あと5分だけ

朋藤チルヲ

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「お。何だよ、おれの部屋にいたのか」

 シャワーを浴びて戻ってきた兄貴が、ドアを開けるなり言った。バスタオルで濡れた髪を乱暴に拭いている。ラフなTシャツ姿なのに、顔が良いから決まって見える。

「新刊が読みたくて」

 僕は適当なことを返した。少年向けの月刊誌で連載されている、人気漫画の続きが新しく発売されたことは、ちょうどいい言い訳になった。

 座り込んで漫画を読む僕のすぐそばにはローテーブルがあり、兄貴のスマートフォンが無造作に置かれている。僕はそれを意識して見ないようにする。

「今からデートでしょ?」

「おう」

 兄貴は、デートの前に必ずシャワーを浴びる。相手と会ったらすぐにホテルに行くからで、だったらそこで浴びればいいのではと思うのだが、兄貴いわく、着いたらすぐに抱き合いたいのだそう。シャワーを浴びる時間も惜しいらしい。

 我が兄貴ながら、そのスケベな性分に呆れてしまうけど、これはチャンスになるのでは? と僕は常々思っていた。

 兄貴は風呂場にスマートフォンを持っていかない。その隙に、兄貴のふりをして彼女とやり取りできるかもしれない。あわよくば、僕の存在を知ってもらえるかもしれない。

 僕は、もうずいぶん以前から、個人的に彼女と話してみたい、と願っていた。

 しかし、兄貴のデートの予定日と僕の休日がうまく重なることがなかったから、タイミングが得られなかった。

 今日はやっと巡ってきた、またとない機会だったのだ。

「やめればいいのに。不倫なんて。誰も悲しいだけだ」

 兄貴が別れた恋人とヨリを戻したと言ってきたのは、マッチングサイトに登録してから、わりとすぐのことだった。

「ははは」

 肯定も否定もしない。その理由が、兄貴が手に入れられない恋人を真剣に愛しているから、ということを僕は知っている。

「何か、きてたか?」

 ローテーブルの上のスマートフォンに視線を落として、兄貴は訊いてきた。

「え? いや」

 僕はドギマギしながら答える。チラリと、視線だけでそれを見やった。

「そっか」

 兄貴はバサバサと服を着替えて、ドライヤーで髪を乾かし、サッと身仕度を整える。そのまま部屋を出ていこうとした。

「スマホ、忘れてるよ」

 僕がそれを手に取り、兄貴のほうに差し出すと、ノブに手をかけたままの兄貴は驚くことを口にした。

「置いていく」

「は?」

「彼女と会ってる間は、時間に縛られたくない。かっこいいだろ」

 兄貴はニヤリと笑った。

「何言ってるんだよ。不便じゃんか」

「ばかだな。昔はスマホなんてなかった。それでもちゃんと待ち合わせできたんだぞ」

「知ってるよ、そんなこと」

「たまにはいい」

 なんだかチグハグな会話のあと、兄貴は本当にスマートフォンを置いて出ていってしまった。




 兄貴が出ていったドアを呆然と見つめて、僕は、まさか、と思った。まさか、兄貴は気づいているんだろうか?

 いや、そんなはずはない。僕はかぶりを振る。

 それから、兄貴のスマートフォンを胸元に引き寄せる。高揚感と言うより、押し潰されそうな不安にさいなまれながら、再び画面をタップした。

 指が震えていた。




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