27 / 49
escape
しおりを挟む
レインが見上げる。私はハッとして瞬きをした。
座っている朝日の顔は、私の目の位置からだと見下ろす形になる。
整えているわけでもないだろうに、規則正しくきれいに生え揃った睫毛。その影になっているせいで、瞳は星空みたいに見える。それが一瞬消えて、また鮮明に現れた。
「もう……五年前になる。僕は組織から逃げ出した」
「逃げ出した……?」
朝日は軽く頷く。私が理由を尋ねるより先に、言葉を繋いだ。
「だから、僕は組織の指示でここにきているわけじゃないんだ。組織と今の僕はもう……無関係だから」
無関係なのに、人を傷つける仕事を続けているの、と問いかけようとして、すぐに思い直す。
朝日は、そうやってお金を稼ぐ方法しか知らないんだった。
私が、殴られながらもパパのもとで生活するしかないのと同じ。生きていくためにしかたがないんだ。
「ただ、そう思っているのは、僕のほうだけだったってことだ」
「それって……」
「逃げ出した僕を、組織は許さないってこと。でも、それはそうだ。だから、あの男たちは刑事なんかじゃない。僕を連れ帰ろうとしている、組織の人間」
朝日はすぐそばで喋っているのに、その言葉はなんだかやけに遠く聞こえた。
「僕の同僚だ」
「待って」
ネジとネジ穴が重なる寸前に、わずかな歪が見つかって跳ね飛ばされるような、そんな感覚だった。腑に落ちないことはたくさんある。
「同僚なら……なんでその人たちは朝日の顔を知らないの? なんでパパを連れて行ったの?」
朝日はこちらを見ない。あいかわらず足元のライフルに視線を落としたままで、少しだけ口角を引き上げた。何がおかしいのかわからない。
「……知らないわけじゃない。提示する写真が手元にないだけなんだ。組織を抜け出す時に、僕が自分に関する一切のデータを削除していったから」
「え?」
「そうなるとね、人捜しって意外と厄介なんだよ。自分たちは尋ね人の顔を知っていたって、その人物の画像がなければ、尋ねられたほうはどうしようもない」
そうかもしれない、と思う。
迷い猫や迷い犬を捜していますって、情報をくださいって、悲痛な顔の飼い主に言われたとして、力になりたくても、そのペットの画像がなければ難しい。
「僕が幼少期を暮らした施設にだって、僕のデータは何もないんだ。写真も資料も、あえて残していない。子供たちの意思じゃない。あそこの子供たちは、言わば殺し屋の雛。施設側が、表の人間に存在を知られないようにしていたことが、逆に仇になった」
「でも……データって復元できないの?」
私が気になっていたことを訊くと、その質問を前もって予測していたみたいに、朝日は滑らかに答えた。
「できるけど、時間はかかるだろうね。実際、まだ復元できていない。あの建物のコンピュータのセキュリティは、様々な不足の事態に備えて、ものすごく強固になっているんだ。一度壊されてしまうと復元がなかなか難しい。手間取っている間に、彼らの手の届かない遠くへ逃げることが、僕にはできる」
「手の届かない、遠くへ……」
「僕は万が一の可能性も考えて、外に出る時は常に帽子を被っている。歌う時だって、大きな鍔でほとんど顔を隠しているし、あらかじめ写真は遠慮してくれってお願いもしている」
私は、外出する時の朝日の出で立ちを思い返す。あの悪魔みたいな黒ずくめの格好に、そこまで深い意味があるなんて夢にも思わなかった。
冷静な判断と、徹底した強い意思。目の前にある横顔には、確かに殺し屋の片鱗が浮き上がっていた。
それでも恐ろしいと思えない私は、きっともうずいぶん前から、復元不可能なくらいに壊れてしまっているんだろう。
「凛子のお父さんを連れて行ったのは、どんな小さな情報でもいいから、知っている可能性があるなら吐き出させようって魂胆だと思う。それくらい、向こうも切羽詰まっているって証拠だ。でも、安心していい。彼らだって事を大きくしたくないはず。本当に何も知らないんだってことがわかれば、きっとすぐに解放される」
私は首をぶんぶん振った。そんなことはどうでもいい。
「でも……あの人たち、ここを見つけた」
「うん」
朝日は少しも慌てない。焦りもせず、怖がりもしない。それも予測済みってことなのだろうか。
「いろいろなところと繋がりのある組織だからね。警察もその一つなんだ」
「え!?」
それは大問題じゃないのかって私のほうが焦る。
「たぶん、昨晩の事件の情報を貰ったんじゃないかな。撃ち込まれた弾丸の状態を聞いたんだろう。痕跡が残らない氷の弾を使う殺し屋は、僕以外にいないから」
愕然とした。部屋の中は暖房で暖まっているのに、身体がカタカタと震える。
氷の弾丸は溶けてしまえば証拠が残らない。撃ってきた正確な方角さえわからなければ捕まらないって、朝日は言った。
でも、それは素人相手の話。
警察だって、違法な商売をする会社から派遣された殺し屋の存在を知らないなら、レベル的には一緒だって言える。
だけど、同じ仕事をする人間ならわかる。そういうことだ。だから、このアパートが見つけ出されてしまったんだ。
パパはすぐに解放されるなんて、朝日は呑気なことを言っている場合じゃない。パパのことなんて、私の生活のことなんてどうだっていい。どうなったっていい。
パパが解放されるってことは、私の嘘がバレるってこと。そしたらあの男たちは、またここにくる。今度こそ朝日を捕まえるために。
「……捕まったら、どうなるの?」
声が震えた。
朝日はやっぱり、それが何てことのないことのように、当然だとばかりに言った。
「……処分されるだろうね。自分で言うのも何だけど、僕は有能な殺し屋で、だからこそ組織にとっては脅威でしかない」
座っている朝日の顔は、私の目の位置からだと見下ろす形になる。
整えているわけでもないだろうに、規則正しくきれいに生え揃った睫毛。その影になっているせいで、瞳は星空みたいに見える。それが一瞬消えて、また鮮明に現れた。
「もう……五年前になる。僕は組織から逃げ出した」
「逃げ出した……?」
朝日は軽く頷く。私が理由を尋ねるより先に、言葉を繋いだ。
「だから、僕は組織の指示でここにきているわけじゃないんだ。組織と今の僕はもう……無関係だから」
無関係なのに、人を傷つける仕事を続けているの、と問いかけようとして、すぐに思い直す。
朝日は、そうやってお金を稼ぐ方法しか知らないんだった。
私が、殴られながらもパパのもとで生活するしかないのと同じ。生きていくためにしかたがないんだ。
「ただ、そう思っているのは、僕のほうだけだったってことだ」
「それって……」
「逃げ出した僕を、組織は許さないってこと。でも、それはそうだ。だから、あの男たちは刑事なんかじゃない。僕を連れ帰ろうとしている、組織の人間」
朝日はすぐそばで喋っているのに、その言葉はなんだかやけに遠く聞こえた。
「僕の同僚だ」
「待って」
ネジとネジ穴が重なる寸前に、わずかな歪が見つかって跳ね飛ばされるような、そんな感覚だった。腑に落ちないことはたくさんある。
「同僚なら……なんでその人たちは朝日の顔を知らないの? なんでパパを連れて行ったの?」
朝日はこちらを見ない。あいかわらず足元のライフルに視線を落としたままで、少しだけ口角を引き上げた。何がおかしいのかわからない。
「……知らないわけじゃない。提示する写真が手元にないだけなんだ。組織を抜け出す時に、僕が自分に関する一切のデータを削除していったから」
「え?」
「そうなるとね、人捜しって意外と厄介なんだよ。自分たちは尋ね人の顔を知っていたって、その人物の画像がなければ、尋ねられたほうはどうしようもない」
そうかもしれない、と思う。
迷い猫や迷い犬を捜していますって、情報をくださいって、悲痛な顔の飼い主に言われたとして、力になりたくても、そのペットの画像がなければ難しい。
「僕が幼少期を暮らした施設にだって、僕のデータは何もないんだ。写真も資料も、あえて残していない。子供たちの意思じゃない。あそこの子供たちは、言わば殺し屋の雛。施設側が、表の人間に存在を知られないようにしていたことが、逆に仇になった」
「でも……データって復元できないの?」
私が気になっていたことを訊くと、その質問を前もって予測していたみたいに、朝日は滑らかに答えた。
「できるけど、時間はかかるだろうね。実際、まだ復元できていない。あの建物のコンピュータのセキュリティは、様々な不足の事態に備えて、ものすごく強固になっているんだ。一度壊されてしまうと復元がなかなか難しい。手間取っている間に、彼らの手の届かない遠くへ逃げることが、僕にはできる」
「手の届かない、遠くへ……」
「僕は万が一の可能性も考えて、外に出る時は常に帽子を被っている。歌う時だって、大きな鍔でほとんど顔を隠しているし、あらかじめ写真は遠慮してくれってお願いもしている」
私は、外出する時の朝日の出で立ちを思い返す。あの悪魔みたいな黒ずくめの格好に、そこまで深い意味があるなんて夢にも思わなかった。
冷静な判断と、徹底した強い意思。目の前にある横顔には、確かに殺し屋の片鱗が浮き上がっていた。
それでも恐ろしいと思えない私は、きっともうずいぶん前から、復元不可能なくらいに壊れてしまっているんだろう。
「凛子のお父さんを連れて行ったのは、どんな小さな情報でもいいから、知っている可能性があるなら吐き出させようって魂胆だと思う。それくらい、向こうも切羽詰まっているって証拠だ。でも、安心していい。彼らだって事を大きくしたくないはず。本当に何も知らないんだってことがわかれば、きっとすぐに解放される」
私は首をぶんぶん振った。そんなことはどうでもいい。
「でも……あの人たち、ここを見つけた」
「うん」
朝日は少しも慌てない。焦りもせず、怖がりもしない。それも予測済みってことなのだろうか。
「いろいろなところと繋がりのある組織だからね。警察もその一つなんだ」
「え!?」
それは大問題じゃないのかって私のほうが焦る。
「たぶん、昨晩の事件の情報を貰ったんじゃないかな。撃ち込まれた弾丸の状態を聞いたんだろう。痕跡が残らない氷の弾を使う殺し屋は、僕以外にいないから」
愕然とした。部屋の中は暖房で暖まっているのに、身体がカタカタと震える。
氷の弾丸は溶けてしまえば証拠が残らない。撃ってきた正確な方角さえわからなければ捕まらないって、朝日は言った。
でも、それは素人相手の話。
警察だって、違法な商売をする会社から派遣された殺し屋の存在を知らないなら、レベル的には一緒だって言える。
だけど、同じ仕事をする人間ならわかる。そういうことだ。だから、このアパートが見つけ出されてしまったんだ。
パパはすぐに解放されるなんて、朝日は呑気なことを言っている場合じゃない。パパのことなんて、私の生活のことなんてどうだっていい。どうなったっていい。
パパが解放されるってことは、私の嘘がバレるってこと。そしたらあの男たちは、またここにくる。今度こそ朝日を捕まえるために。
「……捕まったら、どうなるの?」
声が震えた。
朝日はやっぱり、それが何てことのないことのように、当然だとばかりに言った。
「……処分されるだろうね。自分で言うのも何だけど、僕は有能な殺し屋で、だからこそ組織にとっては脅威でしかない」
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。
そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、
死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。
「でも、子供たちの心だけは、
必ず取り戻す」
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。
それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。
これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる