「異世界転生したらギルドで笑われたけど、負けヒロインにはならない!」

ぐれおねP

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第五章 薬草とスライム

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翌朝のギルドは、昨日よりもざわついていた。木の梁から吊られた旗が風に揺れ、酒精と革油の匂いが混じり合う。掲示板の前には人だかりができ、紙を引き抜いては仲間と短く相談する声が絶えない。

 アリサは新米腕章を指でつまみ、深呼吸してから掲示板の前に立った。上段には「盗賊退治」「護衛募集」「森の魔物討伐」――勇ましい文字がずらりと並ぶ。だが胸の鼓動は、そういう紙の前で不安の形を取って大きくなる。

「薬草採取……これなら危なくなさそうだし!」

 小さく呟いたつもりが、声は思ったより弾んだ。近くの男たちが振り返り、にやりと笑う。

「ぷっ、新入りは草むしりかよ」
「街娘の格好で森って、どうせ泣いて帰るだろ」

 星柄のシャツ、左肩の見えるフリル、オレンジ色のスカートに白いベルト。派手なハーフブーツ。――ここでは確かに“冒険者らしくない”。それでも、アリサは拳を握って笑い返した。

「ふん、笑ってなさい! 見てなさい、ちゃんと持って帰ってくるから!」

 依頼書をつかんでカウンターへ向かうと、帳面を捌いていたヨルコが視線を上げた。整った身なり、乱れのない所作。声は穏やかな敬語だが、場を仕切る芯の強さがある。

「薬草採取の依頼ですね。期限は本日中、報酬は銅貨十五枚。採取した葉は潰れやすいので、袋の底に硬い物を詰めないようお気をつけください」
「はいっ!」
「森は思いのほか深いです。決して奥へ入り過ぎないように。危険を感じたら、躊躇せず引き返しなさい」

 釘を刺す言葉は静かで、しかし確かだ。アリサは深く頷き、店先で主人に手を振ってから森へ向かった。

 通りの角で、鎖帷子の上に革を重ねた壮年の男――ガルドが腕を組んで立っていた。
「嬢ちゃん」
「ガルドさん!」
「草は陽だまりの縁に出る。根を切りすぎるな。袋は重ねず、薄く広げて入れろ」
「……はい!」
 短い助言が、背中のこわばりをほんの少し解いた。

――――

 町外れの小道を抜けると、森はすぐに口を開いた。最初の一歩で、空気が変わる。土の湿り気、苔の匂い、冷たい木陰。鳥の声はするのに、なぜか胸の奥の方でざわざわと落ち着かない。

「だ、大丈夫。草を集めるだけだもん……草……」

 アリサは腰を落とし、メモ用紙を広げた。そこには雑なイラストと短い指示――「葉の縁がギザギザ」「茎が赤い」「白い花が咲くこともある」。だが、目の前に広がる緑はどれも似た顔をしていて、いざ見分けようとすると途端に心細くなる。

 とりあえず――とアリサは手近な葉をひとつ抜き、匂いを嗅いだ。土の匂い。違う。もうひとつ。草。もうひとつ。草。袋の口を片手で押さえ、摘んだものを次々落としていく。しゃがみ込んだ姿勢のまま移動するのは意外に体力を使う。額に汗がじわりと浮き、星柄のシャツの裾がひんやりと肌に貼りつく。

「……これじゃただの草むしりだよ。冒険者っぽくない……」

 ぼやきながらも、アリサは根気よく緑を選り分けた。やがて、雑草とは違うかすかな清涼感のある匂いに気づく。茎は細く赤く、葉の縁が鋸のように刻まれている。メモの絵と一致する。

「やった! これだ――!」

 指先が弾んだ、その時だった。

――ぐちゅ。

 背後で、湿った何かが地面を撫でる音。アリサは振り返った。そこにあったのは、半透明の塊。丸い体の中で気泡がぷくぷくと浮かび沈み、表面の粘液が落ち葉を溶かして黒く染めていく。

「ひぃっ!? な、なにこれ! スライム!? 本当にいるの!?」

 スライムは音もなく前へ滑った。アリサは慌てて掌大の石を拾い、渾身で投げる。ぼちゃん、と鈍い音。石はそのまま飲み込まれて跡形もなく消えた。近くの枝を振り下ろしても、ぬるりと受け止められ、泡の中に沈む。

「き、効かないっ!? た、食べられる――!?」

 恐怖が足首から這い上がってくる。アリサは反射的に走り、太い幹の影に身を押しつけた。スライムはにゅるにゅると後を追い、通った跡には粘液が残る。土が泡立ち、草が溶け、じわじわと黒い筋が伸びる。

「や、やめて……! 誰か、助けて――!」

 叫びは森に吸い込まれ、小鳥が一斉に羽ばたいた。枝葉がばさばさと揺れて、頭上から小さな木屑が降る。心臓は痛いほど跳ね、足の指先まで震えが伝わる。

 そのとき、スライムがびくりと痙攣した。アリサの左手に握られた薬草から、強い青臭さが立ち上る。スライムは身をよじり、粘液の表面に不快そうな波紋を走らせると、ぬるりと後退した。さらに一度、二度、身震いすると、今度はあっさりと身を翻し、森の奥へと退いていく。

 置いていかれた静けさの中で、アリサは膝から崩れ落ちた。泥がスカートに跳ねても気にしない。背中から冷たい汗がつうっと落ちる。指先がしびれ、握った薬草が小刻みに震えた。

「……死ぬかと思った……。これ、全然ゲームと違う……」

 震える息を整えながら、アリサは袋の中身を見直した。硬い葉は底、柔らかい葉は上――ガルドの助言を思い出し、重ならないよう薄く広げて入れ直す。拾えるだけ拾った枝葉を払い、立ち上がろうとすると、足が思うように力を取り戻してくれない。深呼吸を三度、ゆっくり繰り返し、ようやく膝が言うことを聞いた。

 帰り道、同じ種類の薬草を慎重に選っては採り、袋へ入れた。森は来た時よりも暗く、迷い込めば帰れなくなりそうな陰を作っている。それでも――もう一歩。もう一本。アリサは自分に小さく頷きながら、入口へと引き返した。

――――

 夕暮れのギルドは、昼とは違うざわめきで満ちていた。仕事を終えた者たちの笑い声、乾いたジョッキが卓に触れる音。扉を押し開けると、何人かが振り返って口笛を鳴らした。

「お、帰ってきたぞ」
「で? 草むしりは終わったのか?」
「森で泣きべそかいて帰ったんじゃねえの?」

 アリサは躊躇せずカウンターへ進むと、袋をドンと置いた。中身が押し潰れないよう手で支えたまま、顔を上げる。

「ほら! 薬草、ちゃんと持ってきたから!」

 ヨルコは袋を受け取り、つぶさに中身を検める。葉の縁、茎の色、香り。手際は静かで、判断は速い。

「……はい。間違いなく薬草です。採取量も基準を満たしています。お疲れさまでした、アリサ様」

 “アリサ様”の一言で、周囲のからかいはぴたりと止んだ。さっきまで笑っていた男が、わずかに咳払いして視線を逸らす。アリサは泥で汚れたスカートの裾を直し、胸を張った。震えはまだ少し残っている。それでも、声は前を向いた。

「次は絶対、もっとちゃんとした依頼もこなしてみせるから!」

 カウンターの向こうで、ヨルコがわずかに目を細める。
「無理を重ねないこと。危険に直面したら、退く判断も仕事のうちです。――本日は銅貨十五枚、こちらを」

 そのとき、後ろからガルドの声が落ちた。
「嬢ちゃん。根は切り過ぎてねえな。上出来だ」
「……見てたの?」
「見るさ。新米の“帰り顔”は大事だ」
 ぽん、と大きな手がアリサの肩に置かれる。重いのに、不思議と安心する重さだった。

 アリサは銅貨を両手で受け取り、巾着に収めた。硬貨の触れ合う小さな音が、今日という一日の“終わり”を告げる鈴みたいに胸の奥で鳴った。

「ねえ、お姉ちゃん」横から小さな声。昼間手伝ってくれた子どもたちが、カウンターの端でこちらを見上げていた。「森、こわかった?」
「こわかったよ。けど、ちゃんと帰ってきた」アリサは笑ってウインクした。「今度は転ばないで帰ってくるから!」

 笑いが起こる。嘲りではない、ほんの少しの敬意が混じった笑い。アリサは肩の力を抜いた。星の髪飾りが小さく鳴って、窓の外では空が紫から群青へと色を変えていく。

 渡された布切れと木桶で、アリサは泥の付いたブーツの底をこすった。水面に細かな波紋が立つ。バケツを倒しかけて慌てて支えると、ヨルコが小さく咳払いをした。
「……静かに」
「す、すみません!」
 自分でも笑ってしまうくらい、三日前と同じ失敗をしかけている。けれど今度は、倒さずに済んだ。

 帰り際、ヨルコが引き出しから薄い札束を一枚取り出して差し出した。
「簡易識草札です。よく出回る薬草の図と特徴が描かれています。貸出は無料ですが、紛失は銅貨二枚。――明朝、返却してください」
「ありがとうございます! これ、さっきの薬草も載ってます?」
「ええ。“苦胆草”。潰すと強い苦味と青臭さが出ます。水を汚す性質もあるので、ギルドの中では扱いに注意を」
「……もしかして、スライムが嫌がったのって」
「断定はできません。ただ、苦胆草の匂いを嫌う種は多い。今日のように偶然身を守ることもあるでしょう」
 ヨルコはそこで言葉を切り、まっすぐにアリサを見た。
「でも、頼り過ぎないこと。匂いに慣れる個体もいます」
「わかりました」
 アリサは札を胸元にしまい、巾着の口を固く結んだ。札の角が星柄の布越しに軽く当たり、そこだけひんやりする。

 屋根裏に戻ると、窓辺に腰をかけて札を一枚ずつ眺めた。描かれた葉の影は、昼の森の薄暗さを思い出させる。苦胆草、星露草、赤茎花……。文字はまだたどたどしいが、指でなぞればすこしずつ頭に入る。
(次は、匂いの違いもちゃんと覚えよう)
 そう思った瞬間、昼に嗅いだ強い青臭さが鼻の奥で蘇り、背中に冷たい汗がひと筋落ちた。恐怖の輪郭は消えずに残っている。けれど、輪郭の内側に小さな灯りがひとつ増えた気がした。

 布団に潜り込む前、アリサは巾着から銅貨を一枚取り出して光に翳した。刻まれた紋は粗いが、今日の重みがそこにある。パン屋の棚の列、子どもたちの掌、スライムの無音の迫り――全部がこの一枚に繋がっている。
「……明日も、帰ってくる」
 声に出すと、胸の奥が少しだけ軽くなった。丸窓の向こう、夜の風が梁を鳴らし、粉の匂いがやわらかく漂った。

 藁のマットに体を沈め、丸窓に浮かぶ星を見上げる。星柄のシャツの小さな星と、窓の外の本物の星。似ているけれど、違う。手は届かないけれど、胸の中なら、いくつでも瞬かせられる。

 アリサは髪飾りの星をそっと撫で、目を閉じた。――明日も、掲示板の前に立つ。今度は、怖さを知った足で。
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