19 / 60
【5】
1
しおりを挟む
「おお、横尾さん。ちょうどよかった」
バックルームを歩いていると、前方から、相馬さんが右に左に肩を揺らしながらやってきた。おじさんだけど小柄でぽっちゃりしているからか、ゆるキャラのような趣がある。
「どうしたんですか?」
わたしはお昼ご飯を食べ終えて、売り場に戻るところだった。
思わず笑顔がぎこちなくなる。
相馬さんの満面の笑みと、ちょうどよかったというセリフは、こちら側にとってはあまり良くない展開のフラグだ、とこれまでの経験上よく知っていた。
「これ。出張届ね。新店のオープニングセール、応援に行く日付と氏名を記入して、ここにハンコ。書いたら、福永さんの受領印を貰ってきてね」
相馬さんはB5サイズの用紙を一枚、ぺらっと差し出した。
案の定だ。
新しいお店のオープニングセール、しかも、人気商業施設の中。それなりに混雑するだろう、というのがパパをはじめとする本部の見立て。そのため、セール中の一週間は、各店舗から社員が交代で応援に行くことになった。行列するレジを手伝ったり、あっという間に空になっていく商品の補充を手伝ったりするのだ。
もちろん新店にも社員はいる。
ただ、スタッフの大部分を占める新規のパートやアルバイトは、これから研修が始まる。
クリアランスセールくらいしか、大きなセールをわたしは経験していない。それだって週末にはかなり混み合う。目玉商品ばかりのオープニングセールともなれば、忙しさはきっと段違いだ。新人ばかりではパニックに陥ることが簡単に予測できた。
応援自体はぜんぜんいい。いつもと違う場所での業務は新鮮なはずで、むしろ楽しみだ。琴音と一緒に行けるのだから、ちょっとした旅行気分でもある。
「福永さんですか?」
自分の出した声が驚くほど情けない色をまとっていて、自分でびっくりする。
わたしより背が低い相馬さんは、喉の奥を覗かせながら豪快に笑った。
「福永さんは別に、横尾さんを取って食いやしないよ」
「それはそうでしょうけど……」
わたしが福永さんに苦手意識を抱いているのは、嫌われていると思っているからだ。
そこにきて、お見合いの話。
ただでさえ会わせる顔がないのに、倉庫で迷惑をかけたのはつい先日のこと。ほとぼりが冷めるまでは正直会いたくない。
でも、そんなわたしの事情なんて、相馬さんには当然知り得ない。
「届を出せば出張費が出るし、それには商品部の部長の受領印が必須だからね。日帰りだって立派に出張なんだから、その対価はしっかり貰っておかないと」
ここで、社長の娘には微々たる額だろうけど、と冗談でも言わない相馬さんが、わたしは好きだ。
「あれ、でも福永さん、今日も新店ですよね」
「ちょっと待ってね」
相馬さんは会社から支給されているスマホを操作して、耳にあてがう。すぐに「あぁ、お疲れさまです」と挨拶した。あぁ、はい、なるほど、と相槌を打っていたかと思うと、急に通話を終えた。
「福永さん、今ちょうど本店に着いたところらしいよ」
「え、そうなんですか」
ひとまず今日は会わずに済みそうだと、安心していたのに。
「駐車場だろうね。すぐこっちに向かうって」
「すぐ……」
「捕まってよかったね。忙しい人だから、福永さん。次にいつ会えるかわからないし、ちゃちゃっと貰ってきちゃって」
笑顔で用紙を押しつけてくる相馬さんが、もはやわざとわたしを困らせているのでは、とすら思えてくる。
まだ当日まで四ヶ月もあるのに……とふて腐れそうになるけど、今回の出張届はなにせ全店舗分だ。処理には時間がかかるのかもしれない。
「……わかりました」
「そんなに怖がらないで。福永さんは、仕事に対して真面目な人ってだけだから」
からからと笑う相馬さん。パパも同じことを言っていた。
相馬さんはパパと歳が変わらないみたいだし、そのくらいの年代の人からはそういう印象なのかもしれない。
「年の離れた妹さんがいるとかで、あれで面倒見もいいんだ」
「妹さんですか?」
「確か、十個くらい離れてるんじゃなかったかなぁ。じゃあ、よろしくね。藤井さんにも、出勤してきた時に頼まないとだなぁ」
最後は独り言のようにつぶやいて、相馬さんは来た道をまた揺れながら戻っていった。
福永さんに妹さんがいるだなんて初めて知った。
そもそも福永さんという上司について、わたしは知らないことのほうが多い。何も知らないと言ってもいい。
妙に情報通な琴音や、福永さんと同期の姉なら、もう少し知っていることがあるのだろうか。
福永さんのことを二人に尋ねてみようか、と思っている自分にはたと気がつく。
どうしたわたし、と首を振ってから歩き始めた。
バックルームを歩いていると、前方から、相馬さんが右に左に肩を揺らしながらやってきた。おじさんだけど小柄でぽっちゃりしているからか、ゆるキャラのような趣がある。
「どうしたんですか?」
わたしはお昼ご飯を食べ終えて、売り場に戻るところだった。
思わず笑顔がぎこちなくなる。
相馬さんの満面の笑みと、ちょうどよかったというセリフは、こちら側にとってはあまり良くない展開のフラグだ、とこれまでの経験上よく知っていた。
「これ。出張届ね。新店のオープニングセール、応援に行く日付と氏名を記入して、ここにハンコ。書いたら、福永さんの受領印を貰ってきてね」
相馬さんはB5サイズの用紙を一枚、ぺらっと差し出した。
案の定だ。
新しいお店のオープニングセール、しかも、人気商業施設の中。それなりに混雑するだろう、というのがパパをはじめとする本部の見立て。そのため、セール中の一週間は、各店舗から社員が交代で応援に行くことになった。行列するレジを手伝ったり、あっという間に空になっていく商品の補充を手伝ったりするのだ。
もちろん新店にも社員はいる。
ただ、スタッフの大部分を占める新規のパートやアルバイトは、これから研修が始まる。
クリアランスセールくらいしか、大きなセールをわたしは経験していない。それだって週末にはかなり混み合う。目玉商品ばかりのオープニングセールともなれば、忙しさはきっと段違いだ。新人ばかりではパニックに陥ることが簡単に予測できた。
応援自体はぜんぜんいい。いつもと違う場所での業務は新鮮なはずで、むしろ楽しみだ。琴音と一緒に行けるのだから、ちょっとした旅行気分でもある。
「福永さんですか?」
自分の出した声が驚くほど情けない色をまとっていて、自分でびっくりする。
わたしより背が低い相馬さんは、喉の奥を覗かせながら豪快に笑った。
「福永さんは別に、横尾さんを取って食いやしないよ」
「それはそうでしょうけど……」
わたしが福永さんに苦手意識を抱いているのは、嫌われていると思っているからだ。
そこにきて、お見合いの話。
ただでさえ会わせる顔がないのに、倉庫で迷惑をかけたのはつい先日のこと。ほとぼりが冷めるまでは正直会いたくない。
でも、そんなわたしの事情なんて、相馬さんには当然知り得ない。
「届を出せば出張費が出るし、それには商品部の部長の受領印が必須だからね。日帰りだって立派に出張なんだから、その対価はしっかり貰っておかないと」
ここで、社長の娘には微々たる額だろうけど、と冗談でも言わない相馬さんが、わたしは好きだ。
「あれ、でも福永さん、今日も新店ですよね」
「ちょっと待ってね」
相馬さんは会社から支給されているスマホを操作して、耳にあてがう。すぐに「あぁ、お疲れさまです」と挨拶した。あぁ、はい、なるほど、と相槌を打っていたかと思うと、急に通話を終えた。
「福永さん、今ちょうど本店に着いたところらしいよ」
「え、そうなんですか」
ひとまず今日は会わずに済みそうだと、安心していたのに。
「駐車場だろうね。すぐこっちに向かうって」
「すぐ……」
「捕まってよかったね。忙しい人だから、福永さん。次にいつ会えるかわからないし、ちゃちゃっと貰ってきちゃって」
笑顔で用紙を押しつけてくる相馬さんが、もはやわざとわたしを困らせているのでは、とすら思えてくる。
まだ当日まで四ヶ月もあるのに……とふて腐れそうになるけど、今回の出張届はなにせ全店舗分だ。処理には時間がかかるのかもしれない。
「……わかりました」
「そんなに怖がらないで。福永さんは、仕事に対して真面目な人ってだけだから」
からからと笑う相馬さん。パパも同じことを言っていた。
相馬さんはパパと歳が変わらないみたいだし、そのくらいの年代の人からはそういう印象なのかもしれない。
「年の離れた妹さんがいるとかで、あれで面倒見もいいんだ」
「妹さんですか?」
「確か、十個くらい離れてるんじゃなかったかなぁ。じゃあ、よろしくね。藤井さんにも、出勤してきた時に頼まないとだなぁ」
最後は独り言のようにつぶやいて、相馬さんは来た道をまた揺れながら戻っていった。
福永さんに妹さんがいるだなんて初めて知った。
そもそも福永さんという上司について、わたしは知らないことのほうが多い。何も知らないと言ってもいい。
妙に情報通な琴音や、福永さんと同期の姉なら、もう少し知っていることがあるのだろうか。
福永さんのことを二人に尋ねてみようか、と思っている自分にはたと気がつく。
どうしたわたし、と首を振ってから歩き始めた。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
心のすきまに【社会人恋愛短編集】
山田森湖
恋愛
仕事に追われる毎日、でも心のすきまに、あの人の存在が忍び込む――。
偶然の出会い、初めての感情、すれ違いのもどかしさ。
大人の社会人恋愛を描いた短編集です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる