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amazing grace
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気がついた時にはもう、朝日はハンドガンを構えていた。黒く、禍々しく光る、全長三十センチほどの銃。ライフル以外にも持っていたなんて知らなかった。どこに隠し持っていたんだろう。それを両手で持ち、真横に向かって発砲した。
銃の先端には、細長い筒状のものが取りつけられている。発砲音がほとんどしなかったのは、それのおかげなのかもしれない。
朝日が銃口を向けた先に視線をやれば、見覚えのある姿があった。
息の飲む。
あの男たちだ。朝日を追ってきた、朝日の仲間。組織の暗殺者たち。間違いない。二人とも、あの時と同じコートに身を包んでいる。
小ぶりな銃を、朝日はずっと身につけていたのだろうから、そこから発射される弾は氷じゃないんだろう。氷だったら、とっくに溶けている。
残念ながら、それは彼らにかすってもいないらしい。依然として怯むことなく、こちらに銃口を向けたまま、走って距離を詰めてきた。
彼らの銃は、朝日が持っているものよりはるかに大きい。しかも、ゴツゴツと無骨だ。
あんな大きな銃から吐き出される弾丸は強くて、殺傷能力も高いんだろうか。そんなもので撃たれたら、さすがの朝日だって勝てないんじゃないだろうか。
「凛子!」
朝日は顔を振ったかと思うと、視線で大通りの先を指し示した。
私ははっとして、強く口元を引き結ぶ。バスケットをしっかりと抱きしめて、身体を反転させた。アスファルトを蹴るようにして走り出す。
人をかき分け、かき分け、ぶつかりながら、それをまたかき分け、進む。
最も恐れていた事態がやってきた。
彼らは確証がなくて動けなかったのではなく、このタイミングを狙って待っていたのかもしれない。
嘘をついて朝日をかくまって、朝日と親しくなって、裏の世界に少しだけ触れてしまった私。そして、組織の裏切り者である朝日を、いっぺんに始末することができる絶好のタイミングを。
走る私のそのあとを、朝日もついてきていた。
その間も男たちに向けて弾を放つけど、動きながらだからなのか、無関係の人を避けながらのせいなのか、なかなか命中しない。
でも、それは敵も同じらしかった。
いくつも放たれる弾丸は私たちには当たらず、両脇に連なる屋台の商品や建物のショーウインドウ、そういった物に当たり、飛び散ったりガシャガシャに砕けたりした。
その音や様は私たちを嘲笑い、囃し立てるかのようでもある。怖くて怖くて、懸命に前を向いて走る私の奥歯は、絶えずガチガチとぶつかり合っていた。
私たちが進んでいく方向でたちまち湧き上がる、人々の悲鳴、怒号、戸惑い。
その中で、次第に不思議な感覚に陥り始めた。すべてがスローモーションで動いているように見え出す。
弾かれて高く舞い上がる、クリスマスケーキの生クリーム、真っ赤なイチゴ。砕け散るシャンパンの瓶から霧のように吹き出す、琥珀色の液体。散り散りになるモミの木の緑、飛ぶ金色のベル。
走り出す男性の背中。女性の、大きく開かれた目と口。つまづいて転ぶ幼い男の子。
時折後ろを振り返りつつ、私を守る盾のようにぴったりと背後をついてくる、朝日の凛とした瞳。
それらは私を中心にして、まるで夢の中のメリーゴーランドみたいに、ひどくのんびりとしたスピードでくるくる回る。
耳には讃美歌が聴こえていた。「アメイジング・グレイス」だ。
朝日の声じゃなく、天に昇っていくかのような女性の伸びやかな声。厳かで、穏やかで、美しい旋律が、私の耳の奥でゆったりと鳴り続けていた。
目に映るものは悲惨な光景でしかないのに、その音はどうしようもなく麗しく、悠々と響くのだった。
いつしか私は祈っていた。
どうか、誰も朝日のことを見ないで。
この人は、私を守ろうとしてくれているだけなの。
だから、物騒な物を振り回したことも、朝日の姿さえも、みんな、お願い、忘れて。
すぐ後ろにいる朝日を気にしながら走っていたら、周囲への意識が散漫になり、ふと手が横を逃げ惑う女性の肘に当たった。バスケットが私の手を離れる。
「レイン!」
身体中の毛を逆立てたレインを閉じ込めたまま、バスケットが道に転がった。私はすぐに、つんのめるようにひざまずく。膝小僧が砂利を踏む。
「――――凛子!!」
それまで耳にしたことのない、切羽詰まった朝日の叫び声が聞こえた。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
振り返った私の目に映ったのは、私をかばうように両手を大きく広げた、朝日の後ろ姿。大きな翼を持つ鳥のようにも見えた。
そのコートの背中に黒い穴が二つ、空いていた。そこから鮮血がしぶきを上げ、私の頬に、鼻先に、雨のように降り注ぐ。ほんのりと温かさを感じた。
「……あさ……? 朝日ぃ――――!!!」
喉が壊れるんじゃないかってくらいの、大きな声で呼んだ時、朝日はこちらに向かってゆっくりと倒れ込んでくるところで、私は泣きながら両方の腕を前に突き出して、立ち上がろうとした。
そのかかとに、バスケットが当たる。
完全に膝を伸ばす寸前だったために不安定になっていた身体は、そんな他愛ないきっかけで簡単に後ろに傾いた。
次に見たのは青い空。雨など降りそうもない、透明なスカイブルー。そして、横からこちらに向かって突進してくる、大型トラック。
あ、私、車道に。
そう思ったのが、最後。
銃の先端には、細長い筒状のものが取りつけられている。発砲音がほとんどしなかったのは、それのおかげなのかもしれない。
朝日が銃口を向けた先に視線をやれば、見覚えのある姿があった。
息の飲む。
あの男たちだ。朝日を追ってきた、朝日の仲間。組織の暗殺者たち。間違いない。二人とも、あの時と同じコートに身を包んでいる。
小ぶりな銃を、朝日はずっと身につけていたのだろうから、そこから発射される弾は氷じゃないんだろう。氷だったら、とっくに溶けている。
残念ながら、それは彼らにかすってもいないらしい。依然として怯むことなく、こちらに銃口を向けたまま、走って距離を詰めてきた。
彼らの銃は、朝日が持っているものよりはるかに大きい。しかも、ゴツゴツと無骨だ。
あんな大きな銃から吐き出される弾丸は強くて、殺傷能力も高いんだろうか。そんなもので撃たれたら、さすがの朝日だって勝てないんじゃないだろうか。
「凛子!」
朝日は顔を振ったかと思うと、視線で大通りの先を指し示した。
私ははっとして、強く口元を引き結ぶ。バスケットをしっかりと抱きしめて、身体を反転させた。アスファルトを蹴るようにして走り出す。
人をかき分け、かき分け、ぶつかりながら、それをまたかき分け、進む。
最も恐れていた事態がやってきた。
彼らは確証がなくて動けなかったのではなく、このタイミングを狙って待っていたのかもしれない。
嘘をついて朝日をかくまって、朝日と親しくなって、裏の世界に少しだけ触れてしまった私。そして、組織の裏切り者である朝日を、いっぺんに始末することができる絶好のタイミングを。
走る私のそのあとを、朝日もついてきていた。
その間も男たちに向けて弾を放つけど、動きながらだからなのか、無関係の人を避けながらのせいなのか、なかなか命中しない。
でも、それは敵も同じらしかった。
いくつも放たれる弾丸は私たちには当たらず、両脇に連なる屋台の商品や建物のショーウインドウ、そういった物に当たり、飛び散ったりガシャガシャに砕けたりした。
その音や様は私たちを嘲笑い、囃し立てるかのようでもある。怖くて怖くて、懸命に前を向いて走る私の奥歯は、絶えずガチガチとぶつかり合っていた。
私たちが進んでいく方向でたちまち湧き上がる、人々の悲鳴、怒号、戸惑い。
その中で、次第に不思議な感覚に陥り始めた。すべてがスローモーションで動いているように見え出す。
弾かれて高く舞い上がる、クリスマスケーキの生クリーム、真っ赤なイチゴ。砕け散るシャンパンの瓶から霧のように吹き出す、琥珀色の液体。散り散りになるモミの木の緑、飛ぶ金色のベル。
走り出す男性の背中。女性の、大きく開かれた目と口。つまづいて転ぶ幼い男の子。
時折後ろを振り返りつつ、私を守る盾のようにぴったりと背後をついてくる、朝日の凛とした瞳。
それらは私を中心にして、まるで夢の中のメリーゴーランドみたいに、ひどくのんびりとしたスピードでくるくる回る。
耳には讃美歌が聴こえていた。「アメイジング・グレイス」だ。
朝日の声じゃなく、天に昇っていくかのような女性の伸びやかな声。厳かで、穏やかで、美しい旋律が、私の耳の奥でゆったりと鳴り続けていた。
目に映るものは悲惨な光景でしかないのに、その音はどうしようもなく麗しく、悠々と響くのだった。
いつしか私は祈っていた。
どうか、誰も朝日のことを見ないで。
この人は、私を守ろうとしてくれているだけなの。
だから、物騒な物を振り回したことも、朝日の姿さえも、みんな、お願い、忘れて。
すぐ後ろにいる朝日を気にしながら走っていたら、周囲への意識が散漫になり、ふと手が横を逃げ惑う女性の肘に当たった。バスケットが私の手を離れる。
「レイン!」
身体中の毛を逆立てたレインを閉じ込めたまま、バスケットが道に転がった。私はすぐに、つんのめるようにひざまずく。膝小僧が砂利を踏む。
「――――凛子!!」
それまで耳にしたことのない、切羽詰まった朝日の叫び声が聞こえた。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
振り返った私の目に映ったのは、私をかばうように両手を大きく広げた、朝日の後ろ姿。大きな翼を持つ鳥のようにも見えた。
そのコートの背中に黒い穴が二つ、空いていた。そこから鮮血がしぶきを上げ、私の頬に、鼻先に、雨のように降り注ぐ。ほんのりと温かさを感じた。
「……あさ……? 朝日ぃ――――!!!」
喉が壊れるんじゃないかってくらいの、大きな声で呼んだ時、朝日はこちらに向かってゆっくりと倒れ込んでくるところで、私は泣きながら両方の腕を前に突き出して、立ち上がろうとした。
そのかかとに、バスケットが当たる。
完全に膝を伸ばす寸前だったために不安定になっていた身体は、そんな他愛ないきっかけで簡単に後ろに傾いた。
次に見たのは青い空。雨など降りそうもない、透明なスカイブルー。そして、横からこちらに向かって突進してくる、大型トラック。
あ、私、車道に。
そう思ったのが、最後。
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