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「あの時、僕は逆らえなくて……」
隣で、彼は肩を震わせ始めた。
「気持ち悪い、嫌だっていうのしか頭になかった……でも、自分の死期を悟った蛙は、すごく恐ろしかったと思うんだ」
「まぁ……そうだろうよねぇ」
お尻にバキュームの先端をあてがわれたのだから、とそこまで想像して、また吐き気をもよおしてきたため思考を止める。
「当然の報いだってわかってるよ。何度も受け入れようとした。いつも雨に降られるだけで、濡れることは多いけど、死ぬわけじゃないしって」
彼が長い間晴天に恵まれないでいることも、どうやら事実らしい。
そういや確かに、彼がコンビニにくる日は雨が多かった気が。
「季節によっては、濡れて風邪を引いたら、命に関わることもありそうだけど」
指摘しながら、それだって対応策はある、と自分で指摘を重ねる。
よっぽどのひどい風邪だって、病院でそれなりの処置を施してもらえばなんとかなる。そもそも濡れることが前もってわかっているなら、風邪を引かないようにプロテクトを講じることもできる。
あくまで、彼が蛙にひどいことをして、そのせいで、ことごとく雨に降られる呪いをかけられている、それが本当なら、の話だけれど。
彼はきゅっと閉じた喉の奥から絞り出すような、窮屈な声で言った。
「死んだほうがマシかもしれない。呪われている限り、僕はずっと独りだ」
その声の弱さは、柔らかく起伏のない雨にも負けてしまいそうなほど。だけど、わたしの耳に一文字も漏らさず届いた。とりわけ「ずっと独り」という言葉は余韻を残して、しばらく心の隅に居座ることとなる。
彼のこの十年間に思いを馳せる。
例えば、彼を含めた複数人の仲良しグループで何かしようという時。雨によって断念せざるを得なかったことが、少なくなかったのだろう。偶然にすぎないに決まっているけど、その頻度があまりに高ければ、友達の中には、彼のことを気味が悪いと感じる人もいたはずだ。直接口にされたこともあるのかもしれない。
そうしていつも、気がつけば彼は独り。
そうか。
物理的な雨だけではない。
彼は、孤独の雨にも降られていたのだ。ずっと。
「あめおくん」
わたしに世話を焼いてやる義理はない。
彼も、話を聞いてくれるだけでよくて、それ以上は求めていないのかもしれない。でも、ここまで聞いて、放っておけるわけもない。
「呪いの話、わたしはまだ半信半疑なんだけど」
彼はこちらを向いた。すがるような気持ちと、落胆が混じり合ったような色が、至近距離にある瞳の中でゆらゆらと揺れている。
「でも、本当なんだ。僕はいつだって止まない雨の中にいる」
「うん。まぁ、本当なんだとして。その呪いを、なんとかしようとしたことは?」
「なんとか?」
「お祓いとか?」
言い出したものの、パッと思いつく対処法はそのくらいしかなかった。
彼は首を振る。そんなのやるだけ無駄だといった無気力感が、その沈んだ表情に浮かんでいる。
「じゃあ、まずはそこからかな。効果がありそうなことは、片っ端から試していこう。止まない雨なんかさ、この世にないよ」
この終わりを予感させない雨だって、いつかは必ず止むのだ。
彼は、目を見開いてじっと見てきた。
わたしの中で彼はとっくに、単なる性格の悪い男子という印象ではなかったけど、恋する気持ちは燃え尽きてしまっていた。
だって、振られたのだから。
それでも、可愛らしい顔はやっぱり可愛らしいので、わたしはかなり照れる。あからさまなくらいに顔をそむけて、正面を向いた。
「今まで、何も対策をしてこなかったんでしょ」
「だって、だめだったら、余計に落ち込むよ」
「もう、やってもいないうちから、何でだめだった時のことを考えるかな」
彼は黙り込む。
彼が十九年間どういう生き方をしてきたのかが、その態度からわかった。友達が離れる原因は、そこにもあるかもしれない。だとしたら、呪いより何より、まずはそっちをどうにかするべきだ。
「蛙は確かに悲惨だったし、かわいそうだと思う。でも、あめおくんだって、喜んでそんなことやったわけじゃないし」
「当たり前だよ」
「だったら、もういいと思う。十年ってなかなかだよ。ごめんなさいって気持ちは忘れたらだめだけど、もう解放されてもいいんじゃないかな」
とりあえず呪い対策から実践してみよう。
蛙の呪いで雨男、はにわかに信じがたい。
でも、彼の心持ちが軽くなるきっかけにでもなれば。そこから解決への扉が開く可能性はゼロではない。
「でも……どうしたら」
「わからない。だから、思いつくことを片っ端から」
「え……手伝ってくれるの?」
