11 / 33
第1章 策士、俺 (1543年 4月〜)
第十話 問い、また誇り
しおりを挟む
俺はまだ、夢を見ているのか。
脳裏に響く、微かな声。
叫ぶ様な、子供の泣き声。
消える。消える。消える。
その言葉が、今までの俺を殺してゆく。
俺の形をした〈思い出〉が
まるで、鑢のように削られて
俺の中からゆっくりと、
ゆっくりと、なくなってゆく。
あの時、俺と共に身を乗り出した男の顔を
もう、思い出すことは出来ない。
オマエハダレダ。
問い続けて、問われ続け、
気づけば此処までやって来ていた。
今では、昔の名前すらも、思い出せないのだ。
一つ一つの部品が繋がって、
俺が再び、作られてゆく。
しかし、それは過去の姿では無い。
別の姿をした、今の俺だ。
其処に残っているのは、現世の記憶。
《山本晴幸》としての、俺の記憶。
〈いっそ、忘れてしまうのなら
此処で生きるというのも、また一興か〉
俺はゆっくりと目を開け、うすら笑みを浮かべた。
目を開ける。
状況を理解した俺は、息を吐く。
決して幸せな夢では無い。
されど、夢だったならば
ずっと見ていたかったものだ。
途端に、俺は苦笑する。
若殿なら言うのだろうな。
目の前の事象すら見ようとしない。
そんな晴幸殿は嫌いです、と。
俺は障子を開け、息を吸い込む。
出立した頃と同じ宵の空。ただ、遠くの空が白く染まり始めている。
じきに夜が明ける。こうして、一日目の朝が訪れる。
「御目覚めか、晴幸殿」
俺は、背後から聞こえた声に振り返る。
其処に立つ一人の男。
俺は、その男を知らない。
「直ぐに着替えよ、
其方には教えねばならぬ事が山程ある故な」
男はその言葉と共に、部屋を出る。
そうか、此処では俺は一番の新参者。
若者に従うのはやはり良い心地がしなかったが、今は従うが吉だな。
俺達は城下へ出て、門番に挨拶を交わす。
城内は、誰もいないかの如く静かである。
早朝故に、まだ多くの者が寝静まっている為だ。
俺は物音を立てない様に、廊下を歩く。
ふと、奥の方から良い匂いが漂ってくる。
ほのかな味噌の香り。
恐らく、早くから料理人が朝食を作っているのだろう。
後を追う俺の気配に気づいた男は立ち止まる。
そして、何か思いついたかのように、振り返った。
「申し遅れた、私は飯富虎昌と申す。以後、見知りおきを」
俺の頷きを見て、男は再び歩を進める。
飯富が俺に教えるのは、厠の場所、食事の時間など、此処で過ごす為の基本的な事。
そして、飯富が俺に与えた仕事について。
〈武田晴信の元へ向かうこと〉
其れが、俺が与えられた最初の仕事である。
士官の挨拶と、晴信が役目を任ずる為である。
本日の夕飯の後に向かうと良いということだった。
「其れまで、楽にしていると良い。
また、朝食はこの広間で摂る事になっておる」
其処は、百人は収納できるであろう大広間。
飯富によれば、城の中で最も広い部屋だという。
「軍議も此処で執り行っておるのだ」
「軍議......」
俺は再び、其の広間に目をやる。
主君、武田晴信が座るであろう場所には、武田氏の家紋、四つ割菱が大きく描かれてある。
「飯富殿、
晴信様は、如何様な御方であらせられる」
飯富は笑みをこぼし、其の家紋を眺める。
「殿はあの四つ割菱を、御家の誇りを背にし、戦っておられる。
其れは〈虎〉の如く、勇ましい御方にござる」
「甲斐の......虎」
「はは、甲斐の虎、か。中々良い響きであるな」
不意の呟きに笑う飯富。
俺は何処か、こっぱずかしい気持ちに駆られる。
飯富虎昌
セントウ 一二四七
セイジ 一〇五四
ザイリョク 九三八
チノウ 一一二五
この時代、武士の名には士官先か己の御家に代々伝わる〈通り字〉を付けるのが一般的である。
飯富虎昌。彼の名にある虎も、武田に仕官した事で得たものなのだろう。
「さて晴幸殿、じきに朝飯の刻になる
支度を致そう」
そう言って飯富は歩き出す。
向かう先は、味噌の香りがしたあの部屋。
俺は直ぐに飯富の後を追う。
暁の空には、朝日が昇り始めていた。
この時、俺は少し後悔していた。
もう一歩、もう一歩遅ければ
あの四つ割菱が、昇りゆく朝日に
眩しく照らされている様を、
見ることが出来ていたものを。
脳裏に響く、微かな声。
叫ぶ様な、子供の泣き声。
消える。消える。消える。
その言葉が、今までの俺を殺してゆく。
俺の形をした〈思い出〉が
まるで、鑢のように削られて
俺の中からゆっくりと、
ゆっくりと、なくなってゆく。
あの時、俺と共に身を乗り出した男の顔を
もう、思い出すことは出来ない。
オマエハダレダ。
問い続けて、問われ続け、
気づけば此処までやって来ていた。
今では、昔の名前すらも、思い出せないのだ。
一つ一つの部品が繋がって、
俺が再び、作られてゆく。
しかし、それは過去の姿では無い。
別の姿をした、今の俺だ。
其処に残っているのは、現世の記憶。
《山本晴幸》としての、俺の記憶。
〈いっそ、忘れてしまうのなら
此処で生きるというのも、また一興か〉
俺はゆっくりと目を開け、うすら笑みを浮かべた。
目を開ける。
状況を理解した俺は、息を吐く。
決して幸せな夢では無い。
されど、夢だったならば
ずっと見ていたかったものだ。
途端に、俺は苦笑する。
若殿なら言うのだろうな。
目の前の事象すら見ようとしない。
そんな晴幸殿は嫌いです、と。
俺は障子を開け、息を吸い込む。
出立した頃と同じ宵の空。ただ、遠くの空が白く染まり始めている。
じきに夜が明ける。こうして、一日目の朝が訪れる。
「御目覚めか、晴幸殿」
俺は、背後から聞こえた声に振り返る。
其処に立つ一人の男。
俺は、その男を知らない。
「直ぐに着替えよ、
其方には教えねばならぬ事が山程ある故な」
男はその言葉と共に、部屋を出る。
そうか、此処では俺は一番の新参者。
若者に従うのはやはり良い心地がしなかったが、今は従うが吉だな。
俺達は城下へ出て、門番に挨拶を交わす。
城内は、誰もいないかの如く静かである。
早朝故に、まだ多くの者が寝静まっている為だ。
俺は物音を立てない様に、廊下を歩く。
ふと、奥の方から良い匂いが漂ってくる。
ほのかな味噌の香り。
恐らく、早くから料理人が朝食を作っているのだろう。
後を追う俺の気配に気づいた男は立ち止まる。
そして、何か思いついたかのように、振り返った。
「申し遅れた、私は飯富虎昌と申す。以後、見知りおきを」
俺の頷きを見て、男は再び歩を進める。
飯富が俺に教えるのは、厠の場所、食事の時間など、此処で過ごす為の基本的な事。
そして、飯富が俺に与えた仕事について。
〈武田晴信の元へ向かうこと〉
其れが、俺が与えられた最初の仕事である。
士官の挨拶と、晴信が役目を任ずる為である。
本日の夕飯の後に向かうと良いということだった。
「其れまで、楽にしていると良い。
また、朝食はこの広間で摂る事になっておる」
其処は、百人は収納できるであろう大広間。
飯富によれば、城の中で最も広い部屋だという。
「軍議も此処で執り行っておるのだ」
「軍議......」
俺は再び、其の広間に目をやる。
主君、武田晴信が座るであろう場所には、武田氏の家紋、四つ割菱が大きく描かれてある。
「飯富殿、
晴信様は、如何様な御方であらせられる」
飯富は笑みをこぼし、其の家紋を眺める。
「殿はあの四つ割菱を、御家の誇りを背にし、戦っておられる。
其れは〈虎〉の如く、勇ましい御方にござる」
「甲斐の......虎」
「はは、甲斐の虎、か。中々良い響きであるな」
不意の呟きに笑う飯富。
俺は何処か、こっぱずかしい気持ちに駆られる。
飯富虎昌
セントウ 一二四七
セイジ 一〇五四
ザイリョク 九三八
チノウ 一一二五
この時代、武士の名には士官先か己の御家に代々伝わる〈通り字〉を付けるのが一般的である。
飯富虎昌。彼の名にある虎も、武田に仕官した事で得たものなのだろう。
「さて晴幸殿、じきに朝飯の刻になる
支度を致そう」
そう言って飯富は歩き出す。
向かう先は、味噌の香りがしたあの部屋。
俺は直ぐに飯富の後を追う。
暁の空には、朝日が昇り始めていた。
この時、俺は少し後悔していた。
もう一歩、もう一歩遅ければ
あの四つ割菱が、昇りゆく朝日に
眩しく照らされている様を、
見ることが出来ていたものを。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。
夜兎ましろ
ファンタジー
高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。
ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。
バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。
無属性魔法しか使えない少年冒険者!!
藤城満定
ファンタジー
「祝福の儀式」で授かった属性魔法は無属性魔法だった。無属性と書いてハズレや役立たずと読まれている属性魔法を極めて馬鹿にしてきた奴らの常識を覆して見返す「ざまあ」系ストーリー。
不定期投稿作品です。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
ダンジョンに行くことができるようになったが、職業が強すぎた
ひまなひと
ファンタジー
主人公がダンジョンに潜り、ステータスを強化し、強くなることを目指す物語である。
今の所、170話近くあります。
(修正していないものは1600です)
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる