Rain man

朋藤チルヲ

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 例えば、私が生まれてくる家庭を選べなかったように。レインが、イタズラをする人間たちに出会ってしまう道を避けられなかったように。この世には、自分たちではどうしようもない、何か大きな力によって決められているものが、きっと誰にもある。
 それを運命と呼ぶのなら、それが、朝日の毎日にも降りそそいでいるのかもしれない。冷たい雨のように。

 朝日はたぶん、自分のやっていることが悪いことだって、ちゃんとわかっている。やっぱり朝日は、殺し屋なんて仕事はやりたくないんだ。そうじゃなかったら、あんなに悲しい顔で私に伝えてくるはずがない。

 だけど、逆らえないんだ。
 運命と同じで、傘を忘れた日の唐突な雨と同じで、前触れなく始まるパパの癇癪かんしゃくと同じで、どうしたってそれから逃げられない。

「朝日は……いつから殺し屋なんてやってるの?」

 冷めて少しだけ硬くなったラザニアのチーズをつつきながら、私は訊いた。

 朝日は、目玉焼きトーストの残りにかぶりつこうとしていたところで、それを皿の上に戻すと、少しだけ目をふせた。ちょとだけ上げた口角のせいで、表情が穏やかに見える。

 触れてはいけなかったのだろうか。
 こういう時、自己流の勉強はちっとも役に立たないんだなと知った。

「……僕にはね、両親がいなくて」

 そのまま黙り込んでしまうのかと思ったら、朝日は静かに語り出した。

 尋ねておいてなんだけど、本当に話してくれるとは思わなかったから、私は自分の身体がくっと緊張するのを感じた。急いで自分もフォークを置いて、両手を膝の上に乗せる。それが礼儀のような気がしたから。

 午後の明るい陽射しが、窓から斜めに入ってくる。朝日の頬で、白くて丸い光が踊るようにたゆたっていた。

「僕は、物心つく前から施設で暮らしていたんだ」
「え、お父さんと、お母さんは……」

 朝日は小さく首をかしげる。

「僕が産まれた以上は、両親がいたんだろうけど、僕は何も知らない。名前も顔すら知らない。僕が知っていたというか、知らされたことは、朝日という名前だけ」
「そうなんだ」

 私はかろうじてママの顔も覚えているけれど、どちらが幸せで不幸なのか、私にはもう、なんだかよくわからない。

「施設って……そういう、親がいない子供が入る場所?」

 身近に施設に入ったっていう知り合いはいない。でも、そういう場所がこの町にもあると聞いたことはある。
 朝日は反対側に首を傾けた。

「何て言うんだろう……たぶん、凛子が言うような一般的な施設ではないと思う。そこにいた子供たちは、確かにみんな親がいないんだろうけど」

 角度をつけて天井を見上げる朝日は、懸命にぴったりくる言葉を探しているんだろう。私が「まぁ、難しいことはいいや」と言うと、「そうだね」とゆるく笑った。

「その施設には、定期的に黒服の男たちがやってくるんだ。あれは確か、僕が八歳か九歳くらいの時。男たちが僕の前に現れて、品定めするかのように見回したあとで、別の施設へと連れていった」
「別の……?」

 朝日は頷く。

「詳しいことは、言えないんだけど。要は、暗殺者を育てるための施設。男たちは使えそうな子供を選んでは、定期的にそこに放り込んでいたんだ」
「そんな施設が……あるんだ」

 そういう感想しか思いつかない。

「意外とあるんだよ。知られていないだけで。そこで僕は、子供の頃からいろいろなことを学ばされた」

 暗殺者。殺し屋もそうだけど、恐ろしい言葉だ。

 いろいろなことを学ばされた、とはつまり、暗殺者として人を傷つけるための方法を、いろいろと身につけさせられた、ということ。そんな犯罪者を作る学校のような施設が現実に存在するだなんて、そのために天涯孤独の子供を利用するだなんて、とても信じがたいことだ。恐ろしくて、許されないことだ。

 それなのに、朝日の唇のフィルターを通ると、まるで焼き立てのクッキーのようにサクサクと軽いものに聞こえてしまうのは、何でなんだろう。

 朝日の口ぶりが、淡々としているからなんだろうか。声に感情がこもっていないから、朝日は自分自身のことを話しているのではなくて、まるでシナリオに書かれたセリフを読み上げているだけにも思える。

 朝日は窓のほうに顔を向けた。

 性格的なものなのか、朝日は家事全般が得意じゃないみたいだ。料理はほぼしたことがないみたいだし、掃除も苦手なんだろうと思う。ガラスには手垢がたくさんついている。低い位置に判子みたいに押されてある丸いものは、レインのものだろう。
 それでももちろん視界を遮るほどじゃなく、ポスカラーの青を広げたみたいな空に、白い雲がいくつもぽっかりと浮かんでいるのが見えた。

 遠くに愛おしいものでも見つけたみたいに、朝日は目を細める。
 その瞳に、いったい何が映っているんだろう。どこまでもどこまでも、彼の表情は穏やかで落ち着いている。

「だから、凛子のさっきの質問に答えるとするなら」
「うん」
「僕は九歳くらいの頃には、暗殺者としての資質を見初みそめられていたわけだから、その時点でもう殺し屋だったのかもしれない」

 横顔のまま、朝日は白い歯を覗かせた。

「……嫌じゃ、なかったの? 殺し屋として育てられるなんて。こんなの嫌だって言えば、逃げ出せばよかったのに」

 言っている途中で、私は気がついた。
 黒服の男たちに連れていかれた時、朝日は今の私よりもずっと幼かった。
 私だって、この洞穴ほらあなみたいな状況から抜け出せないでいるのに、当時の朝日にいったい何ができたっていうんだろう。

 想像通りのことを、朝日は答えた。

「従うことしかできなかったんだ。あの当時は、連れていかれる場所も意味もわからず、逃げ出すことも怖くてできなかった」

 気がつくと、膝の上に置いていた自分の小さな手が、自然と祈るように組み合っていた。

「体力もついて自我も芽生えた頃には、立派な殺人マシーンだ」

 朝日が自嘲的に声を立てて笑うのが、私はたまらなく悲しかった。
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