「こうなったら、乗りかかった舟だよね」
こぶしを握って掲げるわたしの目に、使い慣れた改札が見えていた。
隣で、彼は肩を震わせ始めた。
「気持ち悪い、嫌だっていうのしか頭になかった……でも、自分の死期を悟った蛙は、すごく恐ろしかったと思うんだ」
「まぁ……そうだろうよねぇ」
お尻にバキュームの先端をあてがわれたのだから、とそこまで想像して、また吐き気をもよおしてきたため思考を止める。
「当然の報いだってわかってるよ。何度も受け入れようとした。いつも雨に降られるだけで、濡れることは多いけど、死ぬわけじゃないしって」
彼が長い間晴天に恵まれないでいることも、どうやら事実らしい。
そういや確かに、彼がコンビニにくる日は雨が多かった気が。
「季節によっては、濡れて風邪を引いたら、命に関わることもありそうだけど」
指摘しながら、それだって対応策はある、と自分で指摘を重ねる。
よっぽどのひどい風邪だって、病院でそれなりの処置を施してもらえばなんとかなる。そもそも濡れることが前もってわかっているなら、風邪を引かないようにプロテクトを講じることもできる。
あくまで、彼が蛙にひどいことをして、そのせいで、ことごとく雨に降られる呪いをかけられている、それが本当なら、の話だけれど。
彼はきゅっと閉じた喉の奥から絞り出すような、窮屈な声で言った。
「死んだほうがマシかもしれない。呪われている限り、僕はずっと独りだ」
その声の弱さは、柔らかく起伏のない雨にも負けてしまいそうなほど。だけど、わたしの耳に一文字も漏らさず届いた。とりわけ「ずっと独り」という言葉は余韻を残して、しばらく心の隅に居座ることとなる。
彼のこの十年間に思いを馳せる。
例えば、彼を含めた複数人の仲良しグループで何かしようという時。雨によって断念せざるを得なかったことが、少なくなかったのだろう。偶然にすぎないに決まっているけど、その頻度があまりに高ければ、友達の中には、彼のことを気味が悪いと感じる人もいたはずだ。直接口にされたこともあるのかもしれない。
そうしていつも、気がつけば彼は独り。
そうか。
物理的な雨だけではない。
彼は、孤独の雨にも降られていたのだ。ずっと。
「あめおくん」
わたしに世話を焼いてやる義理はない。
彼も、話を聞いてくれるだけでよくて、それ以上は求めていないのかもしれない。でも、ここまで聞いて、放っておけるわけもない。
「呪いの話、わたしはまだ半信半疑なんだけど」
彼はこちらを向いた。すがるような気持ちと、落胆が混じり合ったような色が、至近距離にある瞳の中でゆらゆらと揺れている。
「でも、本当なんだ。僕はいつだって止まない雨の中にいる」
「うん。まぁ、本当なんだとして。その呪いを、なんとかしようとしたことは?」
「なんとか?」
「お祓いとか?」
言い出したものの、パッと思いつく対処法はそのくらいしかなかった。
彼は首を振る。そんなのやるだけ無駄だといった無気力感が、その沈んだ表情に浮かんでいる。
「じゃあ、まずはそこからかな。効果がありそうなことは、片っ端から試していこう。止まない雨なんかさ、この世にないよ」
この終わりを予感させない雨だって、いつかは必ず止むのだ。
彼は、目を見開いてじっと見てきた。
わたしの中で彼はとっくに、単なる性格の悪い男子という印象ではなかったけど、恋する気持ちは燃え尽きてしまっていた。
だって、振られたのだから。
それでも、可愛らしい顔はやっぱり可愛らしいので、わたしはかなり照れる。あからさまなくらいに顔をそむけて、正面を向いた。
「今まで、何も対策をしてこなかったんでしょ」
「だって、だめだったら、余計に落ち込むよ」
「もう、やってもいないうちから、何でだめだった時のことを考えるかな」
彼は黙り込む。
彼が十九年間どういう生き方をしてきたのかが、その態度からわかった。友達が離れる原因は、そこにもあるかもしれない。だとしたら、呪いより何より、まずはそっちをどうにかするべきだ。
「蛙は確かに悲惨だったし、かわいそうだと思う。でも、あめおくんだって、喜んでそんなことやったわけじゃないし」
「当たり前だよ」
「だったら、もういいと思う。十年ってなかなかだよ。ごめんなさいって気持ちは忘れたらだめだけど、もう解放されてもいいんじゃないかな」
とりあえず呪い対策から実践してみよう。
蛙の呪いで雨男、はにわかに信じがたい。
でも、彼の心持ちが軽くなるきっかけにでもなれば。そこから解決への扉が開く可能性はゼロではない。
「でも……どうしたら」
「わからない。だから、思いつくことを片っ端から」
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