「異世界転生したらギルドで笑われたけど、負けヒロインにはならない!」

ぐれおねP

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第六章 迷子の猫と森の影

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――ギルドの掲示板前。
昼の陽が斜めに差し込んで、古い木板の表面に貼られた依頼札の端が、微かに反り返っていた。墨書きの文字は太く、ところどころ指で触れられたらしく艶がある。討伐、護衛、採取、配達――言葉の並びに鉄の匂いと汗の匂いが混ざって、ここが町の裏の心臓であることを嗅覚の底で教えてくる。

アリサは、その中の一枚を両手で摘み上げ、ほとんど胸の高さに掲げた。
「見て見て! これなら私にもできそうだよ!」

小さな木札には、丸い字でこうある。

依頼:迷子の猫の捜索
対象:黒い毛並みの小柄な猫(名:ミュウ/首輪なし)
最終目撃:西市場裏の路地 → 城壁沿い → 北側雑木林
期限:本日中
報酬:銅貨十枚+パン引換券一枚

討伐札の「金貨」や「銀貨」に比べれば、確かに笑われる額だ。けれど、今のアリサにとっては十分に眩しい。銅貨十枚はこの町の感覚でパン二つとスープくらい。引換券がつけば、今夜は空腹で眠らずに済む。

「……また、変わった依頼を選びましたね。新人さんらしいといえばらしいですが」

背後から落ち着いた声。振り返ると、受付の少女――ヨルコが帳面を抱えて立っていた。長いツインテールの先が控えめに揺れる。佇まいは控えめだが、カウンターに立つと不思議と場が締まるタイプ。言葉遣いは柔らかいが、視線は仕事の人間のそれだ。

「ふふん! これがいいんだよ!」アリサは胸を張る。「だって、いきなり魔物退治は無理でしょ? まずは、かわいい子を助けるところから始めるべき!」

「理にかなっています。……依頼人は西通りの仕立屋の奥様。黒い毛並みの『ミュウ』という猫。最後の目撃は――」
ヨルコはアリサの木札を一度受け取り、すらすらと読み上げた。「西市場裏の路地から城壁沿い、北側の雑木林。……前金、少々お渡ししますね。情報を買うにも、水を飲むにも、銅貨は必要ですから」

革の小袋が、掌に落ちる。中で硬貨が優しく鳴った。アリサは目を丸くし、次の瞬間にはにかんだ笑顔で「ありがとうございます!」と頭を下げる。

「それと――」とヨルコ。「呼び方ですが、ギルドでは短い名の方が手続きが早く、呼びかけも通りやすいのです。『神咲舞愛梨沙』では長いので……『アリサ』でよろしいですか」

「……アリサ、いいね。うん、アリサで!」

「では、アリサさん。お気をつけて。西市場は賑やかですが、裏手は人通りが少なく、スリも出ます。財布は前ではなく腰へ、紐は二重。――それから、可愛いものに気を取られすぎませんように」

「は、はいっ! ……(可愛いものって、パンのこと? 猫のこと? 両方だよね)」
心の中で小声のボケを入れて、アリサはくるりと踵を返した。背中のリボンがしゃらりと鳴る。……と、その結び目が、するり。

「わ、ちょ……!」
スカートが危うくずり落ちかけ、あわてて結び直す。掲示板の陰からくすくす笑い。冷やかし混じりの視線。
「新人だ」「猫か」「まず自分の尻尾縛れよ」
――聞こえないふり。星の髪飾りを指でちょんと触れて、気持ちを切り替える。

西市場は、昼の熱気でふくらんでいた。
屋台の布は色とりどりで、赤や青や黄色が風にふわりと膨らむ。果物台では柑橘が山になり、皮の油が陽を跳ね返してきらりと光る。香辛料の袋からは鼻の奥をくすぐる辛い匂い。焼き串の脂が火に落ちて、じゅっと音を立て、煙の白が空へ伸びていく。

