真宵の天窓

桜部ヤスキ

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第1章 闇を孕む者達の邂逅

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 4月。
 桜の木には薄桃色の花が咲き誇り、暖かな空気をまとった風が青空に花片を舞い上げる。公園や通学路、学校内、そしてもちろん山の中。あらゆる場所で春らしい和やかな光景を目にすることができる。
 全身桃色に染まった山を間近に一望できる場所にあるのが、ひがしおか高校。
 都会から離れた田舎町の、可もなく不可もない偏差値を有する公立学校。先週入学式を終え、すでに新学期が始まって数日経つ。
 新入生が加わり、在校生のクラス替えも行われ新鮮な顔ぶれとなる中、2年1組の教室ではまた新しい風が吹いていた。

七森荒神ななもりこうじん高校から転校してきました、辻宗つじむね弥央やひろです。よろしくお願いします」

 教壇に立ち、一礼する少年。
 紫紺の髪に薄灰色の細い瞳。知的な雰囲気を漂わせる黒縁眼鏡。人懐っこそうな笑みを浮かべた表情。
 教室中の好奇の視線を一気に受け、みんなすごい見てるな、と少年は心の中で感心する。
「引っ越してきたばかりで分からないことも多いでしょうから、皆さん色々教えてあげてください」
 担任の男性教師が紹介を締めくくり、弥央は示された席へ向かう。場所は窓際から2列目の、後方から3番目。
 椅子に座ると、早速振り返る。
「なぁお前、名前は?」
「えっ?」
 唐突の問いかけに驚いた顔をする、背後の席の少年。
 砂色の所々跳ねた髪にくすんだ橙眼。体格は弥央とあまり変わらず、大人しげでガードの緩そうな雰囲気をまとっている。
「名前だよ。自分の名前」
「えっと、名神累人だよ」
「ながみるいと。へぇ」
 弥央は机上に置かれているノートへ目を向ける。表紙に書かれた氏名へ。
「累人、か。これからよろしく、累人。おれのことは弥央って呼んで」
「うん。よろしく、弥央」
 笑顔でグイグイ話を進める勢いに押されつつも、累人は笑って返す。
 言葉を交わして1分も経たないうちに、2人は打ち解けた。



 休憩時間。
 弥央の机の周りには人だかりができていた。
「どこから来たの?」
「なんで転校してきたんだ?」
「部活とか決めた?」
「勉強とかできる方?」
 矢継ぎ早に質問が繰り出される。
 七森荒神っていう田んぼだらけの町から。親の仕事の都合で。まだ決めてない。勉強はキライだな。
 一言ずつさくさくと答えていき、ようやく人がはける。弥央は後ろの席に向き直り、
「みんなすごい。おれに興味シンシンだ」
「仲良くなりたいって表明なんだよ」
 柔和な笑みを浮かべて累人が言う。
 仲良く、ね。まぁ早くこの場所になじむにはそうするのが一番だよな。
 内心そう呟き、弥央は会話を続ける。
「おれは累人に興味あるな。一目でなんかシンキン感わいた」
「そうなのか?実は俺も」
「ほんと?じゃあシンクロだ」
「俺、去年の4月は1週間遅れで学校始まったから、ちょっと境遇似てるなって」
「へぇー。なんでまた」
「まぁその、自転車でこけてね。傷跡が残るくらいの怪我を負って入院してて」
 悲惨な記憶を思い出したのか、苦い顔をする累人。
「えぇー。大丈夫だったのかそれ。去年ってことは入学したばっかり?あれだ、お先真っ黒」
「はは、あの時も友達に似たようなこと言われたよ。確かに1年生の時はずっと波瀾な日々だったな。今年はもう少し平和なことを願いたい」
「めちゃくちゃスリル満タンだったってこと?聞きたい」
「いや、話せるようなことじゃないって。あと弥央、さっきから気になってるんだけど眼鏡ずれてない?」
「ん。ドーリで見えづらいと思った」
「なんで気付かないの」
 人差し指で眼鏡を押し上げる。これがないと目の前の累人の顔すらぼやけてしまう。
 和やかに談笑しているところへ、男子生徒が一人近付いてきた。

 目元が隠れそうな程の真っ直ぐな黒髪。刃物のように鋭い目つき。陶器のような白い肌。端正な顔立ち。

 累人の机の隣に立ち、抑揚の少ない低音で話す。
「名神。悪いが数学の教科書貸してくれるか」
「いいよ。柳が忘れ物なんて珍しいね」
 累人は机を漁り、教科書を引っ張り出して黒髪の生徒に渡す。
 弥央はそのやりとりをじっと眺めていたが、
「やなぎ…………いちや?」
「何だ」
 呟きに反応して生徒が振り向く。エメラルド色の瞳が弥央に向けられる。
 一致する2人の視線。
 次の瞬間、弥央の中で感激の花火が一気に弾けた。
「一夜!ほんとに一夜か!」
「なっ、ちょ」
 弥央が立ち上がって勢いよく飛びつき、2人して危うく倒れそうになる。
「やっぱりここにいたんだ一夜。よかったぁー、当たってて」
「何…………っ、離れろっ」
 呆気に取られていた一夜は我に返り、慌てて弥央を押し戻す。
「何だお前。なんで俺のこと知って……」
 一歩下がり、この世に存在してはいけないものを見るような目で睨みつける。
 弥央はまるで意に介さないようにニカッと笑顔を浮かべ、堂々と名乗る。
「おれは辻宗弥央。覚えてない?小学生の時いっしょにあそんだの」
「やひろ…………弥央か」
 険悪な表情の中、思い当たったというように鋭い目元を緩める。
「確か、並木公園で……」
「そうそう!あのでっかい青いタヌキの遊具がある公園」
「どんな遊具だそれ。あっごめん、ツッコんじゃった」
 申し訳ないという顔をする累人。
「名神、その指摘は間違ってない。あれは正確にはネコだ」
「青いネコ……?あ、そういうことか」
「なんでネコって分かるの?あんなに丸っこくて耳もないのに」
「それはそういうキャラ設定で……って明らかに脱線してるよねこれ。もう俺黙っとくから続けて」
 累人は手を振って先を促す。
「えっと、何の話だっけ」
「俺とお前は小学生の頃に交流があったって話だろ」
 一夜が険しい表情のまま言う。
「そうそう。途中で一夜が遠くへ行って、それきり会ってなくて…………何年かな」
「俺が引っ越したのが5年生の夏だったから、約6年」
「そか。6年って長いか?短い?」
「さぁ。……長いんじゃないのか」
「まーとにかく、おれはまた一夜に会えてうれしい。な!」
「……そうか」
 明と暗、まるで正反対のテンションの2人。
 それを傍から眺めていた累人が恐る恐る手を挙げる。
「あの、喋っていい?」
「どーぞー」
「2人は今、数年振りの感動の再会を果たしたわけだよね?」
「そーだね」
「それって、めでたいことだよね?」
「うん。めっちゃうれしい」
「…………」
 笑顔で頷く弥央に対し、押し黙ったままの一夜。
「あの、柳。そこも無言だと否定のサインになるけど……」
「なんでこいつと同じテンションになる必要がある。それに…………いや、何でもない。この話は保留だ」
 目を伏せつつ、一夜は足早に教室を出ていった。残された2人は無言でしばし顔を見合わせる。
 先に口火を切ったのは累人だった。
「その、弥央。柳って不機嫌以外の感情は表に出にくいから、あまり気にしないで。って、弥央の方が知ってるか」
「どーかな。知ってるって言ってもおれは…………あ、またずれてた」
 眼鏡をくいっと上げる。すると累人は感心したような顔で、
「でもすごい偶然だよね。小学校の時片方が転校していって、数年後にもう片方が転校してきて再会するなんて」
「偶然じゃない。がんばって探したんだ」
「探した?」
 弥央の言葉に首を傾げたところへ、授業開始のチャイムが鳴った。立っていた生徒が慌ただしく席に着く。
「累人、次何だっけ」
「古典」
「あれかー。前からギモンだったんだけど、なんで今の時代使ってない言葉をわざわざ勉強すんだ?」 
「今更言うの。それだったら数学だって将来絶対使わないよ。方程式とか関数とか」
「じゃあ全部ムダなのか」
「まぁ、今は無駄に思えるけどいつかは役に立つかも的な感じじゃない」
「いつか、ねぇ」
「あ、先生来たよ」
 促されて前を向くと、ちょうど気難しい顔をした中年男性が教壇に立つところだった。
 また退屈な時間がやってきた。
 憂鬱な気分を全面的に顔に出しつつ、弥央は教科書を出そうと机の中を漁り始めた。



 放課後。
 東が丘高校の校舎は北棟と南棟に分かれ、それぞれの中央から伸びる渡り廊下により1階から5階まで繋がっている。南棟は1年生から3年生までの教室、北棟は音楽室や化学室などの特別教室が集まっている。2つの建物と渡り廊下に囲まれたコの字型の空間の片側には、地面をアスファルトで覆いベンチをいくつか配置しただけの殺風景な中庭がある。
 校舎全体をぐるりと見て回った弥央は、満足した様子で教室に戻る。
 南棟4階の最西端、2年1組。その隣の2組の教室を覗くと、窓際最後尾の席に座る一人の生徒がいた。
 弥央は室内に入り、真っ直ぐその席へ近付いていく。
「よっ、一夜。まだいたんだ」
 最後尾の一つ手前の席に腰を下ろしながら声をかける。
 一夜は頬杖をついたまま鋭い目線をちらっと向け、再び窓の外に戻す。傾いた日差しが憂鬱げな横顔を照らす。
「何しに来た」
「ひまだから話そーと思って。一夜こそ何してたの」
「別に」
「そっか。じゃあ続きできるな」
「何の」
「今朝の。おれのこと覚えてるかって話」
「はっきりとした記憶はないって言っただろ。6年も前のことだ」
「じゃあぼんやりしたやつでいいから。なんかないの」
 仕方ないというように弥央の方へ顔を向ける。脳内の映像をあれこれ漁っているのか、しばしの間沈黙してから口を開いた。
「あの頃は居場所がなくて、よく公園で一人うずくまっていた。そこにお前が声をかけてきたのか」
「そうそう。いっしょに世界一ピカピカなドロだんご作ろうよ、だったかな」
「そんなこと言ったのか。よくその後も関係が続いたな」
 意外そうな一夜にニッと笑い返し、
「親友になったってことだよ。ドロだんご作りで」
「そのせいかはともかく、気が紛れたのは確かだろうな。あの頃も色々あったから」
 言いつつ表情に影が差す。が、一瞬ののちに元の無に近い状態に戻る。
 弥央はそれを黙って捉えながら、さらに続ける。
「おたがい学校は違ってたけど、ある時たまたま公園で出会って、そのうち放課後に集まってあそぶようになった。おれがいくら走っていっても、いつも一夜が先に着いてたっけ」
「単純に距離の問題だろ」
「でも一夜だって楽しみにしてたから来てくれたんだよな。あ、そうだ。ひみつ基地つくったの覚えてるか。しげみの中のでっかい木のそばにさ、拾った石とか木の実とか置いてたの」
「あった気もするな、そんなことも」
「あとは大体追いかけっこしてたな。へとへとになるまで公園中走り回ってた。今だったらわりとしんどいだろうなぁ。それで、1年も経たないうちに一夜が引っ越したんだよな。見送りの日はひどい雨で、遠ざかる車に向かってボロボロに泣きながらずっと手を振ってた」
 会話の間、弥央は目の前の旧友へじっと視線を注いでいた。
 記憶にある幼い少年の面影より幾分も大人びている。純粋無垢を宿していた和やかな目元は今や鋭利さを湛え、他者に対し壁を作っているような堅固な雰囲気を漂わせる。夕日を帯びた翠の瞳は、ガラスケースに収められた宝石のように美しい。
 滑らかな肌。艶やかな黒髪。血色の薄い唇。白い首筋。細い指。こうして見ているだけで触れたい衝動がこみ上げてくる。どんな手触りだろう。どんな温かさだろう。手を伸ばせばすぐに届く距離にある。
 心臓の鼓動が段々と速くなっている。呼吸もさっきより少し荒い。これは、この感覚は…………。
「何だその顔」
 ふと、催眠術にでもかかったようなぼやけた意識から引き戻される。一夜の細められた瞳がじっと見つめている。
「顔ってどんな?」
「気持ち悪いニヤケ面」
「あはは。ひどいこと言うね」
 ばっさりと言い切る一夜に笑いを返す。机上の伸ばしかけた右手を引っ込める。
 下手に触れるのはやめよう。今朝の一夜の反応からして、可能性が高くなってしまう。
「一夜は全っ然顔動かないな。昔はもっと笑ったり怒ったりしてたよ。オニごっこですぐ捕まえられたらすごくうれしそうにしてさ、逆におれがずっと逃げてたらくやしそうににらんできて」
「そうか。いつまで続くんだ、その思い出話は」
「一夜が思い出すまで」
「そもそもなんでお前はそうはっきり覚えてる」
「そうだねぇ。すごく大事だったってことかな。一夜といっしょに過ごした時間が。一夜もそうでしょ?」
「多分、な。だがどうにも曖昧なままだ。何か大きな出来事があると、それに記憶が占領されるらしい。あの日からずっとそうだ……」
 再び表情に陰りが生じる。窓の外へ逸れた虚ろな目は何を見ているのだろう。
「一夜。それって__」
「柳―。いる?」
 言いかけたところへ廊下から声が聞こえた。リュックを背負った累人が教室に入ってくる。
「部活終わったから帰ろ。あ、弥央もいたんだ」
「おつかれー累人」
 弥央は手を振って応じる。
「部活って、吹奏楽部だっけ」
「うん。今日も合奏で疲れたよ。弥央も一緒に帰る?」
「おう!行こうぜ、一夜」
「待て。手ぶらで帰らせる気か」
 そう言って机の横にかかった鞄に手を伸ばすのを見て、
「あ。おれもカバン持って帰るの忘れるとこだった」
「忘れるか普通」
「今取ってくる。待っててよ、一夜」
「早く行ってこい、弥央」
 呆れの中に薄っすら浮かんだ控えめな笑み。初めて見るその表情に、再び自分の心臓が高鳴るのを感じた。
 そっと胸に手を当て、声に出さず呟く。
 これは一体、何と言うんだろう。


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