29 / 49
imitation morning
しおりを挟む
翌朝、目を覚ますと、目の前に朝日の寝顔があった。
伏せられた睫毛は長く、うっすらと開かれた唇は淡い桜色をしている。肌はしっとりと滑らかだ。しみじみと、男の人なのにきれいな人だなって思う。
ううん、違う。
男の人とかの前に、人間なのに。
こんな汚い世界に生きている人間なのに、この人はとてもきれいだ。
眩しい太陽の光が、ほとんどそのまんま窓から入ってくる。居間のカーテンと比べて、寝室のカーテンの生地がかなり薄いからだ。それは何か意味があってとかではなく、朝日が仕事以外の、いろんな物や事に無頓着だから。そうわかる程度には、私はもう、朝日という人となりを知っている。
埃だったり繊維だったりを巻き込んだ帯状の光線が、眠る朝日の右頬をきらきらと照らしている。思いつく言葉は「清い」とか「穢れのない」とかばかりで、ついおかしくなる。
だって、この人の最期には、きっと天使は迎えにこない。
でも、安心してほしい。たぶん私も同じだから。
昨日、私たちはあのままどうしても離れられず、お風呂に入ることも、着替えることもしないままに、二人して朝日のシングルベッドに丸まった。
どっちが先にそうしようって言ったのかは、覚えていない。口にはしていないのかもしれない。
お互い、顔を見合わせる形で横になって、でも、布団に入ってからは、意識して触れないようにしていた。そうしたほうがいいように思えた。
少しするとレインがやってきて、私と朝日との間に潜り込んだ。密着した被毛の温かさと、離れているのに伝わってくる朝日の体温とで、私はすぐに深い眠りに落ちたのだった。
殺し屋というものは、熟睡しないらしい。
映画の中で俳優が喋ったセリフなのか、ニュース番組のコメンテーターが、何かの揶揄でそう言ったのかは忘れてしまったけど。信憑性のある情報かどうかはさておき、それが事実なら、まるで猫みたいだ。
猫は警戒心が強い生き物。いつでも逃げられるように、完全には眠らない。
笑いそうになってしまった。
もし本当に、朝日にそんな習慣があるとしたら、そんな朝日をレインは仲間だと思っているかも。
まだ笑えるんだな、と思う。
絶望的な危険が迫っているのに、私はまだ朝日をきれいだと感じられて、愉快だなと感じたら笑える。
人間って、自分が自覚している以上に強いのかもしれない。それとも、これはただの現実逃避なのかな。
レインの心の中は覗きようがないけど、朝日が熟睡しているかどうかについては確かめることができる。
「……おはよ」
私は小さく呼びかけてみた。
するとたちまち、朝日のまぶたにかすかな波が走る。溢れる光の中で、アールグレイ色の瞳が現れた。
「……本当に寝てないの?」
思わず驚いた私の問いかけに、朝日は無言で目を閉じて、すぐに開く。どっちの意味なんだろう。
ゆっくり考える間はなかった。私はいきなり恥ずかしくなった。
自分で起こしたかもしれないのになんだけど、意識のある朝日がごく至近距離にいるこの状況は、かなり恥ずかしい。
私は誰かと同じ布団で寝たことがない。それもあくまで覚えている範囲で、だけど。しかも、朝日は他人で、男の人だ。冷静に考えたら、考えなくても、私はとんでもないことをしているんじゃないだろうか。
近くにある朝日のきれいな顔も、届いてくる呼吸の柔らかさも、温もりも、昨日泣いたことも、全部が恥ずかしい。慌てて目をそらした。
「不思議だね」
ふと朝日が言う。
のんびりとした口調が、朝日はこの状況を何とも思っていないことを表している。それを少しだけ悔しがる私がいた。
「何が?」
「触れてないのに……凛子から発せられる温もりが、僕にはちゃんとわかる」
今度は急激に嬉しくなって、私も同じ、と言おうとして、やっぱり恥ずかしくて言えなかった。
私の温もり。温かさ。温度。
昨日、聖母と同じだと言ってくれた体温。
一つの布団にくるまっていることで、冷たい空気が、私たちの間に入り込む隙がないからなのかもしれない。
「触れてないのにね」
朝日はもう一度繰り返してから、身体を動かした。
顎を上げると、朝日は腕を布団から抜いて、静かにこちらへ近づけてきていたところで、私はどきっとする。
そのとたん、二人の間で前脚を突っ張って寝ていたはずのレインが起き上がり、しゅっと布団から飛び出した。安眠を妨害されて怒ったのか、じろりと朝日を睨みつける。
それを見た朝日は、ふっと鼻から息を吐き出す。クスクス笑いながら、自分も身体を起こした。
「……起きようか」
私は胸が変にドキドキして、それを打ち消したくて噴き出した。布団の中で膝を抱きかかえて、げらげらと笑った。起き上がった時、朝日の髪に派手な寝癖がついていて、また笑った。笑いすぎて涙が出た。
幸せな気分だった。
朝日の生い立ちも、自分の救われない毎日も、目前に迫っている困難も、すべて忘れて、一時だけ、私は幸福な朝の中にいた。
伏せられた睫毛は長く、うっすらと開かれた唇は淡い桜色をしている。肌はしっとりと滑らかだ。しみじみと、男の人なのにきれいな人だなって思う。
ううん、違う。
男の人とかの前に、人間なのに。
こんな汚い世界に生きている人間なのに、この人はとてもきれいだ。
眩しい太陽の光が、ほとんどそのまんま窓から入ってくる。居間のカーテンと比べて、寝室のカーテンの生地がかなり薄いからだ。それは何か意味があってとかではなく、朝日が仕事以外の、いろんな物や事に無頓着だから。そうわかる程度には、私はもう、朝日という人となりを知っている。
埃だったり繊維だったりを巻き込んだ帯状の光線が、眠る朝日の右頬をきらきらと照らしている。思いつく言葉は「清い」とか「穢れのない」とかばかりで、ついおかしくなる。
だって、この人の最期には、きっと天使は迎えにこない。
でも、安心してほしい。たぶん私も同じだから。
昨日、私たちはあのままどうしても離れられず、お風呂に入ることも、着替えることもしないままに、二人して朝日のシングルベッドに丸まった。
どっちが先にそうしようって言ったのかは、覚えていない。口にはしていないのかもしれない。
お互い、顔を見合わせる形で横になって、でも、布団に入ってからは、意識して触れないようにしていた。そうしたほうがいいように思えた。
少しするとレインがやってきて、私と朝日との間に潜り込んだ。密着した被毛の温かさと、離れているのに伝わってくる朝日の体温とで、私はすぐに深い眠りに落ちたのだった。
殺し屋というものは、熟睡しないらしい。
映画の中で俳優が喋ったセリフなのか、ニュース番組のコメンテーターが、何かの揶揄でそう言ったのかは忘れてしまったけど。信憑性のある情報かどうかはさておき、それが事実なら、まるで猫みたいだ。
猫は警戒心が強い生き物。いつでも逃げられるように、完全には眠らない。
笑いそうになってしまった。
もし本当に、朝日にそんな習慣があるとしたら、そんな朝日をレインは仲間だと思っているかも。
まだ笑えるんだな、と思う。
絶望的な危険が迫っているのに、私はまだ朝日をきれいだと感じられて、愉快だなと感じたら笑える。
人間って、自分が自覚している以上に強いのかもしれない。それとも、これはただの現実逃避なのかな。
レインの心の中は覗きようがないけど、朝日が熟睡しているかどうかについては確かめることができる。
「……おはよ」
私は小さく呼びかけてみた。
するとたちまち、朝日のまぶたにかすかな波が走る。溢れる光の中で、アールグレイ色の瞳が現れた。
「……本当に寝てないの?」
思わず驚いた私の問いかけに、朝日は無言で目を閉じて、すぐに開く。どっちの意味なんだろう。
ゆっくり考える間はなかった。私はいきなり恥ずかしくなった。
自分で起こしたかもしれないのになんだけど、意識のある朝日がごく至近距離にいるこの状況は、かなり恥ずかしい。
私は誰かと同じ布団で寝たことがない。それもあくまで覚えている範囲で、だけど。しかも、朝日は他人で、男の人だ。冷静に考えたら、考えなくても、私はとんでもないことをしているんじゃないだろうか。
近くにある朝日のきれいな顔も、届いてくる呼吸の柔らかさも、温もりも、昨日泣いたことも、全部が恥ずかしい。慌てて目をそらした。
「不思議だね」
ふと朝日が言う。
のんびりとした口調が、朝日はこの状況を何とも思っていないことを表している。それを少しだけ悔しがる私がいた。
「何が?」
「触れてないのに……凛子から発せられる温もりが、僕にはちゃんとわかる」
今度は急激に嬉しくなって、私も同じ、と言おうとして、やっぱり恥ずかしくて言えなかった。
私の温もり。温かさ。温度。
昨日、聖母と同じだと言ってくれた体温。
一つの布団にくるまっていることで、冷たい空気が、私たちの間に入り込む隙がないからなのかもしれない。
「触れてないのにね」
朝日はもう一度繰り返してから、身体を動かした。
顎を上げると、朝日は腕を布団から抜いて、静かにこちらへ近づけてきていたところで、私はどきっとする。
そのとたん、二人の間で前脚を突っ張って寝ていたはずのレインが起き上がり、しゅっと布団から飛び出した。安眠を妨害されて怒ったのか、じろりと朝日を睨みつける。
それを見た朝日は、ふっと鼻から息を吐き出す。クスクス笑いながら、自分も身体を起こした。
「……起きようか」
私は胸が変にドキドキして、それを打ち消したくて噴き出した。布団の中で膝を抱きかかえて、げらげらと笑った。起き上がった時、朝日の髪に派手な寝癖がついていて、また笑った。笑いすぎて涙が出た。
幸せな気分だった。
朝日の生い立ちも、自分の救われない毎日も、目前に迫っている困難も、すべて忘れて、一時だけ、私は幸福な朝の中にいた。
0
あなたにおすすめの小説
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】
夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。
長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。
待っていたのは、凍てつく絶望。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。
「夫は愛人と生きればいい。
今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」
それでも私は誓う――
「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」
歪で、完全な幸福――それとも、破滅。
“石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる