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#25 エマージェンシーコール
25-2 エマージェンシーコール
しおりを挟む桃色に上気した頬。隙間なく密着した艶めかしい肌。
恋人が他の男ともつれ合う姿を目の前にして、直矢は言葉を失った。
「――直矢さん!?どうして……」
困惑した紫音は、桐谷の広い胸板を押し退けた。その拍子に、白濁の湯が踊るように跳ねる。
主人が時間をかけて拓いた身体に、幼馴染という立場で無遠慮に触れたのだ。怒りの衝動に突き動かされた直矢は、毅然として切り出した。
「……君が連れ去られたと聞いた」
威圧的な眼差しにも屈さず、桐谷は不敵な笑みを崩さない。
「心外だな、俺は親友を朝食に誘っただけですよ」
四人が後ろから駆け付けたのにも臆さず、桐谷は湯船から上がり、屈強な肉体を露わにした。一糸纏わぬ姿であろうと、堂々とした態度で一切を包み隠さない。まるで金色に輝く立派な一物に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「本当なんです……!さっきお蕎麦を食べて、せっかくだから温泉にと……」
紫音の言葉に嘘は無いのだろう。しかし、愛の囁きでも受けているような映像が、直矢の脳裏にちらついて離れない。一方、申し訳無さそうな表情に心が痛んだ。
「それに――圏外で連絡できなくて……心配かけた僕のせいです」
「ううん、俺が急に誘ったからだよ。今度は事前に連絡するね」
見せつけるかのように親密なやり取りに、直矢の神経は逆立つ。
二度目の対峙でも、自信に溢れる桐谷は動揺を微塵も見せない。
あまつさえ、直矢が言及しようか迷っていたことすら、依頼主は秘匿情報をあっさりと開示した。
「そういえば、高科さん。打診書は読んでいただけました?」
「……もちろんですよ。内容については、もう整理できていますから」
半ばブラフ。昨日から理論を詰めてようやく6割弱の分析を終えたところだ。
だが、恋人の前で決して屈することはできない。
「それは良かった。明日オフィスに伺うので、ゆっくりお話しましょう」
緊迫した空気に、簀子を踏みしめる足音が響く。直矢のそばを通り過ぎる間際、桐谷は鋭い視線を送った。
「――期待してますよ」
両肩に重責が圧し掛かり、思わず身震いしそうだった。
依頼主は脱衣スペースに向かい、彫刻のような肉体をタオルで覆い隠した。
「さて、俺は別件があるのでお先に失礼します。皆さんも入って行ったらどうです?」
「マジでイイのか!?つーか、旨そうなリンゴだよな!」
朝食の途中だった大地は、湯に浮かぶリンゴを目ざとく見つけるやいなや、湯船に駆け寄った。すでに床の上を転がり回りながら、一玉を丸ごとかじっていたプリンに負けじと劣らない食欲だ。だが、直矢と同じく警戒を解けないのは残りのメンバーも然りだった。
「……あの、桐谷代表!」
重苦しい沈黙を破ったのは櫂人だ。
直矢がメンバーと恋仲にある関係者だからこそ、彼もまた知り得たばかりの極秘情報を目の前で尋ねた。
「貴社が……私たちのドーム公演のメインスポンサーに決定したと伺ったのですが」
いつでも凛とした立ち振る舞いを崩さない彼でも、若干気圧されているようだ。
それほど、桐谷という男は脅威的な権力と予測不可能な行動力をあわせもっていた。大切なメンバーを僻地の山奥へ連れ去るぐらいには。
「ああ、そうだよ。夕方からの打ち合わせにも参加させてもらうから、よろしく」
桐谷は着替えの手を休めず、冷静に事実を言い放った。
強気な宣戦布告に、その場にいた全員に衝撃が走る。
初耳だったらしい紫音も驚き、驚きのあまり湯船から立ち上がった。リンゴに磨かれた美しい柔肌が露わになる。直矢は背中で庇うように恋人の前に立ちはだかった。
強引とも取れる、まったく予期し得なかった同時介入。ビジネスにも恋愛にも定石は存在しないのだと、警告しているようだった。
「貴方がどれほどの力を持ち、どれほどの数字を求めようとも――舞台の主役は、あくまで彼らです」
直矢は書類の端々から滲んでいた、過剰な期待に暗に釘を刺した。相手が試すつもりなら、手を抜くつもりはない、
「……僕は一人の観客として見届けますが、数字では測れないものを、どうか壊さないでいただきたい」
踏み込むことを許される、境界線間際の攻防。
鮮烈な視線が絡み合い、湯屋の中で熾烈な火花が散る。桐谷が羽織ったコートの裾が翻り、王者であり続けた男の矜持を滲ませていた。
「結果がすべてを語ってくれるでしょう」
いつの間にか扉の外には数人の秘書が控えており、渡されたサングラスを受け取る。肩越しにひらひらと振られた手は、幼馴染に向けられていた。紫音はつられて手を振り返すが、純粋な双眸は不安そうに揺れている。
「たあ君と……何かあったんですか?」
「――いや、仕事の話だよ。重要な依頼を受けてね」
湯冷めしてしまわないよう、直矢は濡れた体をバスタオルで包み込んだ。
直矢は微笑んで答えたが、胸の奥では凄まじい重責が渦を巻いていた。
「え……っ!依頼……ですか?」
「心配する必要はないさ。必ず成功させるよ」
無垢な瞳には疑問符が浮かぶが、それらを打ち消すように抱き寄せる。
ほのかな紅玉の香りがして、肺の奥まで瑞々しく満たされるようだ。擦り減った神経を宥めるのは、安堵の温もりだった。後方で静観していた三人も、囚われていた仲間の元へ駆け寄る。真っ先に櫂人が声を上げた。
「……紫音!無事で良かった」
「ごめん、こんなところまで来させちゃって……!」
奏多と佑真もドーム公演にまつわる重大発表を、たった今知ったようだった。
「それにしても、メインスポンサーの話は本当なんだね」
「マネージャーからのメール、俺も今見たよ」
メンバーにとっても急遽の決定だったようで、寮まで戻るヘリの中でもあらゆる憶測が飛び交った。
資金提供にとどまらず、宣伝協力や会場内演出など、公演のあらゆる面で影響力を持つ。舞台に掲げられる巨大スクリーンの映像、特設ブースや物販のラインナップにすら口を出せるだろう。下手をすれば、衣装やセットの色味まで――白昼堂々と、自分の所有物と主張できる立場を手に入れられる。時として、自分の色で染め上げることも許されるのだ。
スポンサーの支援は、彼らの悲願を叶えるために不可欠だ。だが同時に、それが過剰な支配に変わった瞬間、五人の舞台が『商品』として切り売りされる危うさも察していた。
一体、桐谷はどんな魂胆なのか。
直矢が思案を巡らせていると、肩に心地良い重みがのしかかる。
仲間たちとの会話にも参加せず、紫音は主人の肩に頭を預けていた。直矢は毛先の一本まで愛おしそうに、指先を滑らせる。
恋人に見せたいのは、かつてないほどのファンの熱狂と光の海。
それも客席一面、純粋な紫に染まったサイリウムを。
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