すでに深淵に落ちている

桜部ヤスキ

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エピローグ

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 ピピピピ ピピピピ ピッ

 ちょうど着替え終わったところで鳴り出す目覚まし時計を拾い、アラームを切る。
 今日は、朝一で映画を見に行く予定。
 朝食と支度をぱぱっと済ませ、玄関に向かう。
 靴を履きドアを開けると、
「あれ、随分早いね。ゆきにしては」
 戒がインターホンを押そうとする姿勢で立っていた。
「たまたまな。じゃ行くか」
「うん」
 頷く戒の隣に寄り、並んで歩き出す。
 そういえば、目覚ましより早く起きるなんて俺にしては確かに珍しい。そんなに今日の予定が楽しみだったんだろうか。
 そう考えると途端に頬が火照ってきた気がした。慌てて頭を振って思考を飛ばし、何事もない顔を作って歩を進める。



 澄んだ空気に満ちた住宅街。
 角を曲がると右手に集会所があり、おじさん2人が立ち話している。
「先週の台風ん時、山崩れたろ。あれ大丈夫か」
「山道はすぐ復旧したらしいぞ。つい昨日行ってきたが、いつもあるヤな気配がなくてな」
「はーん。やっぱ灰神様が守ってくれてるおかげか」
 といった会話をすれ違い様に耳に入れる。
「今のって、本当なのか」
 大分離れたところで当事者に尋ねてみる。
「うん。あれから僕パワーアップしたから、灰ヶ山の治安管理を遠隔操作でできるようになったんだ」
「パワーアップ?」
「気分的にはランクがSからSSになった」
「結構ステータス上がったんだな。まぁよかったんじゃないか。よく分からんけど」
「全部ゆきのおかげだよ」
「俺の?」
 こいつのランクアップに俺がいつ手を貸したんだろうか。
 ご機嫌な戒の横顔をまじまじと見つめる。
「……なぁ、戒」
「なーに?」
「先週の、台風の日のことなんだけどさ」
「うん」
「あの日、俺の部屋でお前と話してて。それから…………お前に、押し倒されたところまでは覚えてんだけど、その後の記憶が全くない。……戒。あれから俺に、何した?」
 恐る恐る尋ねる俺に、いたずらを仕掛けた子供のような思わずムカつきを覚える顔で戒は笑う。
「君は何されたと予想してるの?」
「質問で返すなよ」
「教えてくれてもいいじゃーん。じゃあ、そうだな。あの時のことについて一言感想を言うと…………、おいしかったよ」
「っっ、はぁ?」
 ウインクと共に飛んできた予想外の単語のせいで、脳内が大混乱に陥る。
「お前、何意味分かんないこと言って」
「あれぇ、顔が赤いですよ幸守君。一体どんな破廉恥な想像してるのかなー?そんなに知りたいなら今夜君の部屋で再現してあげよっか__」
「しなくていいからもう黙れ」
 調子乗った発言を遮り、がしっと片手で頭を掴んでぐらぐら揺さぶる。
「あぁああぁ。脳がぁシェイクしてぇますぅぅ」
「一生してろ」
 しばらくして手を離す。
 ぼさぼさ頭になった戒を見て、ふっと失笑する。
「まだ視界回ってるんだけど。何笑ってるの」
「いや、案外変わらないんだなって」
 不思議そうな表情に向かって、胸の内にある思い打ち明ける。
「少し心配もあったんだ。お前とはずっと幼馴染で、それから恋人になったけど、関係性が変わったらこれまで通り過ごせなくなるのかって。でも、全然そんなことなくて安心した」
 今まで通り話して、笑って、ふざけていられる。戒からはよく変な発言をぶっこまれるようになったが。
「そりゃそうだよ」
 ニヤニヤ笑いを残して消える猫のような表情を浮かべて、戒は言う。
「変わってなんかない。君は最初から__」


「僕に落ちてるんだから」


 全てを飲み込む深淵を、瞳に宿らせながら。





 ー終わりー
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