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7日目
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「にぃー、かみ結んでー」
下階から呼ぶ声がする。
自室を出て階段を下りると、浴衣姿の椿が立っていた。
白い生地にあしらわれた青い花々。帯は水色の縞模様。
「お前そんなの持っとったんか」
「ちょっと前に新しく買ってもらったやつなんよ。どう」
「涼しそうでいいんじゃね。色的に」
椿にしては、多少大人っぽい雰囲気になっているように見える。
「で、結べばいいんか。ゴムは」
「これ。上の方でね」
「短いのにか。落ちてこんか髪」
「後でピンで止めて」
「はいよ」
艶のある黒髪に指を通し、ブラシでといていく。
昔はよく下手くそとだめ出しをされていたが、次第に言われなくなった。慣れるもんだな、長くやってると何でも。
「そういえば、最近にぃやけに素直よね。うちが何かたのんでも2回に1回はやだって言うのに」
「俺が素直だったらおかしいか」
「だって、なんかきもい」
「お前な、頼み事してる相手にそういうこと言うのやめろや。変な髪型んなっても知らんぞ」
「はぁ?ぜったいやめてよ!」
「冗談じゃけ動くな。ほら、ピン貸せ」
まとまった髪にヘアピンを差し込み、完成。
ありがとうと言って廊下を慌ただしく駆けていく椿。元気だな小学生。
後を追って玄関に行くと、下駄を履いているところだった。
「もう出かけるん」
「うん。あーちゃん家に集合やから」
「そっか。気ぃ付けてけよ、椿」
「はーい」
ドアが開く。むっとする空気が流れ込んでくる。
一歩外に出た途端椿は足を止め、そのままくるっと振り返った。
水槽に沈んだビー玉のような目がじっと見つめてくる。
「……ねぇ、にぃ。今日の夜さ、帰ってくるよね」
「はぁ?何言っとんいきなり」
「そのさ、帰ったらいっしょにホラー実況見てほしいけぇさ」
「慣れたんじゃなかったか」
「今週のライフハザード実況めっちゃやばいの。もうゾンビっていうかでっかいタコの化け物みたいなんが__」
「いいからさっさと行け。遅れるぞ」
パタンとドアが閉まり、熱気が途切れる。
静かになった玄関に1人佇む。
ごめんな。俺はもう、ここに帰ってこないんだ。
階段を上がり、部屋に戻る。
時計を見ると、現在5時半。出るには少し早いかな。
カナカナカナカナカナカナ…………
開いた窓から蜩の声が聞こえる。
…………うるさいな。分かったよ。
スマホをポケットに入れ、身支度をする。
意思のないただ無機質な声。そのはずなのに、どこか呼ばれているような気がする。
玄関に下り靴を履く。ドアノブを掴み、一度だけ振り返った。
「…………いってきます」
ピッピーピーロロッピッピッピー…………
どこかのラジカセから雑っぽい祭囃子が聞こえてくる。
真っ直ぐな大通りの両側に沿って並ぶ屋台。紺色の空には紐で繋がれた琥珀色の提灯群。漂う焼き物の匂い。子供のはしゃぎ声や店番の掛け声があちこちで上がる。
「やっぱいいよなー夏祭りって。いつ来てもテンション上がるわ」
目を輝かせて屋台を見回す智士。
ちなみに祈李と仁奈は浴衣ではなかった。椿然り女子は大抵着るものと思っていたが。理由を訊いてみると、
「あれどうも動き辛いんよね。うち本気でゲーム勝負したいけぇさ。この方が全力出せる」
「浴衣って着るのめんどいじゃーん。楽にいきたいー」
ほぼ正反対のモチベーションの回答だった。まぁ意見は人それぞれだ。
「どっから回ろっか。行きたい店あったら言ってよ」
いつにも増して柔軟性の高い笑顔の遼。余程楽しみだったんだな、こいつも。
まずは食べ物系を回ろうということになり、早速すぐそばの屋台に飛び込む。
熱々だよーと遼から手渡されたのは、鯛焼きだった。
「魚とか動物の形したものってさ、なんか頭から食べたくなるよね。なんでかね」
「さぁ。別に尾から食う奴もおるだろ」
「あれかな、本能ってやつ?鳥が絶対魚を頭から飲み込むみたいに」
「お前は魚を丸飲みするんか。えらい消化器官やな」
「ちりめんくらいならいけるで。じゃあ鳥ってすごいな。いただきまーす」
はむっと鯛の頭部にかじりつく。一口でか。
「んー、めっはあんほはいっへておいひーほ」
「食べながら喋んな」
自分も一口頭をかじる。
熱い。あんこが甘くておいしい。
食べ終わる頃には智士達は他の店へ行っており、紙パックを2つ手にして戻ってきた。
差し出されたのは、たこ焼き。
「コンビニで買ったんは大してたこ入ってないけどさ、屋台のって結構詰まっとるよな」
「よね。これうちらで分けるけ、そっち遼達で食べんさい」
「ありがと。はい敦輝、あーん」
と、湯気の立つうちの1つにつまようじを刺し、こちらへ差し出してくる。
「……それは、俺が食うんか」
「だってつまようじ1本しかないんだもん。ほら、熱いうちに」
「熱過ぎるわどう見ても。つかようじだけ渡せばいいだろ」
「じゃあフーってしてやるけちょっと待って」
「いやそうじゃなくて」
しばらく渋ったが一向に遼が懲りず、何なんだその執念は、仕方なくぱくっと口にした。多少は冷めて適温になっていた。
「どう?」
「まぁ……うん、おいしい」
顔を背けつつ返す。
正直味どころじゃないんだが。
「よかった。んじゃ俺も。あ、仁奈は食べんでいいの?」
「今りんご飴と格闘中ー。でも全然なくなる気配がせん」
「はは、なかなかりんごにたどり着かんよね」
「じゃったらコップにお湯入れてそれで飴溶かしたらええよ。うちやったことある。ホットりんごになって、それはそれでありやったよ」
「飴の存在意義ねーじゃん」
祈李の斬新な提案に智士がばっさり突っ込む。
それからわたあめやアイスの屋台を回り、いよいよ遊びに突入することとなった。
「お、あれ金魚釣りだってよ。行ってみね?」
智士が指差す方へ一同が向かう。
金魚すくいじゃないんだ。あんなん去年あったっけ。
たどり着くと、テントの中には水の入った小型プール。覗き込むと、赤や青、緑などカラフルな魚がゆらゆらと漂っている。
「なんだ、おもちゃか。青とかピンクの金魚がほんまにいるんかと思った」
「はっは、生き物の管理は金も手間もかかるけぇの。ほれ、やってくかお前さんら。1回3人までやれるで」
と、店のおじさんが釣り竿と器を渡してくる。
何も考えず受け取ってしまい、智士と祈李のやる気満々勢と共に参加する羽目になった。
「やり方は簡単じゃけ。糸の先の磁石と金魚の口先をうまいことくっつけて釣る。釣れた量に応じて景品があるけぇな。時間は1分。じゃ、始め!」
釣り糸を水の中に入れ、魚に近付けていく。
水に流れがあるせいか、糸も魚も揺れてうまくくっつかない。
「何これ。地味にむず。ゲーセンのUFOキャッチャー並みにむず。まだ2匹やし」
「あ、やっと1匹釣れた。敦輝どんな?」
「まだ0」
「つかじっと見てたらこの金魚、人の顔に見えてくんだけど。俺だけ?」
「言われたらもうそれにしか見えんじゃん。うわー、こんなおっさんおりそう」
「いてたまるか」
そして、試合終了。
結果は智士が5、祈李が3、俺が1。人より器用な自信はないから、まぁこんなものか。
お疲れさんとおじさんから渡されたのは、パイン味の笛キャンディだった。特に好きな味でもなかったため、後でさらっと智士にあげた。
人面魚釣りに改名した方がええよと言い残して次に向かったのは、射的。
台に番号が書かれた様々な形や大きさの的が並んでいる。
「よっしゃ、俺からいくで。これ全員で勝負な。一番少ない弾数で当てられた奴が勝ち」
「ええよ。うちが一発で当てたるけぇ」
「わたしの時誰かりんご飴持っててー」
「やっぱなくなってないんか。にしても1年振りの射的か。楽しみやな」
「遼、お前今回は人に当てんなよ」
全員一致のやる気を見せ、2人ずつ的を撃っていく。
みんな3,4発目で的に弾を当て、箱キャラメルや緑色のカピバラのぬいぐるみ、大仏の練り消し、シマウマの貯金箱をそれぞれ手にしていた。景品マニアックだな。
そして最後の1人、俺の番が回ってきた。
「頑張れよ敦輝。全弾空振りだった去年の雪辱を果たそうぜ」
「8番はやめた方がええよ。今度は紫のカピバラついてくるけ」
「いいじゃんかわいくて。それ撃ったれ―」
「力み過ぎんな。リラックスしてけよ」
声援を受ける中、正面にある的を目掛けて引き金を引く。
続けて4発が外れ、残る最後の1発。
パンッ
コルクの弾が14番の的を倒した。
「おめでとぉ。はいこれ」
屋台の人に渡されたのは、花火セットだった。夏のスーパーでよく見かけるやつか。
小さい頃、遼と椿と3人で毎年のようにやったっけ。
「花火か。いいな、せっかくだし今からやろうよ」
遼の提案に全員賛成し、開けた場所を目指して歩き出した。
屋台のある通りを真っ直ぐ西に進むと川に行き当たる。
そのそばの川原。灯籠流しの会場になった場所。
「うおおお、めっちゃ火花出よる」
「ちょ、こっち来んでや。ごほっ、煙やば」
「どや敦輝。二刀流!」
智士が両手に花火を持ったままポーズを取る。
「三刀流じゃないんか」
「え、さすがに口にくわえる勇気はないわ」
「そんなアグレッシブなことせんでええ」
細い棒の先端から色とりどりの眩しい光が噴射される。火薬の焼ける匂いが辺りに充満する。
噴射花火で盛り上がっている智士と祈李を横目に、仁奈と遼とで線香花火を手にしゃがみ込む。
「これやると大体競うよねー。誰のが最後まで残ってるか」
「そうだね。あ、パチパチってなってきた。そろそろ終わりかな」
「じっと持ってるのだるいな」
「動いたら落ちちゃうじゃん。なるべく揺らさんように…………あ」
俺と遼の持っていた花火の火の玉が、ほぼ同時に落下した。
「あーあ。でも同時ってすごいね。運命共同体かな俺達」
「死なばもろともってか」
「せめて一蓮托生って言ってよ」
大方花火を点火し終え、水入りバケツに燃え残りとなって入れられた。
5人で一か所に集まり、ぐるっと見渡した後遼が口を開いた。
「切りもいいし、今日はこれでお終いにすっか。他に何かやりたい奴おる?」
「いや、うちは十分遊んだけ満足」
「わたしは帰ってりんご飴との格闘続けんとー」
「射的1発命中ができんかったのは悔しいけど、勝負には勝ったしな。また来年リベンジしたろ。敦輝はどうなん?」
「あ、俺は」
終わるのか
みんな帰るのか
でも俺はいなくなる
消えるんだこの世から
俺だけが
嫌だ嫌だ消えたくない嫌だ独りになりたくない怖い助けて嫌だ嫌嫌俺はどうなる嫌だ
「俺は」
嫌だ独りは嫌何でこんなの嫌だ嫌だ怖い独りに嫌しないで俺だけ嫌嫌行かないで怖い怖い待って嫌だ嫌だ何で俺は嫌だ嫌だ遼嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い忘れられたら嫌だ嫌だ
俺は 消えたくない
「ん、なんだよ。やり残したことでもあんの?」
「…………いや、別に、いい」
喉元まで込み上げた感情の渦を必死に飲み込む。
抑えろ。一瞬でも気を抜けば洪水のように溢れ出る。
我慢しろ。絶対に言うな。
これは、俺だけの問題なんだ。
「そうか?浮かない顔しとるけど。あ、もしかして夏休みの課題全然終わっとらんとか?」
「あー、うちも数学のプリント手付けとらん。やっば」
「わたしはあと古典と英語のワークだけー」
「それはだけって言わんだろ。んじゃ明日にでも集まって課題片付け会しようぜ」
「はぁ、やりとうないけどこれ以上成績落とすのはまずいし。ええよ。どこでする」
「わたしん家でどうー。ちょうど明日誰もおらんけ」
「おっ、いいね。そうすっか。敦輝も来るよな」
無理だ だって俺は
「あぁ…………行けたら行く」
「朝起きれたらってことだろ。じゃいつもみたいに遼に目覚ましんなってもらえよ」
「あーごめん。俺も行けたら行く感じになるわ」
笑ってそう言う遼の横顔は、いつも通り。
俺の絶望がにじみ出ているであろう顔にも、喉がつっかえたようなか細い声にもきっと気付いてない。
気付いたらその場で言うはずだから。
…………これで、いいんだ。
元より途中でみんなと別れるつもりだった。こうして解散になったおかげで抜ける口実を作らずに済んでよかった。さもまた明日会えるかのように振る舞って、黙ったままいなくなろうって決めていた。
智士。祈李。仁奈。遼。それに、椿。
最後まで嘘吐いて、ごめん。
今までほんとに楽しかった。ありがとう。
みんな、元気でやれよ。
「じゃ、また明日課題持って集合なー」
「はーい。またねー」
「さらばー」
「また明日ね」
みんな手を振って歩き出す。
遠ざかっていく4人の姿に向かって、俺も小さく手を振った。
自分なりの、精一杯の笑顔を浮かべて。
「さようなら。みんな」
タン…………タン…………タン…………タン…………
薄暗い石階段。
脇に並ぶ石灯籠。
虫も風も草木も鳴りを潜め、階段を上る足音だけが響く。
まるで、じっと見送っているかのよう。
これから消えゆく1つの魂を。
階段が途切れ、目の前の空間が開けた。
そびえ立つ石鳥居をくぐり、真っ直ぐ進む。
周囲を森に囲まれた境内。
左右に置かれた、黒く風化した狛犬。
そして、中央に構えられた拝殿。柱や壁にひびが入り、長い年月雨風にさらされた影響が明確に見て取れる。頭上から差す淡い月光の下でも分かる程、その損傷は大きい。
これが、御魂神社。
足を止め、ぼんやりと建物を眺める。
独りだ。
俺は今、独り。
ここで魂が消えるまで、独りなんだ。
……だめだな。
今になって、寂しくて仕方ない。怖くて仕方ない。
これまでの7日間、何とも思わずに普通に過ごせたのが不思議なくらい、今は心が震えている。
死ぬ時は1人って言うけど、実際トラックに轢かれた時だってそうだったけど、こうもじっくり実感することになるなんて。気を抜けば発狂して叫び出しそうだ。いっそその方が気持ちは楽になるかも。
もう誰も、俺がいたことを覚えてないんじゃないか。
とっくに存在が忘れられて、今この世界で本当に独りきりなんじゃないか。
そんな気がしてくる。
「はぁ…………」
深い溜息が出た。
もうすぐ本当に死ぬっていうのに、なんでこんな気持ちになんなきゃいけないんだ。
何で、俺は生き返ったりなんかしたんだ。
また友達や家族に会ったりしたから、余計別れるのが辛くなった。
こんなに苦しい最後なら、この7日間なんてなければ…………。
「やぁ。月がきれいだね」
突然声がした。
後方に、誰かいる。
この声。まさか。
「…………遼?」
先程別れたはずの同級生が、そこに立っていた。
いつもと変わらない笑みを浮かべて。
だが、暗い境内でぼんやりと照らされたその姿は、どこか不気味に見える。
「なんで…………なんで、お前が…………ここに」
「いい場所だよねぇ、ここは。静かで風情があって。知る人ぞ知る穴場スポットやと俺は思うね」
「そんなんどうでもいい。……何しに来たんだ。遼」
「敦輝に会いに」
微笑みながら、そう言った。
会いにって、なんで行き先が分かって…………いや、それよりも。
また顔を見たら、もっと辛くなるだろ。
やっと諦めがついたと思ったのに。
みんなと別れてから、ずっと胸が痛い。
頼むから、これ以上苦しませんなよ。
「……会いにって、なんだよ。言い忘れたことでもあんの」
「そうだね。まだ訊いてなかったことがあってさ」
「何。さっさと言えよ」
「敦輝。どうだった、最後の夏休みは」
「そんなこと……………………え?」
なんで。
なんで、最後だって知ってるんだ。
「スイカ食べたり、部活行ったり、川遊びしたり、漫画読んだり、お祭り行ったり。1週間で色んなことできたよな。雨の日は家にいるよう言ったから、つーちゃんとも遊べたんじゃない?」
「な…………何、を」
「お前には、目一杯夏休みを楽しんでほしくてさ。でもいきなり突拍子もないこと提案しても混乱すると思って、まぁ結局ベタなイベントばっかになったけど。どうだった、楽しかった?」
「…………あ…………うん」
「ならよかった。やっぱお願いした甲斐があったな」
「お願い?」
「うん。俺どうしても敦輝に会いたかったけぇ。困った時の神頼みってほんとなんやな」
「神…………って、まさか」
ミタマサマ。
灯籠流しの昔話。
神社で祈りを捧げ、死者が蘇った。
それを、やったのか。遼。
「覚えとる?みんなで公園で待ち合わせしとった日。そこにお前が来た時さ、俺心臓止まるかと思った。みんな敦輝も来る前提でおったから分かってはいたけど。でも、ほんとにまた会えたんだって。もう嬉しくて嬉しくて。思いっきり抱きつきたかったけど、怪しまれたらまずいけぇね。色々と」
そう言って笑う。楽しそうな顔で。
それを見つめる俺の心中では、猛烈な嵐が吹き荒れていた。
遼。お前は、分かってたのか。
最初から、俺が死者だって。7日間だけの仮初の命だって。
智士達みんなの認識を、世界そのものを変えていた”辻褄合わせ”が、こいつには働いてなかった。
ずっと真実を隠していたんだ。俺と同じように。
…………なぁ。遼。
お前は、どんな気持ちで俺の隣にいたんだ。どんな気持ちで笑ってたんだ。
__お前が生きててよかった
__親友だと思っとるよ
__もうおらんくなるなよ
一体、どんな心境であんなことを言ったんだ。
「その……ほんとはさ、敦輝に俺の気持ち伝えたかったけど、それで俺にばっか気取られるのもよくないと思って。小さい頃から一緒にいた親友としてそばにおる。その方が…………お前にとっていいはずやから」
「そ……それって、どういう__」
「あ、これ独り言じゃけ気にせんで。さて、そろそろやらんとな」
一瞬表情に差した影をすぐに消し、遼はズボンの後ろのポケットからごそごそと何かを取り出した。
グリップから伸びる太い針のような金属棒。ドライバーに似てるが、先端が異様に鋭い。
まさか…………。
「……遼、それ何だ」
「これ?アイスピックだよ」
「…………なんで、そんなの持ってんだ。ここで氷砕くつもりか」
「だったらよかったねぇ。つってもお酒飲める年齢じゃないけど」
そう言って、鋭利な器具を握ったままこちらへ足を踏み出す。
近付いてくる。
近付いてくる。
笑顔で。
近付いてくる。
俺は動かない。動けない。
全身氷漬けになったように言うことを聞かない。
違う。脳が命令を出せてないんだ。
今ここで何をどうすべきか、全く分からないから。
「なぁ敦輝。人間にとって一番怖いことって何だと思う」
「…………さ、さぁ…………何だろう、な」
「分からん?やったら教えてあげよっか」
遼が目の前に来た。
そのまま素早く俺の背後に回り、首に片腕を回してぎゅっと力を入れた。
背中に体が密着する。じんわりと遼の体温が伝わってくる。
「それはな、独りになることなんよ」
右耳にそっと囁かれる。
吐く息がかかり、ぞわっとした感覚が背筋を駆け抜ける。
「誰も自分のことを知らんのんじゃないか。存在が消えてしまったんじゃないか。そう思うと苦しくて寂しくて怖くなる。お前もさっき思っとったんじゃないんか。独りは嫌だ。誰かそばにおってほしいって」
「…………そ……れは」
「じゃけぇさ、俺はずっと敦輝のそばにおるよ。どこだろうとお前についていくって、ずっとずっと前に決めたけ」
首の真後ろに何かが当てられる。
恐らく、アイスピックの鋭い先端。
「こうせんと、お前の魂がちゃんと成仏できんって言われとんよ。大丈夫、絶対外さんから。色々調べたけど、お前をできるだけ傷つけずにすぐ終わらせる方法がこれしか思いつかんかった。練習は一杯したけ安心して」
「あ…………ぁあ…………」
安心しろって
そんなのできるわけない
俺にはもう、お前が分からん
境内で最初に姿を見た時から、ずっと違和感があった
遼のはずなのに、遼じゃない
全く別のナニカが乗り移って喋ってるみたい
お前は誰だ
お前は何なんだ
何でこんなことするんだでもお前はこんなの遼じゃない何でお前は誰だ殺すのか俺をお前が何でやめろでも独りはどうして嫌だ遼そんなことさせるわけには何でだお前はやめろこんなの狂っとる何で遼でもお前は目を覚ませ遼何で独りは嫌だやめろなぁ遼
「なんで」
「うん?」
「なんで、そこまでする。俺のために。なんで」
必死に絞り出した声に反応してか、首に回された左腕がするっと動いた。
遼の手が胸の上に当てられる。ちょうど心臓の位置。
ドクドクと速い鼓動が手のひらに伝わっていく。
しばらく沈黙した後、遼ははっきりとした口調で言った。
「なんでって、そんなん決まっとる。俺にとって、敦輝のことが誰よりも何よりも大切なんよ。たとえ魂だけになっても、お前のそばにいる。絶対独りにはせんから」
胸に当てた手がぎゅっと握られる。
強く。強く。
……………………
…………ああ、そうか。そうだったんか。
お前は最初から、そうするつもりだったんか。
あの暑い日、木の下で再会してから、ずっと。
強張っていた肩からすっと力が抜けていった。
触れ合う体から伝わる熱が、全身を包む。
もう、俺がここで言えることは、これくらいしかない。
真っ黒な空を見上げ、振り返らずに、告げた。
「遼。先にいっとるけ、ちゃんと来いよ」
「うん。ちょっとだけ待っとって、敦輝。必ずいくけ」
嬉しそうに返す声に、ふっと笑みが漏れた。
そうよな。昔からお前は、俺がどこへ行くにもついてきとった。
お前がいれば、それだけで寂しくなかった。
なぁ、遼。
お前が伝えたかった気持ちが、やっと分かった気がする。
きっと同じなんだ。俺と。
俺もずっと、お前のことが
下階から呼ぶ声がする。
自室を出て階段を下りると、浴衣姿の椿が立っていた。
白い生地にあしらわれた青い花々。帯は水色の縞模様。
「お前そんなの持っとったんか」
「ちょっと前に新しく買ってもらったやつなんよ。どう」
「涼しそうでいいんじゃね。色的に」
椿にしては、多少大人っぽい雰囲気になっているように見える。
「で、結べばいいんか。ゴムは」
「これ。上の方でね」
「短いのにか。落ちてこんか髪」
「後でピンで止めて」
「はいよ」
艶のある黒髪に指を通し、ブラシでといていく。
昔はよく下手くそとだめ出しをされていたが、次第に言われなくなった。慣れるもんだな、長くやってると何でも。
「そういえば、最近にぃやけに素直よね。うちが何かたのんでも2回に1回はやだって言うのに」
「俺が素直だったらおかしいか」
「だって、なんかきもい」
「お前な、頼み事してる相手にそういうこと言うのやめろや。変な髪型んなっても知らんぞ」
「はぁ?ぜったいやめてよ!」
「冗談じゃけ動くな。ほら、ピン貸せ」
まとまった髪にヘアピンを差し込み、完成。
ありがとうと言って廊下を慌ただしく駆けていく椿。元気だな小学生。
後を追って玄関に行くと、下駄を履いているところだった。
「もう出かけるん」
「うん。あーちゃん家に集合やから」
「そっか。気ぃ付けてけよ、椿」
「はーい」
ドアが開く。むっとする空気が流れ込んでくる。
一歩外に出た途端椿は足を止め、そのままくるっと振り返った。
水槽に沈んだビー玉のような目がじっと見つめてくる。
「……ねぇ、にぃ。今日の夜さ、帰ってくるよね」
「はぁ?何言っとんいきなり」
「そのさ、帰ったらいっしょにホラー実況見てほしいけぇさ」
「慣れたんじゃなかったか」
「今週のライフハザード実況めっちゃやばいの。もうゾンビっていうかでっかいタコの化け物みたいなんが__」
「いいからさっさと行け。遅れるぞ」
パタンとドアが閉まり、熱気が途切れる。
静かになった玄関に1人佇む。
ごめんな。俺はもう、ここに帰ってこないんだ。
階段を上がり、部屋に戻る。
時計を見ると、現在5時半。出るには少し早いかな。
カナカナカナカナカナカナ…………
開いた窓から蜩の声が聞こえる。
…………うるさいな。分かったよ。
スマホをポケットに入れ、身支度をする。
意思のないただ無機質な声。そのはずなのに、どこか呼ばれているような気がする。
玄関に下り靴を履く。ドアノブを掴み、一度だけ振り返った。
「…………いってきます」
ピッピーピーロロッピッピッピー…………
どこかのラジカセから雑っぽい祭囃子が聞こえてくる。
真っ直ぐな大通りの両側に沿って並ぶ屋台。紺色の空には紐で繋がれた琥珀色の提灯群。漂う焼き物の匂い。子供のはしゃぎ声や店番の掛け声があちこちで上がる。
「やっぱいいよなー夏祭りって。いつ来てもテンション上がるわ」
目を輝かせて屋台を見回す智士。
ちなみに祈李と仁奈は浴衣ではなかった。椿然り女子は大抵着るものと思っていたが。理由を訊いてみると、
「あれどうも動き辛いんよね。うち本気でゲーム勝負したいけぇさ。この方が全力出せる」
「浴衣って着るのめんどいじゃーん。楽にいきたいー」
ほぼ正反対のモチベーションの回答だった。まぁ意見は人それぞれだ。
「どっから回ろっか。行きたい店あったら言ってよ」
いつにも増して柔軟性の高い笑顔の遼。余程楽しみだったんだな、こいつも。
まずは食べ物系を回ろうということになり、早速すぐそばの屋台に飛び込む。
熱々だよーと遼から手渡されたのは、鯛焼きだった。
「魚とか動物の形したものってさ、なんか頭から食べたくなるよね。なんでかね」
「さぁ。別に尾から食う奴もおるだろ」
「あれかな、本能ってやつ?鳥が絶対魚を頭から飲み込むみたいに」
「お前は魚を丸飲みするんか。えらい消化器官やな」
「ちりめんくらいならいけるで。じゃあ鳥ってすごいな。いただきまーす」
はむっと鯛の頭部にかじりつく。一口でか。
「んー、めっはあんほはいっへておいひーほ」
「食べながら喋んな」
自分も一口頭をかじる。
熱い。あんこが甘くておいしい。
食べ終わる頃には智士達は他の店へ行っており、紙パックを2つ手にして戻ってきた。
差し出されたのは、たこ焼き。
「コンビニで買ったんは大してたこ入ってないけどさ、屋台のって結構詰まっとるよな」
「よね。これうちらで分けるけ、そっち遼達で食べんさい」
「ありがと。はい敦輝、あーん」
と、湯気の立つうちの1つにつまようじを刺し、こちらへ差し出してくる。
「……それは、俺が食うんか」
「だってつまようじ1本しかないんだもん。ほら、熱いうちに」
「熱過ぎるわどう見ても。つかようじだけ渡せばいいだろ」
「じゃあフーってしてやるけちょっと待って」
「いやそうじゃなくて」
しばらく渋ったが一向に遼が懲りず、何なんだその執念は、仕方なくぱくっと口にした。多少は冷めて適温になっていた。
「どう?」
「まぁ……うん、おいしい」
顔を背けつつ返す。
正直味どころじゃないんだが。
「よかった。んじゃ俺も。あ、仁奈は食べんでいいの?」
「今りんご飴と格闘中ー。でも全然なくなる気配がせん」
「はは、なかなかりんごにたどり着かんよね」
「じゃったらコップにお湯入れてそれで飴溶かしたらええよ。うちやったことある。ホットりんごになって、それはそれでありやったよ」
「飴の存在意義ねーじゃん」
祈李の斬新な提案に智士がばっさり突っ込む。
それからわたあめやアイスの屋台を回り、いよいよ遊びに突入することとなった。
「お、あれ金魚釣りだってよ。行ってみね?」
智士が指差す方へ一同が向かう。
金魚すくいじゃないんだ。あんなん去年あったっけ。
たどり着くと、テントの中には水の入った小型プール。覗き込むと、赤や青、緑などカラフルな魚がゆらゆらと漂っている。
「なんだ、おもちゃか。青とかピンクの金魚がほんまにいるんかと思った」
「はっは、生き物の管理は金も手間もかかるけぇの。ほれ、やってくかお前さんら。1回3人までやれるで」
と、店のおじさんが釣り竿と器を渡してくる。
何も考えず受け取ってしまい、智士と祈李のやる気満々勢と共に参加する羽目になった。
「やり方は簡単じゃけ。糸の先の磁石と金魚の口先をうまいことくっつけて釣る。釣れた量に応じて景品があるけぇな。時間は1分。じゃ、始め!」
釣り糸を水の中に入れ、魚に近付けていく。
水に流れがあるせいか、糸も魚も揺れてうまくくっつかない。
「何これ。地味にむず。ゲーセンのUFOキャッチャー並みにむず。まだ2匹やし」
「あ、やっと1匹釣れた。敦輝どんな?」
「まだ0」
「つかじっと見てたらこの金魚、人の顔に見えてくんだけど。俺だけ?」
「言われたらもうそれにしか見えんじゃん。うわー、こんなおっさんおりそう」
「いてたまるか」
そして、試合終了。
結果は智士が5、祈李が3、俺が1。人より器用な自信はないから、まぁこんなものか。
お疲れさんとおじさんから渡されたのは、パイン味の笛キャンディだった。特に好きな味でもなかったため、後でさらっと智士にあげた。
人面魚釣りに改名した方がええよと言い残して次に向かったのは、射的。
台に番号が書かれた様々な形や大きさの的が並んでいる。
「よっしゃ、俺からいくで。これ全員で勝負な。一番少ない弾数で当てられた奴が勝ち」
「ええよ。うちが一発で当てたるけぇ」
「わたしの時誰かりんご飴持っててー」
「やっぱなくなってないんか。にしても1年振りの射的か。楽しみやな」
「遼、お前今回は人に当てんなよ」
全員一致のやる気を見せ、2人ずつ的を撃っていく。
みんな3,4発目で的に弾を当て、箱キャラメルや緑色のカピバラのぬいぐるみ、大仏の練り消し、シマウマの貯金箱をそれぞれ手にしていた。景品マニアックだな。
そして最後の1人、俺の番が回ってきた。
「頑張れよ敦輝。全弾空振りだった去年の雪辱を果たそうぜ」
「8番はやめた方がええよ。今度は紫のカピバラついてくるけ」
「いいじゃんかわいくて。それ撃ったれ―」
「力み過ぎんな。リラックスしてけよ」
声援を受ける中、正面にある的を目掛けて引き金を引く。
続けて4発が外れ、残る最後の1発。
パンッ
コルクの弾が14番の的を倒した。
「おめでとぉ。はいこれ」
屋台の人に渡されたのは、花火セットだった。夏のスーパーでよく見かけるやつか。
小さい頃、遼と椿と3人で毎年のようにやったっけ。
「花火か。いいな、せっかくだし今からやろうよ」
遼の提案に全員賛成し、開けた場所を目指して歩き出した。
屋台のある通りを真っ直ぐ西に進むと川に行き当たる。
そのそばの川原。灯籠流しの会場になった場所。
「うおおお、めっちゃ火花出よる」
「ちょ、こっち来んでや。ごほっ、煙やば」
「どや敦輝。二刀流!」
智士が両手に花火を持ったままポーズを取る。
「三刀流じゃないんか」
「え、さすがに口にくわえる勇気はないわ」
「そんなアグレッシブなことせんでええ」
細い棒の先端から色とりどりの眩しい光が噴射される。火薬の焼ける匂いが辺りに充満する。
噴射花火で盛り上がっている智士と祈李を横目に、仁奈と遼とで線香花火を手にしゃがみ込む。
「これやると大体競うよねー。誰のが最後まで残ってるか」
「そうだね。あ、パチパチってなってきた。そろそろ終わりかな」
「じっと持ってるのだるいな」
「動いたら落ちちゃうじゃん。なるべく揺らさんように…………あ」
俺と遼の持っていた花火の火の玉が、ほぼ同時に落下した。
「あーあ。でも同時ってすごいね。運命共同体かな俺達」
「死なばもろともってか」
「せめて一蓮托生って言ってよ」
大方花火を点火し終え、水入りバケツに燃え残りとなって入れられた。
5人で一か所に集まり、ぐるっと見渡した後遼が口を開いた。
「切りもいいし、今日はこれでお終いにすっか。他に何かやりたい奴おる?」
「いや、うちは十分遊んだけ満足」
「わたしは帰ってりんご飴との格闘続けんとー」
「射的1発命中ができんかったのは悔しいけど、勝負には勝ったしな。また来年リベンジしたろ。敦輝はどうなん?」
「あ、俺は」
終わるのか
みんな帰るのか
でも俺はいなくなる
消えるんだこの世から
俺だけが
嫌だ嫌だ消えたくない嫌だ独りになりたくない怖い助けて嫌だ嫌嫌俺はどうなる嫌だ
「俺は」
嫌だ独りは嫌何でこんなの嫌だ嫌だ怖い独りに嫌しないで俺だけ嫌嫌行かないで怖い怖い待って嫌だ嫌だ何で俺は嫌だ嫌だ遼嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い忘れられたら嫌だ嫌だ
俺は 消えたくない
「ん、なんだよ。やり残したことでもあんの?」
「…………いや、別に、いい」
喉元まで込み上げた感情の渦を必死に飲み込む。
抑えろ。一瞬でも気を抜けば洪水のように溢れ出る。
我慢しろ。絶対に言うな。
これは、俺だけの問題なんだ。
「そうか?浮かない顔しとるけど。あ、もしかして夏休みの課題全然終わっとらんとか?」
「あー、うちも数学のプリント手付けとらん。やっば」
「わたしはあと古典と英語のワークだけー」
「それはだけって言わんだろ。んじゃ明日にでも集まって課題片付け会しようぜ」
「はぁ、やりとうないけどこれ以上成績落とすのはまずいし。ええよ。どこでする」
「わたしん家でどうー。ちょうど明日誰もおらんけ」
「おっ、いいね。そうすっか。敦輝も来るよな」
無理だ だって俺は
「あぁ…………行けたら行く」
「朝起きれたらってことだろ。じゃいつもみたいに遼に目覚ましんなってもらえよ」
「あーごめん。俺も行けたら行く感じになるわ」
笑ってそう言う遼の横顔は、いつも通り。
俺の絶望がにじみ出ているであろう顔にも、喉がつっかえたようなか細い声にもきっと気付いてない。
気付いたらその場で言うはずだから。
…………これで、いいんだ。
元より途中でみんなと別れるつもりだった。こうして解散になったおかげで抜ける口実を作らずに済んでよかった。さもまた明日会えるかのように振る舞って、黙ったままいなくなろうって決めていた。
智士。祈李。仁奈。遼。それに、椿。
最後まで嘘吐いて、ごめん。
今までほんとに楽しかった。ありがとう。
みんな、元気でやれよ。
「じゃ、また明日課題持って集合なー」
「はーい。またねー」
「さらばー」
「また明日ね」
みんな手を振って歩き出す。
遠ざかっていく4人の姿に向かって、俺も小さく手を振った。
自分なりの、精一杯の笑顔を浮かべて。
「さようなら。みんな」
タン…………タン…………タン…………タン…………
薄暗い石階段。
脇に並ぶ石灯籠。
虫も風も草木も鳴りを潜め、階段を上る足音だけが響く。
まるで、じっと見送っているかのよう。
これから消えゆく1つの魂を。
階段が途切れ、目の前の空間が開けた。
そびえ立つ石鳥居をくぐり、真っ直ぐ進む。
周囲を森に囲まれた境内。
左右に置かれた、黒く風化した狛犬。
そして、中央に構えられた拝殿。柱や壁にひびが入り、長い年月雨風にさらされた影響が明確に見て取れる。頭上から差す淡い月光の下でも分かる程、その損傷は大きい。
これが、御魂神社。
足を止め、ぼんやりと建物を眺める。
独りだ。
俺は今、独り。
ここで魂が消えるまで、独りなんだ。
……だめだな。
今になって、寂しくて仕方ない。怖くて仕方ない。
これまでの7日間、何とも思わずに普通に過ごせたのが不思議なくらい、今は心が震えている。
死ぬ時は1人って言うけど、実際トラックに轢かれた時だってそうだったけど、こうもじっくり実感することになるなんて。気を抜けば発狂して叫び出しそうだ。いっそその方が気持ちは楽になるかも。
もう誰も、俺がいたことを覚えてないんじゃないか。
とっくに存在が忘れられて、今この世界で本当に独りきりなんじゃないか。
そんな気がしてくる。
「はぁ…………」
深い溜息が出た。
もうすぐ本当に死ぬっていうのに、なんでこんな気持ちになんなきゃいけないんだ。
何で、俺は生き返ったりなんかしたんだ。
また友達や家族に会ったりしたから、余計別れるのが辛くなった。
こんなに苦しい最後なら、この7日間なんてなければ…………。
「やぁ。月がきれいだね」
突然声がした。
後方に、誰かいる。
この声。まさか。
「…………遼?」
先程別れたはずの同級生が、そこに立っていた。
いつもと変わらない笑みを浮かべて。
だが、暗い境内でぼんやりと照らされたその姿は、どこか不気味に見える。
「なんで…………なんで、お前が…………ここに」
「いい場所だよねぇ、ここは。静かで風情があって。知る人ぞ知る穴場スポットやと俺は思うね」
「そんなんどうでもいい。……何しに来たんだ。遼」
「敦輝に会いに」
微笑みながら、そう言った。
会いにって、なんで行き先が分かって…………いや、それよりも。
また顔を見たら、もっと辛くなるだろ。
やっと諦めがついたと思ったのに。
みんなと別れてから、ずっと胸が痛い。
頼むから、これ以上苦しませんなよ。
「……会いにって、なんだよ。言い忘れたことでもあんの」
「そうだね。まだ訊いてなかったことがあってさ」
「何。さっさと言えよ」
「敦輝。どうだった、最後の夏休みは」
「そんなこと……………………え?」
なんで。
なんで、最後だって知ってるんだ。
「スイカ食べたり、部活行ったり、川遊びしたり、漫画読んだり、お祭り行ったり。1週間で色んなことできたよな。雨の日は家にいるよう言ったから、つーちゃんとも遊べたんじゃない?」
「な…………何、を」
「お前には、目一杯夏休みを楽しんでほしくてさ。でもいきなり突拍子もないこと提案しても混乱すると思って、まぁ結局ベタなイベントばっかになったけど。どうだった、楽しかった?」
「…………あ…………うん」
「ならよかった。やっぱお願いした甲斐があったな」
「お願い?」
「うん。俺どうしても敦輝に会いたかったけぇ。困った時の神頼みってほんとなんやな」
「神…………って、まさか」
ミタマサマ。
灯籠流しの昔話。
神社で祈りを捧げ、死者が蘇った。
それを、やったのか。遼。
「覚えとる?みんなで公園で待ち合わせしとった日。そこにお前が来た時さ、俺心臓止まるかと思った。みんな敦輝も来る前提でおったから分かってはいたけど。でも、ほんとにまた会えたんだって。もう嬉しくて嬉しくて。思いっきり抱きつきたかったけど、怪しまれたらまずいけぇね。色々と」
そう言って笑う。楽しそうな顔で。
それを見つめる俺の心中では、猛烈な嵐が吹き荒れていた。
遼。お前は、分かってたのか。
最初から、俺が死者だって。7日間だけの仮初の命だって。
智士達みんなの認識を、世界そのものを変えていた”辻褄合わせ”が、こいつには働いてなかった。
ずっと真実を隠していたんだ。俺と同じように。
…………なぁ。遼。
お前は、どんな気持ちで俺の隣にいたんだ。どんな気持ちで笑ってたんだ。
__お前が生きててよかった
__親友だと思っとるよ
__もうおらんくなるなよ
一体、どんな心境であんなことを言ったんだ。
「その……ほんとはさ、敦輝に俺の気持ち伝えたかったけど、それで俺にばっか気取られるのもよくないと思って。小さい頃から一緒にいた親友としてそばにおる。その方が…………お前にとっていいはずやから」
「そ……それって、どういう__」
「あ、これ独り言じゃけ気にせんで。さて、そろそろやらんとな」
一瞬表情に差した影をすぐに消し、遼はズボンの後ろのポケットからごそごそと何かを取り出した。
グリップから伸びる太い針のような金属棒。ドライバーに似てるが、先端が異様に鋭い。
まさか…………。
「……遼、それ何だ」
「これ?アイスピックだよ」
「…………なんで、そんなの持ってんだ。ここで氷砕くつもりか」
「だったらよかったねぇ。つってもお酒飲める年齢じゃないけど」
そう言って、鋭利な器具を握ったままこちらへ足を踏み出す。
近付いてくる。
近付いてくる。
笑顔で。
近付いてくる。
俺は動かない。動けない。
全身氷漬けになったように言うことを聞かない。
違う。脳が命令を出せてないんだ。
今ここで何をどうすべきか、全く分からないから。
「なぁ敦輝。人間にとって一番怖いことって何だと思う」
「…………さ、さぁ…………何だろう、な」
「分からん?やったら教えてあげよっか」
遼が目の前に来た。
そのまま素早く俺の背後に回り、首に片腕を回してぎゅっと力を入れた。
背中に体が密着する。じんわりと遼の体温が伝わってくる。
「それはな、独りになることなんよ」
右耳にそっと囁かれる。
吐く息がかかり、ぞわっとした感覚が背筋を駆け抜ける。
「誰も自分のことを知らんのんじゃないか。存在が消えてしまったんじゃないか。そう思うと苦しくて寂しくて怖くなる。お前もさっき思っとったんじゃないんか。独りは嫌だ。誰かそばにおってほしいって」
「…………そ……れは」
「じゃけぇさ、俺はずっと敦輝のそばにおるよ。どこだろうとお前についていくって、ずっとずっと前に決めたけ」
首の真後ろに何かが当てられる。
恐らく、アイスピックの鋭い先端。
「こうせんと、お前の魂がちゃんと成仏できんって言われとんよ。大丈夫、絶対外さんから。色々調べたけど、お前をできるだけ傷つけずにすぐ終わらせる方法がこれしか思いつかんかった。練習は一杯したけ安心して」
「あ…………ぁあ…………」
安心しろって
そんなのできるわけない
俺にはもう、お前が分からん
境内で最初に姿を見た時から、ずっと違和感があった
遼のはずなのに、遼じゃない
全く別のナニカが乗り移って喋ってるみたい
お前は誰だ
お前は何なんだ
何でこんなことするんだでもお前はこんなの遼じゃない何でお前は誰だ殺すのか俺をお前が何でやめろでも独りはどうして嫌だ遼そんなことさせるわけには何でだお前はやめろこんなの狂っとる何で遼でもお前は目を覚ませ遼何で独りは嫌だやめろなぁ遼
「なんで」
「うん?」
「なんで、そこまでする。俺のために。なんで」
必死に絞り出した声に反応してか、首に回された左腕がするっと動いた。
遼の手が胸の上に当てられる。ちょうど心臓の位置。
ドクドクと速い鼓動が手のひらに伝わっていく。
しばらく沈黙した後、遼ははっきりとした口調で言った。
「なんでって、そんなん決まっとる。俺にとって、敦輝のことが誰よりも何よりも大切なんよ。たとえ魂だけになっても、お前のそばにいる。絶対独りにはせんから」
胸に当てた手がぎゅっと握られる。
強く。強く。
……………………
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