍から眺めていた椿が、
「2人共なかええよね。きもち悪いくらい。もういっそケッコンしたら?」
「は?」
「あっははははは。つーちゃんおもろいこと言うなぁ。けど気持ち悪いは余計で」
「全部余計だ」
 椅子の上で腹を抱えて笑っている。何がそんなに面白いんか。変なとこでツボる奴だな。
 空になった食器を重ねて席を立つ。
 遼の背後を通った時、丸まった背中からぼそっと呟きが聞こえた。

 できたらよかったのになぁ。




 2キロ程自転車を走らせ、たどり着いたのは結城山ゆうきやま高校。
 北館2階。美術室。
 ガンガンに冷房が効いた部屋には4人の女子がいた。
「あ、遼に敦輝。まさか2人が来るとは予想外。めっちゃ遅刻やけど」
 部長の千代璃ちより
 眼鏡がよく変わる。今日は金縁。
「別にいいじゃん。ミーティングがあるわけでもないし。ほら、ちゃんと菓子パーティ用に一杯買ってきたで」
「そんな予定ないけど」
「うん。さっき思いついた」
 道中のスーパーでカゴに菓子を放り込んでいる時は、元からそういう予定だったみたいなことを言ってなかったか。この適当人間。
「菓子パもいいけど、美術部としての活動もやってよ。来月の体育祭の看板、そろそろ原案決めたいから」
「おっけー。じゃあみんなで食べながら考えよ。そこの机一帯でいい?」
 教室の机よりも二周り程大きい白い机を4つ向かい合わせ、椅子を人数分持ってきて座る。
 菓子袋や箱を次々広げ、それぞれ手元の用紙やノートに絵を描いていく。

 ……こんなことしてていいんかな。

 今日を入れてあと6日しかない。やるべきことがあるならそれを優先してやらなければ。
 でも、何がしたいんだろ、俺。
 死ぬまでにやりたいことなんて、今まで考えたこともなかった。というかもう死んでるし。提出前日になって課題やってないのを思い出すみたいに、直前になって色々思いつくのかもしれない。
 ただ、今はこうして成り行き任せに過ごすのも、悪くないと思える。
「な、敦輝はどっち派?」
 遼がポテチをかじりながら言う。
「何が」
「聞いてなかったん。マンピースの初期と2年後どっちが好きか」
「あー…………初期かな」
「なんでや。2年後の方が一味がパワーアップしててかっこいいだろ」
「初期の方のキャラデザがいい。あと天空島の話が一番面白い」
「確かにあの話はよかった。あれこそロマンだよな。でも2年後でハワード島に行って同盟組んでさ、そこから今のヒノ国までずっと話が繋がってるそのスケール、半端なくね?めっちゃ燃えるくね?」
「まだ終わらんのかって思うけどな」
「でももう最終章入ってんだろ。あと4,5年で完結するとか。今の連載状況だと確かに疑問だな。回想で丸1巻くらいかかってるもんな」
「毎年のように映画もやっとるし。つかなんで漫画の話になっとん」
「そーよ。遼はすぐ話逸らすけぇ。もうちょっと真面目に考えて」
 千代璃が割り込んでくる。
「看板の真ん中に体育祭って縦に文字入れて、左右に競技やってる生徒描くって案が今出とるけど、他に何かある?」
「競技って何の?」
「そうやね…………徒競走が無難だし描きやすくない?」
「あー、バトン渡す瞬間か。なんかありきたりじゃね。台風の目とかどう。並んで待っとる勢が棒飛び越える様子をさ」
「なんでそっち。棒持ってコーン回る方じゃなくて?」
「それか長縄。看板の両端に縄回す人がおって、真ん中の文字が擬人化して縄跳んでんの。ダブルタッチを」
「色んな意味で難易度上がっとるわ」
 実際に描けるかはともかく、えらい斬新なアイデアやな。
 それから3時間程議論して、ほとんどが無駄な雑談だった、ようやく案が決まった。
 なかなかいいデザインだった。制作に参加できんのが残念やな。遼が余計な真似せんかったら去年よりもいい出来になるはず。
 部活はお開きとなり、部屋を後にする。
「この後どうしよっか。何か他に用事ある?」
「いや。遼は?」
「俺も特には…………あ、そうや。だったら校庭出よ。影のとこ歩くからそんな暑くないよ」
「いいけど、何するん」
「智士も今日部活らしいから勇姿を見に」




