18 / 49
crying pierrot
しおりを挟む
「……反省してるよ」
そう言った朝日の声は低く澄んでいた。
私をまっすぐに見る瞳も深く澄んでいる。
まだ私に遅い帰宅を理由に怒られていると信じているのか、もしくは、それはふりで、実はとっくに本当の理由に気づいているのか。朝日のことだからわからない。
後者だったらいい。
ポンコツすぎる私はそう願うのに、ポンコツすぎるから、また素直になれない。
「……朝日なんかもう、戻ってこなければよかったんだ」
声が震えてしまうのは、泣きそうなせいもあるけど、大部分は、自分の気持ちと正反対のことを口にする怖さのせいだ。
言霊というものがあるって聞く。
願いや希望を込めて吐き出された言葉は、思いの強さにもよるのだろうけれど、形になりやすいという。
この部屋は殺風景で、人が暮らしているにおいみたいなものがしない。朝日が思い立てばすぐにでも、痕跡ごと姿を消すことは簡単なはずで、姿を消したい理由だってある。
ただでさえお膳立てが揃っているのだから、なおのことこの言葉は現実になりやすいだろう。
そこで、刑事たちが来たことを教えたら。
朝日は迷わず、ここから出ていく準備を整え始めるに違いない。言霊だ。
そうか。だから、私は朝日に何も伝えられないのだ。
だけど、もし朝日が逮捕されて、罪に問われるようなことになったら、朝日はたぶん、生きてこちらに出てくることは二度とないと思う。そんなことになるくらいなら、朝日はここに戻ってこなくていい。
朝日がいなくなることをバカみたいに恐れる一方で、そんなふうに考える私も確かにいるのだった。
朝日は悲しい顔をする。
「言ったじゃん。私の願いを叶えられないって。叶えられないんじゃない。朝日は私の願いなんか、叶える気がないんだよ」
これじゃ、まるで駄々っ子だ。
これ以上朝日の顔を曇らせたくないのに、止められない。
レインが落ち着かなそうに、私たちの周りをぐるぐると回る。ケンカしないでと言っているみたいだ。
「そんなことないよ」
私の手の甲に重ねられた朝日の手のひらは、少しずつ温もりを帯びてきていた。まるで私の体温を吸い取っているかのように。
怒った素振りをしながらも、信じられない素振りをしながらも、私はその手を振り払えない。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だよ」
「凛子には、嘘はつかない」
私はほとんど泣いている目で、朝日を見た。
「僕は、三日間は、ここからどこにも行かない。それだけは絶対に叶えられる。約束だから」
朝日の硬さのある声は、どことなく自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「……約束?」
「そう。約束」
朝日は柔らかく笑んだ。
「本当に?」
「本当だよ。こんな殺し屋の言うことを、信じてくれるのであれば」
約束。
私と殺し屋の朝日との、最初で最後の約束。
三日間だけは、朝日はここで私と一緒にいてくれる。
「……わかった。信じる」
この世の中は信じられないことばかり。その中で、おかしいけれど、罪人である朝日のことだけは信じられると思った。信じたい。朝日が望んでいない約束だってかまわない。
私は朝日の手を押し返すと、チェアを降りた。足元に散らばったカタバミの葉を拾い集める。この部屋にゴミ箱がないのを思い出して、ベランダに捨てにいった。
それから、両手をパンパンと打ちつける。
「ラザニア、温め直す」
朝日は床から腰を上げた。
「できるの?」
「うん。ほら見て、これ、皿とアルミホイルの二重になってるでしょ」
私はテーブルの上のラザニアを指さす。
「アルミホイルから持ち上げれば、トースターで温められるから。まぁ、出来立てよりは味が落ちるけど」
二人分の皿を持ってキッチンへ向かう私の背中に、朝日が呼びかけた。
「凛子」
振り返ると、朝日はまた、涙の粒を描いたピエロみたいな笑顔を浮かべていた。
「今夜、出かけてくるよ」
「……どこに?」
なんだか胸がさわさわした。
「……仕事が入ったんだ」
そう言った朝日の声は低く澄んでいた。
私をまっすぐに見る瞳も深く澄んでいる。
まだ私に遅い帰宅を理由に怒られていると信じているのか、もしくは、それはふりで、実はとっくに本当の理由に気づいているのか。朝日のことだからわからない。
後者だったらいい。
ポンコツすぎる私はそう願うのに、ポンコツすぎるから、また素直になれない。
「……朝日なんかもう、戻ってこなければよかったんだ」
声が震えてしまうのは、泣きそうなせいもあるけど、大部分は、自分の気持ちと正反対のことを口にする怖さのせいだ。
言霊というものがあるって聞く。
願いや希望を込めて吐き出された言葉は、思いの強さにもよるのだろうけれど、形になりやすいという。
この部屋は殺風景で、人が暮らしているにおいみたいなものがしない。朝日が思い立てばすぐにでも、痕跡ごと姿を消すことは簡単なはずで、姿を消したい理由だってある。
ただでさえお膳立てが揃っているのだから、なおのことこの言葉は現実になりやすいだろう。
そこで、刑事たちが来たことを教えたら。
朝日は迷わず、ここから出ていく準備を整え始めるに違いない。言霊だ。
そうか。だから、私は朝日に何も伝えられないのだ。
だけど、もし朝日が逮捕されて、罪に問われるようなことになったら、朝日はたぶん、生きてこちらに出てくることは二度とないと思う。そんなことになるくらいなら、朝日はここに戻ってこなくていい。
朝日がいなくなることをバカみたいに恐れる一方で、そんなふうに考える私も確かにいるのだった。
朝日は悲しい顔をする。
「言ったじゃん。私の願いを叶えられないって。叶えられないんじゃない。朝日は私の願いなんか、叶える気がないんだよ」
これじゃ、まるで駄々っ子だ。
これ以上朝日の顔を曇らせたくないのに、止められない。
レインが落ち着かなそうに、私たちの周りをぐるぐると回る。ケンカしないでと言っているみたいだ。
「そんなことないよ」
私の手の甲に重ねられた朝日の手のひらは、少しずつ温もりを帯びてきていた。まるで私の体温を吸い取っているかのように。
怒った素振りをしながらも、信じられない素振りをしながらも、私はその手を振り払えない。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だよ」
「凛子には、嘘はつかない」
私はほとんど泣いている目で、朝日を見た。
「僕は、三日間は、ここからどこにも行かない。それだけは絶対に叶えられる。約束だから」
朝日の硬さのある声は、どことなく自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
「……約束?」
「そう。約束」
朝日は柔らかく笑んだ。
「本当に?」
「本当だよ。こんな殺し屋の言うことを、信じてくれるのであれば」
約束。
私と殺し屋の朝日との、最初で最後の約束。
三日間だけは、朝日はここで私と一緒にいてくれる。
「……わかった。信じる」
この世の中は信じられないことばかり。その中で、おかしいけれど、罪人である朝日のことだけは信じられると思った。信じたい。朝日が望んでいない約束だってかまわない。
私は朝日の手を押し返すと、チェアを降りた。足元に散らばったカタバミの葉を拾い集める。この部屋にゴミ箱がないのを思い出して、ベランダに捨てにいった。
それから、両手をパンパンと打ちつける。
「ラザニア、温め直す」
朝日は床から腰を上げた。
「できるの?」
「うん。ほら見て、これ、皿とアルミホイルの二重になってるでしょ」
私はテーブルの上のラザニアを指さす。
「アルミホイルから持ち上げれば、トースターで温められるから。まぁ、出来立てよりは味が落ちるけど」
二人分の皿を持ってキッチンへ向かう私の背中に、朝日が呼びかけた。
「凛子」
振り返ると、朝日はまた、涙の粒を描いたピエロみたいな笑顔を浮かべていた。
「今夜、出かけてくるよ」
「……どこに?」
なんだか胸がさわさわした。
「……仕事が入ったんだ」
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】
積み上がった伏線の回収目前!!
夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。
長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。
待っていたのは、凍てつく絶望。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。
「夫は愛人と生きればいい。
今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」
それでも私は誓う――
「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」
歪で、完全な幸福――それとも、破滅。
“石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる