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私たちはまずファストファッションのお店に行き、朝日にお金を出してもらって、下着と、数日分の衣類を適当に見繕った。
店内のトイレで早速下着を身につけ、朝日に借りただぶだぶのトレーナーも着替える。トレーナーと濡れたジーンズは買い物袋の中に押し込んだ。
それからいつものスーパーに出向き、安売りになっていた鶏肉とマッシュルーム、じゃがいもやブロッコリーなどの野菜、それから、薄力粉にバター、レトルトのホワイトシチューを買った。
熱々でとろとろのチキンポットパイもまた、私のレパートリーの一つ。それを朝日に食べてもらいたかった。朝日の部屋にはオーブンがないけど、トースターはある。なんとかなるだろう。
本当は、外に出るのが不安だった。
アパートから一歩出たとたん、あの男たちが物影からバッと現れるんじゃないかとか。トイレで着替えている間に、朝日はどこかへ連れて行かれてしまって、出てきたらもうそこにはいないんじゃないかとか。パパが追ってくるんじゃないかとか。可能性のあるいろんなことを考えて、ためらった。
だけど、それらのどれにも、朝日は笑って「大丈夫」って言った。
その根拠が私には見出だせなかったし、朝日は例のごとく、明確な根拠は示さない。でも、結局、私はこうして朝日と外出している。
不安は消えない。それでも、私は朝日と並んで歩きたい。何でもない日常を、朝日と過ごしたい。
この気持ちの名前が何なのか、私にはわからなかった。ただ、わかることは、その正体不明の思いが不安を上回ってしまったってことだ。
衣類と汚れ物の入った袋、それに食料品の買い物袋を合わせたら、両手いっぱいの荷物になった。でも、私が持たされたのは汚れ物の袋だけ。あとは全部、朝日が受け持ってくれた。
お金を出した上に荷物持ちまで引き受けるなんて、朝日こそ本当に、良い旦那さんになりそうだ。思うだけで、口には出さないほうがいいことくらいは、私にもわかる。
お金は返さなくていいって朝日は言ったけど、それはやっぱりできない。
時間がかかっても、なんとか方法を探し出して、いつか絶対に返そうとわたしは心に決めた。
男たちは現れなかった。
パパも現れなかった。部屋にもいなかったようなので、いつも通りに仕事に行ったんだろう。怪我は大したことなかったみたいだ。
空は澄んでいて青い。
名前を知らない鳥がくるくる旋回するのが、遠くの煙突に重なって見えた。
*****
アパートに着くと、我が家の前に人がいた。
大家さんだ。
たっぷりと栄養が蓄えられた身体に、紺色のワンピースをまとって、白いカーディガンを羽織っている。
いつものようにお裾分けを持ってきた雰囲気じゃない。手には何も持っていないし、階段を上がってきた私たちに気づくまで、ドアの前を落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。
私が声をかけると、青い顔で振り返り、急いで駆け寄ってきた。
「凛子ちゃん! どこに……どこに行ってたんだい?」
「え? ちょっと買い物に……」
「買い物って……」
大家さんは、私の隣に立つ朝日を見てはっとする。朝日が軽くお辞儀すると、思い出したように大家さんも頭を下げた。
私がどうして朝日と一緒にいるのか、訝しがるような色がその目に浮かぶけれど、とりあえず今は、それは後回しにしたらしい。それよりも重大なことがあるようだった。
「大変、大変だよ、凛子ちゃん」
「どうしたの? 大家さん」
「すぐに出かける準備をしてちょうだい」
大家さんの声も目も震えている。
「出かけるってどこに?」
私は目をしばたたいた。朝日を見上げる。朝日は神妙な顔つきで、じっと大家さんを見下ろしている。
大家さんは私の腕を掴んだ。
「いいかい、落ち着いて……落ち着いて聞くんだよ」
そう言う大家さんがいちばん落ち着いていない。
「お父さんが……お父さんが亡くなったんだよ!」
店内のトイレで早速下着を身につけ、朝日に借りただぶだぶのトレーナーも着替える。トレーナーと濡れたジーンズは買い物袋の中に押し込んだ。
それからいつものスーパーに出向き、安売りになっていた鶏肉とマッシュルーム、じゃがいもやブロッコリーなどの野菜、それから、薄力粉にバター、レトルトのホワイトシチューを買った。
熱々でとろとろのチキンポットパイもまた、私のレパートリーの一つ。それを朝日に食べてもらいたかった。朝日の部屋にはオーブンがないけど、トースターはある。なんとかなるだろう。
本当は、外に出るのが不安だった。
アパートから一歩出たとたん、あの男たちが物影からバッと現れるんじゃないかとか。トイレで着替えている間に、朝日はどこかへ連れて行かれてしまって、出てきたらもうそこにはいないんじゃないかとか。パパが追ってくるんじゃないかとか。可能性のあるいろんなことを考えて、ためらった。
だけど、それらのどれにも、朝日は笑って「大丈夫」って言った。
その根拠が私には見出だせなかったし、朝日は例のごとく、明確な根拠は示さない。でも、結局、私はこうして朝日と外出している。
不安は消えない。それでも、私は朝日と並んで歩きたい。何でもない日常を、朝日と過ごしたい。
この気持ちの名前が何なのか、私にはわからなかった。ただ、わかることは、その正体不明の思いが不安を上回ってしまったってことだ。
衣類と汚れ物の入った袋、それに食料品の買い物袋を合わせたら、両手いっぱいの荷物になった。でも、私が持たされたのは汚れ物の袋だけ。あとは全部、朝日が受け持ってくれた。
お金を出した上に荷物持ちまで引き受けるなんて、朝日こそ本当に、良い旦那さんになりそうだ。思うだけで、口には出さないほうがいいことくらいは、私にもわかる。
お金は返さなくていいって朝日は言ったけど、それはやっぱりできない。
時間がかかっても、なんとか方法を探し出して、いつか絶対に返そうとわたしは心に決めた。
男たちは現れなかった。
パパも現れなかった。部屋にもいなかったようなので、いつも通りに仕事に行ったんだろう。怪我は大したことなかったみたいだ。
空は澄んでいて青い。
名前を知らない鳥がくるくる旋回するのが、遠くの煙突に重なって見えた。
*****
アパートに着くと、我が家の前に人がいた。
大家さんだ。
たっぷりと栄養が蓄えられた身体に、紺色のワンピースをまとって、白いカーディガンを羽織っている。
いつものようにお裾分けを持ってきた雰囲気じゃない。手には何も持っていないし、階段を上がってきた私たちに気づくまで、ドアの前を落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。
私が声をかけると、青い顔で振り返り、急いで駆け寄ってきた。
「凛子ちゃん! どこに……どこに行ってたんだい?」
「え? ちょっと買い物に……」
「買い物って……」
大家さんは、私の隣に立つ朝日を見てはっとする。朝日が軽くお辞儀すると、思い出したように大家さんも頭を下げた。
私がどうして朝日と一緒にいるのか、訝しがるような色がその目に浮かぶけれど、とりあえず今は、それは後回しにしたらしい。それよりも重大なことがあるようだった。
「大変、大変だよ、凛子ちゃん」
「どうしたの? 大家さん」
「すぐに出かける準備をしてちょうだい」
大家さんの声も目も震えている。
「出かけるってどこに?」
私は目をしばたたいた。朝日を見上げる。朝日は神妙な顔つきで、じっと大家さんを見下ろしている。
大家さんは私の腕を掴んだ。
「いいかい、落ち着いて……落ち着いて聞くんだよ」
そう言う大家さんがいちばん落ち着いていない。
「お父さんが……お父さんが亡くなったんだよ!」
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