運命のひとーSADAME NO HITOー

朋藤チルヲ

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 扉を開けたらそこに姉が立っていて、驚いて心臓が引っくり返るかと思った。ぼんやりが過ぎて間違えたのでなければ、ここはわたしの部屋のはずだ。

「ど、どうしたの?」

 シーリングライトが煌々と灯っている。姉が電源を入れたのだろう。

「マスカラ借りようと思って。勝手にごめん」

 そう言う姉の手には、確かにわたしが愛用しているウォータープルーフのマスカラが握られている。

「あぁ、うん。いいよ」

 実は、こういうことはしょっちゅうだった。
 会社のお金には厳しい姉でも、自分のこととなるととたんにルーズになる。頻繁に何かが足りなくなって、わたしが部屋にいようといなかろうと、当たり前のように物を拝借していくのだ。

「優愛こそ、どうしたの」
「え?」
「顔、真っ青だけど」
「びっくりしたんだよ」
「それだけ?」

 じっとこちらを窺う姉の視線に、心臓が落ち着かなくなる。

 福永さんと別れて店内に戻ったわたしは、身体のだるさを抱えながらも、どうにか閉店まで勤め上げた。
 倉庫での出来事から数時間が経つというのに、ショックはまだ身体にも心にも居座っている。でも、心配かけたくない。

「あぁ、ちょっと風邪っぽくて。ほら、今日雨が降ったでしょ? 外の倉庫に出たら少し濡れちゃって」
「風邪? やだ、熱があるの?」

 嘘を信じ込んだ姉は、体温を測ろうと手を出してきた。それをかわす。

「ないない。大丈夫」
「本当に?」
「だって、お腹ペコペコだもん。倒れそうなくらい」
「なぁんだ」

 姉は、安堵と呆れを半分ずつ混ぜたようなため息を吐いた。

「食欲があるなら心配ないね。今日は早めに寝たほうがいいよ」
「うん。そうする」
「じゃ、これちょっと借りる。助かった。出かけようとしたら切れちゃってて」
「出かけるの? 今から?」
「遣史が出張から帰ってくるんだよ。遅くなるけど、一緒に夕飯食べたいって言うから」
「そうなんだ」
「でも我慢できないし、お菓子食べちゃうよね。もちろん夕飯も食べるし。こんなことが何回もあったら、わたしは確実にドレスを着られなくなる」
「あはは。気をつけて」

 ピンク色のスティックを振りながら、ご機嫌に部屋から出たところで、姉は思い出したように振り返った。空いている手をかかげる。

「あぁそれ、捨てるんでしょ? ついでだから、下に持っていってあげる」

 姉の視線が指し示した方角には、ローテーブルがある。読みかけの文庫本が閉じて置いてあって、今朝メイクした時のまま、スタンドミラーも置きっぱなしになっている。その隅に、空のペットボトルが立っていた。

「あ、それは……」
「奈津さん、リサイクルとかきっちりしてるから。出し忘れないうちに、持っていったほうがいいでしょ」
「あ、うん。でも」
「遠慮しなくていいんだって。こっち、マスカラ借りるんだし」

 姉は歯を見せる。

「ううん、いい。自分で持っていく」

 わたしはローテーブルが隠れるように立ちはだかると、姉の背中を押した。

「お礼なら、プロヴァンスのスペシャル・ショートケーキがいい」
「ええ? 高くついたなぁ」
「今までの分まとめてだもん。むしろ安いよ」

 姉がとやかく言い出す前に、ドアを閉める。戻ってこないだろうとは思いつつ、バリケードのように背中で押さえた。間もなく、廊下を叩くスリッパの音が聞こえ始めて、すぐに階段を下りていく音に変調した。

 小さく安堵のため息を吐き出してから、そのままでペットボトルを見た。

 飲み切ってしまったら、ただの資源ゴミだ。
 それはもっともだし、取っておいたってしかたがない。
 元々特別なものでもない。いつでも、コンビニでもスーパーでも、それこそ会社ででも、どこででも同じものを手に入れられる。
 それなのに。
 どうしてなんだろう、と思う。

 福永さんから貰ったペットボトルを捨てられないでいるのは、どうしてなのだろう。
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