すでに深淵に落ちている

桜部ヤスキ

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9 これが俺の気持ちだ

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 …………あれ。

 ここは、何だ。
 一面真っ白。何もない。

【おにいちゃん。おきた?】

 子供の声がする。
 誰だ。誰かいるのか。
 起き上がる。
 すると、すぐそばに幼い男の子が立っている。
 衣服も手足もなぜか泥だらけ。顔立ちは大体小学1年生くらいで__

「え…………戒?」

 初めて出会った時の戒と、全く同じ顔だった。

【ぼくのことしってるの?でも、ぼくはおにいちゃんのことしらない】
 不思議そうな表情で男の子は言う。
「でもお前は戒なんだろ?だったら__」
【もしかしたら、おにいちゃんがしってるぼくは、もうひとりの“ぼく”なんだね】
「もう一人の…………あ」

 ひょっとして。
 今目の前にいるのは、俺が知ってる“戒”じゃなく、俺と出会う前に亡くなった戯堂戒なのか。

【ねぇおにいちゃん。もうひとりの“ぼく”はどんなかんじなの?】
 戒がしゃがみ込んで尋ねる。
 色々訊きたいことがあるが、そう無邪気な顔で質問されたらスルーするわけにはいかない。
「どんな感じか。そうだな……」
 少し考えて答える。
「学校の成績が全部良くて、料理がド下手くそで、思ったことがすぐ顔に出て、幼馴染の俺の考えてることを大抵当ててきて、笑顔が太陽みたいで、イベント事は何でもはしゃいで、会えない時のRINEのメッセージが鬱陶しいくらい多くて、自分の感情に誠実でいる。そんな奴だ」
【いっぱいあってわからないよ】
 困った顔をする戒。
「語ろうと思えばいくらでも語れるってことだ。俺にかかればな」
【おさななじみだから?】
「そうだな。それに俺にとって、…………、大事な人だから」
【だいじ?】
「ああ。世界で一番大事だ」
 こんなこと、本人に正面切っては言えないな。
【ほんと?よかった】
 ニカっと戒は笑った。
【ぼくね、ずっとしんぱいだったんだ。もうひとりの“ぼく”のこと。がっこうにいけるかとか、ともだちができるかとか】
「そうなのか。優しいんだな」
【でも、だいじょうぶだね。おにいちゃんがいるから】
「むしろ俺があいつに助けられてるよ。……でも、俺はもう……」
【あ、もうおわかれだね】
 そう言って、戒が立ち上がる。
 途端に、周囲が眩しい光に包まれる。
 戒はこちらを振り返り、笑顔で手を振る。

【ばいばい、おにいちゃん。“ぼく”のことよろしくね】

 その言葉を最後に、俺の意識は光に飲み込まれた。







「____、___て!_守!」

 目を開ける。
 視界がはっきりしない。
 そばに、誰かいる。何か叫んでいる。
「幸守!返事してよ!幸守っ!」
「…………あ…………戒?」
「はっ、大丈夫?幸守」
 ひどく必死な形相で覗き込む戒。全身ずぶ濡れで水が滴っている。
「息できてる?苦しくない?痛いとこは?僕のこと分かる?」
「分かる、から……落ち着け、って」
「落ち着いてられるわけないよっ!」
 空気を裂くような鋭い叫びがこだました。
「僕がどれだけ心配したと思ってるの。土砂崩れに巻き込まれそうになった君を間一髪で助けて、でも意識が戻らなくて。ずっと怖かったんだよ。このまま、起きなかったらどうしようって…………また、間に合わなかったのかって……」

