真宵の天窓

桜部ヤスキ

文字の大きさ
上 下
1 / 10

プロローグ

しおりを挟む
 灰色の空。
 今にも冷たい雨粒を吐き出しそうな程に重く、暗い。
 住宅街の片隅に位置する方形の敷地。その中心に、木々に囲まれるように建つ古びた木造社殿。その正面から真っ直ぐ伸びる石畳の道の先にあるのは、人の背を優位に越える石鳥居。閑静な空気に満ちたその場所は、まるで時代に見捨てられた廃墟のよう。
 社殿から大木を挟んだ隣には、地面に横たわる一つの岩。大人一人が膝を抱えてうずくまった程の大きさで、長い間雨風にさらされた影響か、全体的に丸みを帯びている。
 その自然物は、今や異様な姿と成り果てていた。
 所々苔の生えた表面にべっとり付着した深紅の液体。まだ乾いておらず、斑な灰黒の岩肌に鮮やかで歪な模様を作る。
 その傍らに、一人の人物が岩の方を向いて横向きに倒れていた。
 泥で汚れたスニーカー。薄緑のズボン。厚手の茶色い上着。
 襟元は、岩同様真っ赤に染まっている。
 首を両断するかのように入った切れ目。ぱっくりと開いた皮膚の間からどくどく流れ出る命の温もりが、硬い地面に滴り落ちて冷たく広がっていく。
 紙のように白い顔は大人と呼ぶにはまだ早いあどけない少年のようで、暗色の乱れた髪が貼り付いている。わずかに開かれた目の先にあるのは、地面に投げ出された右手とカッターナイフ。せり出された刃も、持ち手を握り締める手も、毒々しい程赤い飛沫に濡れている。
 少年は微動だにしない。周囲に人の気配はない。虚しく凍える風が絶え間なく吹きつけ、横たわる体へ刻一刻と終焉を運んでくる。
 やがて少年の乾いた唇が小さく震え、ひどくかすれた音を発した。

「お………ねが……………や…………を………ま、も…………て………………」

 途切れ途切れの言葉を聞き取る者はいない。だが少年の固まった表情に苦痛や絶望はなく、どこか安らかだった。
 口の動きが止まる。か細く吐き出されていた息も止まる。
 開いたままのまぶたから覗く色せた瞳は、完全に光を失った。
 




__真宵まよい天窓てんそう__

しおりを挟む

処理中です...