秘すれば花

Ruca Davis

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秘すれば花①『8歳の誕生日』

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第1章 第1話    『8歳の誕生日』


その日も、激しい雨が降りしきっていた。

窓ガラスを叩く雨粒の音が部屋に響き、窓を伝う水の音がまるで誰かの泣き声のように聞こえる。
華和(はな)は薄暗いリビングで、時計の横に書かれた
数字を指さして呟いた。




『5、1、2。』

8歳になったばかりの小さな指が、時計の針を
追いかける。
独りぼっちで迎えるのは、いくつ目の誕生日
なのだろうか。

まだまだ1人では何も出来なそうな年齢に見える
その少女はリビングから誰もいない部屋へ戻り、
床に散らばっていた新聞紙を1枚手に取った。

それを大きく丸く切り、もうほんの僅かしか
残っていない赤いクレヨンを握りしめた。
そして、小さな手で一生懸命に、丸々と美味しそうな
苺を真剣に描いていく。

カサカサ、ペタペタ、カサ。



静まり返った部屋に響くのは、クレヨンが紙を
こする音だけ。
時計の秒針が刻む音さえも、やけに大きく聞こえる。

華和は描き終えた大きな苺をハサミで切り取り、
新聞紙の真ん中に置くと、さらに周りにある新聞紙を
細かく切り刻んだ。
それを両手でかき集め、新聞紙で出来た誕生日ケーキの上に持ってきた。

「ハッピバースデートゥーユー、
    ハッピバースデートゥーユー。
 ハッピバースデー ディア はーな。
    ハッピバースデートゥーユ………。」


自分で歌い終えると、華和は両手に向かってふっと
息を吹きかけた。
刻まれた新聞紙が宙に舞い散り、ひらひらと床に落ちていった。

まるで、蠟燭の灯を消すような祈りを込めて。





「どうか、お母さんが早く帰ってきますように。」






華和は両手を握りしめ、目を瞑って、小さく呟いた。
目を開けても部屋には一人で、何も変わらなかった。

毎年こんなことを続けても叶わないのかと少し諦めてきてもいた。

この虚しい1人の誕生日の日はいつもより過ぎていく
時間が長く感じてしまうので、家に残っている
インスタントラーメンの数を数えることにした。
これは華和にとってちょうどいい暇つぶしになるのだ。

「1…2と、3…」

10までしか数えることができないのだが、家にあるインスタントラーメンは数える度に少なくなっていく。
あともう数日でそれがなくなってしまうことぐらいなら、華和にも理解できた。

無くなったとしてもどうしたらいいのかさえも
わからない。

まだ8歳の華和にできることは、ただお母さんが
早く帰ってくることを願うだけだった。

あれはいつのことだっただろうか。

ある日突然、母が息を切らせながら大量の買い物袋や段ボールを抱えて帰ってきた。
インスタントラーメンに即席のお味噌汁、レトルトカレーにお粥のカップ。
家の1部屋がそれらの食料で埋まってしまうほどだった。


 「お母さん、そんなにたくさんどうしたの?」 



華和は山積みになった箱や食料を見上げながら、
小さな手で母の袖を引っ張った。
母の首元には薄っすらと汗が滲んでいる。


「お仕事でいろいろ貰ったのよ。これだけあれば、3年ぐらいは食べるものに困らなそうじゃない?」


母は何度も玄関と部屋を往復しながら、重い箱を
運んでいった。
その表情は、なぜかいつもより慌ただしく見えた。

そこから数日間、母はインスタントラーメンなどの
作り方を教えてくれた。

「いい?これは中にラーメンが入っているの。
  このポットに水を入れて、取っ手のところにある
  ボタンを押す。
  暖かくなったらこの硬いラーメンにかけるのよ。
  華和でも出来るはずだからやってごらんなさい。」


母はカップを手に持ちながら、いつもより真剣な表情で淡々と話した。


「私でもできるの?」

華和は不安そうに母を見上げる。

「できるはずよ。例えば、お母さんがもしもお仕事とかで遅くなって、自分でお腹がすいてしまった時、困らないように。ほら、やってみましょう。」

「うん!できたらすごい?」

「ええ、もちろん。できたら天才よ。ほら水を入れてみ 
 て。」

母の笑顔は、いつもより少し寂しそうに見えた。

華和がポットに水を入れて温まるのを待っていると、
母はしゃがみこんで、華和の両肩に手を置いた。

「華和、もうひとつ聞いてほしいことがあるの。
 お母さんが仕事でいない時に誰かが訪ねて来ても
 絶対にドアを開けちゃ駄目よ。
 母さんが開けてほしい時は華和の名前呼ぶから。
 その時以外は絶対に鍵を開けちゃダメ。約束できる?」

「うん、わかった。でも穴から見るのはいい?」

「静かに見るだけよ?」

「分かった!ねぇ、お母さん、私この赤いイカの
  入っているラーメンがすき!」

「お母さんはね、黄色いたまごが好き。」

2人は話している間であっという間にできたインスタントラーメンを仲良く分けて食べた。

華和は最初、短い時間で出来上がるアツアツの
料理たちに歓喜した。
そして、だんだんとその料理たちを作ることが
得意になっていった。


でも、それも毎日続けばただ口に入れるだけのものとなってしまう。
今となっては、どうしようもなくおなかが減ってしまったときに空腹を満たすためだけの作業となった。

そして、忘れられない5歳の誕生日の日がやってきた。

何でもない日のはずだったのに、


何でもない日のはずだったのに、


華和はその日が忘れられない日になったのだ。

誕生日の日の夜、いつも通り母の手料理で2人でお祝いをした。

母は華和が1番好きなミートソーススパゲティを作ってくれた。
たっぷりのソースで口がオレンジ色になりながらも、華和は一生懸命食べた。
にんじん嫌いな華和のために、丁寧に細かく
切られた具材。
そのひとつひとつに、母の愛情が込められているのを感じた。

「お母さん、おいしいよ!明日も食べたいくらい!」

「ふふふ、ソースが飛び散るからゆっくり食べなさいね。お母さんのも食べる??」

「いいの?ぜーんぶぜんぶ食べたい!」

母は優しく笑いながら、一生懸命食べる華和のオレンジ色の口をティッシュで拭いてくれた。


食事の後には、母が16色の新しいクレヨンをプレゼントしてくれた。
16色の新しいクレヨンに華和の目もキラキラ輝く。

「きれい!灰色とかもある!」

華和は4歳の頃から絵を描くことが大好きで、図鑑を見ながらとても上手に絵を描くことができた。
華和はさっそく自分と母が2人で美味しそうにスパゲッティを食べている絵を描いて見せた。


それを見た母は嬉しそうに笑い、目にはキラリと光るものが見えた。

そして、いつもより強く、長く抱きしめてくれた。

「お母さん、どうかしたの?」

「華和の絵が上手になって嬉しかったのよ。ありがとう。ここに飾ろっか。」

母は絵をキッチン横のコルクボードに貼ってくれた。
そこには、2人の笑顔の写真がたくさん飾られている。

母の喜び方は、絵が上手だっただけでそんなに嬉しかったのかと、華和には少し不思議に思えた。


その後は2人でお風呂に入って、

華和は母に抱きしめられたまま、眠りについた。

華和が眠りについてからも、母はしばらく頭を撫でてくれていたような気がした。

そして翌朝。

華和が目を覚ましたとき、母は華和が書いた似顔絵と
一緒に、突然姿を消していた。

5歳になったばかりの華和は、ただ泣くことしか
出来なかった。

「お母さん…?」

小さな声で呼んでも、返事は何もない。
いつもなら、華和が泣くと駆け寄って
抱きしめてくれた母の姿は、どこにもなかった。

「お母さん、どこ行ったの…?
    もしかして、かくれんぼ?」

華和は涙をこぼしながら、次は大きな声で叫んだ。
そして、母の部屋へと駆け込んだ。



いつもは、優しい香りが漂っていた部屋は、
静かで冷たかった。
母の好きな赤い花の絵が飾られた壁を見つめ、華和はさらに泣きじゃくった。

「お母さん…早く帰ってきて…」

次から次へと涙が溢れて止まらない。

まだ5歳の華和にとって、母の存在は世界の
すべてだった。
小さな体は無力で、できることは泣くことだけ。
泣いていれば、出掛けた母が帰ってきた時に心配して
抱きしめてくれるだろう。
そう思っていた。


でも、母は夜になっても帰ってこなかった。

お腹が空いて、喉が渇いて、眠くて。
でも、母がいない不安が、華和の小さな体を震わせた。ただ泣くだけで疲れ、眠りにつく。

次の日も、

その次の日も、

母は帰ってこなかった。

一度だけ、自分で外に出てみようと決心した日が
あった。
少し小さくなった黄色い花のついた靴を無理やり履いて、玄関の鍵に手をかける。

ガチャリ。




鍵の音が響いた瞬間、全身に緊張が走った。
ドアの外からは、何か音が聞こえてくる。
それは、誰かの笑い声なのか、それとも、何か
怖いものの音なのか。

心臓がドキドキして、息が苦しくなった。



母との約束が頭をよぎる。




「ひとりで外に出たら、怖い人に連れて行かれて
   しまうかもしれない。
   家の中が1番安全だから、絶対出てはいけない。」




そんなことを考えているととても悪いことをしている
ような気がしてきた。
そして、靴の中でぎゅうぎゅうに詰められた足の指も
だんだんと痛くなってきて、華和はドアノブに掛けている手を離した。




母が帰ってくるまで、この家でじっと待っていよう。
きっと大丈夫。
すぐ帰ってきてくれる。


そう思うことにした。

雨が激しく、雷が強い日は辛うじて毛布にまだ残っている母の残り香に包まれて、目を閉じた。
目を閉じれば花の香りに包まれ、心が安らいだ。

やがて、季節は移り変わり、
華和の肩までだった髪も気づけば胸のところまで伸び、前髪も鼻のところまで伸びてしまった。
図鑑を読もうとするたびに伸びた前髪が目の前に落ちてきて、華和は邪魔で邪魔で仕方なかった。



以前は母が伸びる度に新聞紙を敷いて丁寧に切ってくれたが、今は自分でやるしかないようだ。

キッチンにあったハサミを手にとり、母が使っていた
化粧台の前に立ち、思い切って前髪をジョキジョキと
切っていく。
切っても切っても横が揃わず、ついにはおでこの真ん中あたりまで切ってしまった。



「ふふふ…。変なの。
  お母さんだったらこうならないのに。」


ガタガタの短い前髪を触りながら華和は小さい声で
呟いた。
今お母さんが帰ってきたら驚くだろうな。
それとも、褒めてくれるんだろうか。

ある日には、体がどんどん痒くなって、自分でも感じるほど髪の毛からは清潔とは言えない匂いがしてきた。
とぼとぼとお風呂場へ向かい、華和は湯船の上にある
蛇口を捻った。



ザーッ!

勢いよく水が華和の頭の上にかかった。



「キャーッ!」

思わず声が出た。お風呂ではなく、シャワーから
出たのだ。
それも冷たい水。服もびしょ濡れになってしまった。

どうやら反対に捻ってしまったらしい。今度はさっき
とは逆に回すと、冷たかった水がだんだん暖かく
なってきた。

でも、なぜかお湯はなかなかたまらない。
寒い中、待っても待ってもお湯は増えないから、
もう華和はムカムカしてきて、シャワーから蛇口に
捻りなおして洗うことにした。

何で何を洗うかなんて全く分からないので、
とにかく洗った。
お母さんが使っていた石鹸を使うのは、なんだか大人になったような気がした。
冷えていた体もすっかり温まり、嫌な臭いにおいもしなくなったが、ガタガタで短い前髪だけは変わらなかった。

そうして、時間が過ぎていくうちに、華和の体は少しずつ大きくなっていたようだ。
着ていた服が入らなくなり、椅子に乗らないと届かなかったお皿なんかが手を伸ばせばなんとか届くようになった。

ある日、家の外に郵便屋さんが来ていたこともあった。
配達員はインターホンを押しているが、
不思議なことに中にいる華和には届いていない。
華和はそんなことも知らずに家の中でひとりで
寂しく過ごしていた。

そして、今日8歳の誕生日の日を迎えた。
母が居なくなってから、1人で過ごす3回目の誕生日。

華和は母が着ていたワンピースを今日は特別に借りて、母が使っていた真っ赤な口紅をちょっとだけ付けてみた。
相変わらず前髪はガタガタだけど、鏡を見てニカッと笑ってみると、少し母に似ているような気がした。


そのあとも、いつもの流れでひとりで遊んだ。
人形との誕生日パーティーも終わったし、図鑑も一通り読んだ。
絵も描いたし、お風呂で水遊びもした。

たくさん遊んで疲れてしまって、また今年もただ眠りにつこうと思った。

その時だった。

ピンポーーン。

 「………っ!!」

突然玄関のベルが鳴り、華和の全身が固まった。
母がいなくなってからは、初めて玄関のベルが鳴った。

驚くよりも先に、華和は玄関へと駆け出していた。

少し躓きそうになりながらも、全力で走った。

もしかして、もしかしてーーーー

お母さんが帰ってきてくれたのだろうか。

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