 ポツッ

 頬に雫が落ちた。
 戒の瞳からぽろぽろと涙がこぼれて、後から後から落ちてくる。冷たい雨とは違う、熱を持った粒。
「戒……ごめん」
「ズズっ……謝っでも許ざないから」
「ああ。それと……助けてくれてありがとう」
「……うん゛」
 ぐずぐずの顔で頷き、俺の上半身を抱えてぎゅっと抱き締める。まだ体に力が入らないためされるがままにしておく。
 戒が泣くのなんて、いつ振りだろう。前は確か、俺が自転車で転んで車に轢かれそうになった時だった。
 自分のことは全くの無頓着なのに、俺のことになると血相を変えて心配してくる。
 よせって言うべきなんだろうけど、ちょっと嬉しくもある。
「そういえば、ここって……」
 肩越しに辺りを見回す。
 頭上まで広がる枝葉の覆い。小さなドームのような空間の内部は平静に満ちて、一切の雨風を遮断している。
 そしてその中心には、祠がひっそりと佇んでいた。
「ここは僕の実家だからね。色々勝手がきくんだ」
「実家って」
「ゆき、これから移動するけどいいかな。すぐ家に帰って休んだ方がいいから」
「分かった。でも、俺立てるかどうか」
「それは大丈夫。今回だけ裏技使うから。ゆき、目閉じて」
 言われるがまま目をつぶる。
 すると、一瞬だけブランコに乗った時のような浮遊感が生じた。
 同時に草木の匂いが消え、明らかに周囲の空気が変わった。
「着いたよ、ゆき」
 戒の声がして、そっと目を開ける。
 そこは、俺の家の玄関前だった。
「えっ、いつの間に……」
「はぁー、やっぱすごい疲れる。余程の緊急時以外やらないからね」
 裏技というか反則技だろ、と心の中で突っ込んだ。



 見慣れた天井。
 ということは、自分の部屋か。
 起き上がると、床に座りベッドに頭を乗せた戒が眠っている。
 あどけない顔を眺め、そっと手を伸ばし髪をなでる。ふわふわで柔らかい。
「戒」
「…………」
「起きてるの分かってるぞ」
「あれ、ばれてた?」
 むくっと起き上がり笑いかける。
「顔がニヤけてた」
「そっかー。具合は大丈夫?」
「ああ。もう何ともない」
 なら安心だよ、と戒がベッドに腰かける。
「なぁ戒。お前どこで何してたんだ」
「僕も君に訊きたいんだけど」
「なら俺が先攻な」
「むー、分かったよ」
 仕方ないという表情で話し始める。
「山から妙な気配がしてね、様子を見に行ってたんだ。祠がなくなったら多分僕終わりだから」
「軽そうに言ってるが、事態は深刻だったんだな?」
「存在が消えたらゆきに会えなくなる。それはもちろん、ゆきがいなくなっても同じだ」
 一旦言葉を切り、すっと目線を尖らせる。
「なんで一人で山に行ってたの。僕を捜しに来たんだとしても確証はなかったでしょ」
「お前が俺の立場でも、同じことしたんじゃないのか」
「だからって危険すぎる。人のこと言えないけど、僕ほんとに心配したんだよ」
「それはこっちのセリフだ。連絡はつかないし、行き先も曖昧。じっと待ってるなんて無理な話だ」
「連絡?あ…………そういえば携帯壊れてた。昨晩階段で落として」
 と、画面にクモの巣状のひびが入った端末を取り出す。
「はぁ。この人騒がせ」
「わざとじゃないよ。ってそれはゆきもでしょ」
「お互いな。でも反省はしてる」
 目を伏せた先には、毛布の上に置かれた戒の手。
 とっさに手を伸ばし、何も言わずぎゅっと握る。温かい。
「ゆき?」
「戒。俺、ずっと言いたかったことがある。答えは分かりきってるのに、自信が持てなかった。でも、今ならはっきり言える」
 顔を上げ、ドキドキする気持ちを必死に抑えて言った。

「俺は、戒のことが好きだ」

「帰ってきてお前がいないって分かった時、すごく不安で怖かった。悪天候の中捜しに行くのに何の躊躇いもなかった。それくらい、大切な存在なんだって思えた。何より、俺はお前と過ごす日常が好きだ。朝お前に起こされて、学校行って、飯食って、勉強会やって。何でもない退屈な風景でも、戒がいるからかけがえのないものになる。その笑顔が見られるなら何だっていいって思える。……戒、これが俺の気持ちだ」
 気が付くと、手にさっきより強い力が入っていた。口の中がカラカラに乾いている。
 目の前の真顔はしばらく無言で見つめてきて、そして、
「……僕は人間じゃないよ。それでもいいと?」
「人間とか怪異とか関係ない。10年前に出会って、たくさんの思い出を共有してきた、ただ一人の戒が好きだよ」
 すると、戒はついと顔を逸らす。
 耳が少し赤くなっている。
「自覚するとこうなんだね。もう物理的に熱い気がしてくる。ほんとすごいよ……」
 お手上げだというように弱々しく呟く戒。
 照れてる、のか。これまで一切そんな素振り見せなかったあいつが。
 ともかく、と戒は気を取り直して、
「僕達は両想いってことで、これから恋人同士。そういう認識ね」
「え、ああ。そうなるか」
「何その微妙な反応」
「いや、だって急にこ…………恋人、同士とか言われても。どうすれば」
「ゆきはそのままでいいよ。僕がガンガン攻めてくから」
「攻めるって何」
「それはご想像にお任せしまーす」
 かなり気になるが、ここは深く突っ込まない方がいいんだろう。
 でもよかった。滅茶苦茶に緊張したけどちゃんと伝えられた。
 これでやっと、自分の気持ちに向き合えただろうか。

「ところで幸守」

 ほっと安堵していると、戒が粘着テープのような笑顔を向ける。
「何か忘れてない?」
「何かって何だ」
「僕言ったよね。僕がどれだけ心配したかって。謝っても許さないって」
「あぁ、そうだな」
 祠の場所にいた時、随分と緊迫した様子だった。一歩間違えれば俺が死んでいた可能性もあったのだから、心配だったの一言では済まないだろう。
「悪いけど、君が無事ならそれでいい、とはならないよ僕は。さて、この収まらない気をどうしたものかな」
「それについては言い訳できない。お前の気が済むようにしろ」
「へぇ……いいの?同意ありなら僕手加減しないよ?」
「それ以外俺にできることないだろ」
 仕方ないというように肩をすくめて見せる。こうなったら質の悪いいたずらでも何でも受けるしかない。

「じゃあ、好きにしていいんだね」

 そう言った途端、戒は勢いよく手を伸ばし、俺の肩を掴んで押し倒す。そうしてベッドに押さえつけたまま上に跨ってきた。
 その目は獰猛な獣そのもの。

「って。急に何だ」
「前に言ったよね。次はあんなものじゃ済まないって。それに、もう“抑える”必要はないんだ」
「戒、何言って…………あ、何だこれ」
 体が動かない。
 かろうじて動くのは目と口だけで、指先すら完全に固まっている。
「な、なんで、動けな……」
「あぁ、ゆき。すごくいい表情だね。……やっとこの時が来たんだ」
 戒の右手がシャツの下に潜り込んでくる。
 ぞわっとした感触に襲われて思わず声が漏れる。
「ひっ、あ」
「ちょっと待ってね。今から始めるから」
「おい、やめろって……んっ。お前、どこ触って……ひゃっ」
「ふふ、君はほんとにかわいいね。やっぱりちゃんと僕のものにしないと」
 身動きが取れないため、じわじわとまさぐられる感覚にひたすら耐えるしかない。
 やがて手が止まる。ちょうど胸の真ん中あたりに。

 ドクン

 その時、自分の心臓が大きく跳ねるのが分かった。
 同時に戒の姿がぼやけていく。輪郭が崩れ、どろどろと溶け始める。
「あ…………うぁ……」
「大丈夫。痛くしないから」
 目の前にあるはずの戒の顔が、もう判別できない。
 黒く重い泥が全身にまとわりつく。声が出なくなり、意識まで飲み込まれていく。
 この感覚…………どこ、か……で…………。
 完全に闇に沈む直前、愉快げな声が頭の中に響いた。


【いただきます】





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