 ジジジジジジジジジ…………

 北館のすぐ裏手には影が落ちている。レーザーのような日差しは遮られているが、さっきまでの冷房の効いた室内と比べると猛烈に蒸し暑い。
「陸上部は、あそこか。あのハードル並んどるとこ」
「この距離じゃ顔見えんな」
「そら敦輝、お前の視力が悪いけぇよ。俺は見えるで。ほら、智士今走っとる。あ、違った」
「お前も見えてないじゃん」
 ぐるりと校庭を見渡す。
 あちこちで色々な運動部が固まって活動している。みんな暑いのにようやるな。
 ふと、頭に浮かんだことを呟いた。
「なぁ遼。なんでバスケ続けんかったん」
「何急に。まぁそうやな、なんでかな。中学からやり始めて、大会とか出て、それで満足したから、かな。楽しかったんやけど、別に高校でもやらんでいいかって思えて」
「そっか」
「逆になんでだと思っとったん」
「いや…………部活にまで俺についてきたかったんかと思って。そうじゃないと、幼稚園児のお絵かきレベルの画力しかないお前が美術部に入ろうってならんだろ」
「はぁ?何言っとん。お前こそ何描いても変形自在エイリアンにしか見えんレベルの画力じゃん。人のこと言えんで」
「誰の絵がエイリアンか。まぁ、お前のことだから単に飽きただけだろ。ハマる漫画もコロコロ変わるし」
「そやな、飽き性だからな俺。…………っとに、鈍いんだか鋭いんだか」
「何が鈍いって?」
「別にー」
 つまらなさそうな顔でそっぽを向く遼。

 ワァァァァ…………

 遠くから歓声が響く。あれはサッカーの試合か。ゴールでもしたんかな。
 しばらく校庭を眺めた後、遼がぽつっと言った。
「よし。そろそろ帰るか」
「ああ」
 歩き出そうと一歩踏み出した、その時。

 ジジッ

 頭上から不気味な音がして、地面に何かが落ちてきた。
「あ、蝉だ。間近で見るとでかいなー」
「……ああ」
 遼がしゃがみ込んで見つめる。
 羽を広げて仰向けになったまま動かない。針金のような何本もの足が空を掴んでいる。
 ……気持ち悪い。
「これ死んだんかな。蝉ってさ、地面に転がって死んどる振りして急に飛んでくやつおるよな。あれマジでびびるわ。生きとったんかいって」
「……そうだな」
「にしても、毎日あちこちで蝉の合唱大会だよな。夏の風物詩って感じでええけど」
「俺は嫌いだ」
「ん、そうなん?」
「うるさいし、聞いてるだけで暑苦しい」
「確かに音量はでかい。でもあいつらも必死なんだろ。地上に出て1週間くらいしか生きられんから。精一杯人生を、いや蝉生を謳歌しとるんよ。最後だからやりたい放題やーって感じで」
「……なんやそれ。余計暑苦しいわ」
「敦輝も昔は結構やんちゃだったのに、高校入ってから大人しくなったよな。なんかつまらん」
「お前がガキなだけだろ。いい加減大人んなれや」

 俺と違って、これからも人生が続くんだから。

「大人になるって何。髪の毛七三にしてスーツ着てロボットみたいに歩く感じか」
「どんなイメージそれ」
「違ったか。まぁ別に俺はいいんよ。残りの一生このまま平行線でいくけぇ」
「絶対どっかで自滅するからやめとけ」
「あでも、俺がある日急にイメチェンした時の敦輝のびっくり顔見てみたい。絶対写真撮ったろ」
「撮られるのはお前だ」
 暑いし帰るで、と遼が立ち上がる。
 その場を立ち去り、校舎の角を曲がる前に一度振り返った。
 蝉はまだ地面に転がったまま。本当に死んだのだろうか。

 最後だからやりたい放題、か。
 普通だったら、あれやりたいとかこれやりたいとかぱっと思いつくもんなんかな。

 ジジジジジジジジジジジジ…………

 蝉の声がする。
 一匹が力尽きたところで合唱は止まない。何百何千という個々が命をかけて鳴いている。
 たとえ数日という時間しかなくても。
 俺には、あんな風に必死になれることが、何かないんかな。
 なぁ遼。お前はどう思う。
 前を歩く背中を見ていると、そう問いかけたくなった。

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