「すみませーん! 黒い猫、見ませんでしたか?」
アリサは、露店の列に沿って頭を下げまくった。

「猫? 魚屋の裏で魚を狙ってた黒いのなら、昼前に見たよ」
「こっちは見てないね。犬ならそこを通ったがね」
「さっき、仕立屋さんが泣いてた。早く見つかるといいねぇ」

情報は出る。が、散る。市場の風みたいにあっちこっちで渦を巻いて、統一方向を指し示してはくれない。
(推理小説の主人公なら、さらっと整頓するところだよね……! えっと、共通点は……お魚、路地裏、仕立屋さんの近く……)

「お嬢ちゃん、猫探しかい? 腹は減ってるのかい?」
呼び止められて振り向くと、焼き菓子の屋台の老婆が、揚げたての輪っかをひょいと上げて見せた。
「匂いに釣られて猫も来るさ。人間もだけどね」

「――ひとつください!」
反射で財布が出た。銅貨一枚が婆の皺だらけの掌に落ち、代わりに紙袋の温かさがアリサの指に移る。
(情報収集には多少の買い物も必要――ヨルコさんもそう言ってた、うん、必要経費!)

一口かじる。砂糖がしゃり、外はさく、中は柔らかい。思わず目が細くなる。胃袋が歓喜の音を立てる。
――と、その影から鼻先がぬっと伸びて、がぶり。
「ちょ、ちょっとおおぉ!? 私の輪っかぁぁ!」
野良犬、逃走。尻尾を高速で振り、路地の角を曲がって消えた。
「わーはっは」「がんばれお姉ちゃん」市場の子どもが笑い転げる。アリサは涙目で拳を握り――ぐっと深呼吸。
(今は猫! 犬は後で! ……いや、犬も気になるけど今は猫!)

仕立屋の前で、エプロン姿の奥様が行き交う人に頭を下げているのが目に入った。目は赤い。
「あなたが受けてくださったのね……? 本当にありがとう」
「任せてください! 絶対、連れて帰ります!」

奥様から小さな布切れを受け取る。猫の寝床に敷いていたもので、ミュウの匂いがするはずだ。鼻先に寄せると、日向の暖かさと微かなミルクの匂い。胸の奥が少し柔らかくなる。
(帰ったら――いや、帰ったらじゃない、連れて帰ったら。ちゃんとパンも買って、一緒に食べよう)

市場の裏へ回ると、喧騒は音量を下げ、石壁の影が濃くなった。干された洗濯物が風に揺れ、猫の通り道になりそうな隙間が縦に伸びている。魚屋の裏では、下処理の水が細く流れて、猫だったら覗き込まずにいられない匂いを漂わせた。

「ミュウー……ミュウちゃーん……」
呼びかける声は、わざと高め。友好的な音で、こちらは敵じゃないと伝えたい。
(おいしい声、おいしい声……おいしいって何)

足元を気にしながら、低いところ、箱の隙間、樽と樽の間、塀の基礎――視線を落としていく。
すると、壁沿いの埃の上に、小さな足跡が点々と続いているのが見えた。前足、後足、前、後。深くない。軽い。猫級。
「いた……!」
思わず声が漏れる。跡は城壁沿いへ伸びていて、やがて街外へ向かう小門の陰に消えていた。

「外、出ちゃってる……?」
喉が少し乾く。人の気配が薄い方へ――ヨルコの注意が頭の端で点灯する。
「財布は腰、紐は二重。……よし」
きゅ、と結び直して、小門を抜けた。

門を過ぎると、町のざわめきは背中の方へ薄れていった。
代わりに耳へ届くのは、草の擦れる音と、鳥の短いさえずり、どこかで水が流れる微かな音。石畳はやがて土道に変わり、踏みしめるたびに乾いた土が靴裏でやさしく鳴いた。

「……大丈夫。猫探しだし。うん、猫探し」
独り言は、勇気を出すための呪文だ。言葉にすると、不思議と足の筋肉が働きやすくなる。

北側の雑木林は町の影を受けて薄暗く、昼だというのに地面にはまだらな影が落ちている。鼻に入るのは湿った土と青い葉の匂い。パン屋の甘い匂いとはまるで違う、尖った匂い。
(パン……帰ったら、蜂蜜パン買おう。ミュウちゃんも好きかな。猫って甘いの平気? ……いや、ダメだった気がする。じゃあミルク……あ、でも私、今お金)
思考が食べ物方面へ脱線しかけ、アリサは首を振って集中を戻した。

「ミュウー……ミュウちゃん……聞こえたら返事して?」
最初の一歩。ぱり、と枯葉が鳴る。自分の立てた音に肩が跳ねる。もう一歩、今度はゆっくり、つま先から置く。
低い潅木の葉先に、黒い毛が一本絡んでいるのを見つけた。指でつまむと、細く、柔らかい。鼻先へ持っていくと、日向の匂いに街の埃が混じったような懐かしい匂い。
(合ってる。絶対、こっち)

幹の低いところに、細い爪痕が縦に走っていた。登ろうとして、諦めた痕――。
アリサは膝を折り、根元を覗き込む。
「ミュウちゃん……怖いの? アリサだよ。怪しい者では……怪しいけど、怪しくないよ……!」
自分でも何を言っているのか分からなくて、頬が熱くなる。けれど、声を柔らかく保ち続けることが大事だと、どこかで知っている。

「……にゃ」
耳をかすめた、細い鳴き声。
アリサは息を止め、音の来た方角を探る。右、少し奥。灌木の重なりをそっと押し分け――

いた。
落ち葉の上に、小さな黒い毛玉。琥珀色の目だけが、こちらをじっと見ている。
「……ミュ、ウ……?」
自分の声が驚くほど小さくなる。アリサは手のひらを見せ、ゆっくりと差し出した。
鼻先がぴくり。ひとつ瞬き。毛先がふるり。距離は、あと少し。

「大丈夫。怖くないよ。帰ろう? お母さん、待ってる」
地面に近い低さで、掌を広げる。指先に、薄く息を吹きかける。
猫はためらいながらも、そろりと一歩近づいた。顎が指先に触れる。
――届く。
胸の奥で、固くなっていた何かがほどける。

アリサはそっと顎を撫で、掌に体重を預けさせる。もう片方の手を添えて、抱き上げる――
その、まさに直前。

ばさ、と低い草が裂ける音。
森の奥から、灰色の影がぬるり、と姿を見せた。

一匹。
二匹。
三匹。

狼。
湿り気を含んで逆立つ毛。鈍く光る目。口角から糸を引く涎。
喉の奥で、石を擦るような音が鳴っている。

(え)

思考が、空白で瞬きをした。
アリサは反射で猫を胸に抱きこんだ。もう片方の手で足元を探り、手首ほどの木の枝を掴む。構える。腕は震える。けれど、声は出た。
「――来ないで」

狼たちは扇状に広がり、半円の包囲を作って、じりじりと間合いを詰めてくる。地面に置く足音が、逆に恐ろしいほど静かだ。
(どうする。走る? ――だめ、ミュウが落ちる。投げて逃げる? 論外!)
喉が乾く。額から汗が落ちる。枝の先がわずかに震え、星の髪飾りが耳元でかすかに鳴った。

左の耳がぴくり。低く地面を蹴る音。飛ぶ――
「っ!」
アリサは枝を横へ払った。ぶん、と風。狼は身をひねってかわし、近い。毛の粗さが見える。背中が木にぶつかり、「痛っ」と声が漏れる。
中央の狼が滑るように踏み込む。牙の白、舌の赤――

(だいじょうぶ、守る)

アリサは下から枝を突き上げ――

――そこで、切る。

森の空気が一段冷たく、張りつめる。
アリサの呼吸は短く、猫の鼓動は速い。
次の瞬間へ、世界が息を潜める。
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