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田舎の裕福な下級貴族令嬢だった母は割と気ままに生きていた。多分どこかに嫁に出されるだろうとは思っていたが、高位貴族など望んでおらず、どこか田舎の下位貴族か、裕福な商家にでも嫁ぐものと気楽に考えていた。
それが当時まだシャガル領だった港で、辺境伯ロウ・シャガルを見た瞬間、一目で恋に落ちたのだ。
無骨なロウは最初母を全く相手にしなかったが、母は押して押して押しまくった。いかつい顔も立派な筋肉も、低い声までなにもかもが母の好みに一致していた。
ここまで聞いてわたしは母の手許のワインを見た。思ったほど減っていないので、酔った戯言ではないらしい。わたしも手酌で自分のグラスにワインを注ぎ、一気に飲み干した。多分酔わないと聞いていられない。
ロウの女性に対して潔癖すぎるほど冷たいところも好みだった。好色の助平よりよっぽど良い。さらに母は拒まれると更に燃え上がるタイプ、狩人気質だった。日をあけず戦地であるシャガルに向かい、冷たくあしらわれてもめげず、ついに挨拶を返してもらえたときには達成感に涙したという。
戦地でまとわりつく母を追い返しても送り付けてもまた現れる。頼まれもしないのに刺繍入りのハンカチや剣帯や、その他身に着けられるものをプレゼントし、想いを綴った手紙を渡した。いつしかロウは戦場でも突然母が現れないかと心配して、守備を固めるようになり、シャガルの砦の防衛は隣国を寄せ付けぬ不落の砦となった。
そんな折、突然母はシャガルに姿を見せなくなった。心配した両親から外出を止められてしまったのだ。母はふさぎ込んで部屋から出なくなってしまった。
そこに奇跡が起こる。
辺境伯ロウ・シャガルが花束を抱えて、タイナイラ子爵家に求婚に来たのだ。
曰く、突然姿を見せなくなったりいつ現れるかわからずに困るので、いっそ手許に置いておけば安心できると思うとのこと。プロポーズにしては如何なものか、と思わないでもあるが、押せ押せで突撃を繰り返した甲斐があったと母は大変喜んだ。勢いで両親を説き伏せ、ロウの気が変わらぬうちにと強引に嫁いだ。娘アーシアの誕生は結婚して二年後、あっという間のとても幸せな期間だったそうだ。
「わたしが生まれたことで、お母さまの幸せを壊してしまったのでしょうか」
「いいえ、もともとそういう約束だったの」
母は目を伏せて首を振った。
子どもができたら別れよう、と初めに言われた時は頭に血が上った。だがロウの揶揄うでもない真剣な表情に、本気を悟るしかなかった。
ここは戦場で、いつ敵襲があってもおかしくない。妻一人なら守り切れる自信はあるが、妻と子と、どちらもとなると守ることができなくなるかもしれない。もしそんな状況に陥ったとき、妻と子のどちらかを選ぶこともできないと。別居したとてそれは同じだ。ロウの手の届かない場所で辺境伯の弱点として狙われるかもしれない。だから離縁すると。
ロウが本気で言っていることは母にもじゅうぶんわかっていた。だが母は子どもが欲しかった。母と子ども、どちらも大切にしてくれると言う不器用な男の子どもを産みたいと思った。
「でもあの方はとてもストイックでね、閨ではとても苦労したのよ。あの手この手で誘ってね……」
「お母さま、両親のあれこれはさすがに……」
わたしが遮ると、母は不満そうに今後役立つこともあるのにとブツブツ言いながら頬を膨らませた。ワインを注ごうとボトルを持ち上げてみると、ほとんど残っていないくらい軽くなっていた。前言撤回だ。母は結構酔っている。
「それでね、子持ちの出戻りに良い再婚先もないだろうって、今の夫を探してくれたの。当時はわたくしも怒り狂ったわ。離縁する妻の再婚相手を世話する夫ってどうなのって」
だが結局、母は義父と再婚して良かったと結んだ。穏やかな幸せも悪くないと。
母の離縁についての誤解はわかった。少々酔ってはいるが、当事者が言うのなら間違いではないはず。世間で言われている離婚理由は敢えて広めたものだということも。
ならば、何故わたしはそのままここで暮らすことが出来なかったのだろうか。疑問が顔に出ていたのだろう。母が少し眠そうにしながら小さな声でわたしの耳元に囁く。
「あなたに、王家から縁談が来る話があってね、正式な要請が来る前に、仕方なく辺境伯領に戻したのよ。嫡子は王家に嫁げないから」
「わたしが王子妃になると何か不都合が?」
「それは、あなたが自分の目で確かめなさいな。これから王宮に向かうのですもの」
確かに王家には良い印象はない。十分な支援も得られず、港が陥落したときには自国に賠償責任さえ取らされた。わたしが王子妃になっていれば、何か少しは変わっていたのだろうか。
ソファで寝落ちた母に上掛けをかけて、わたしはベッドにもぐりこんだ。今までの常識が覆される思いだ。考えることが多すぎて眠れない夜を過ごせば、ソファで酔って寝落ちている母の醜態とともに、昨日あんなに手入れしたのにこの隈はと朝から美容担当のメイドたちに大いに嘆かれた。
それが当時まだシャガル領だった港で、辺境伯ロウ・シャガルを見た瞬間、一目で恋に落ちたのだ。
無骨なロウは最初母を全く相手にしなかったが、母は押して押して押しまくった。いかつい顔も立派な筋肉も、低い声までなにもかもが母の好みに一致していた。
ここまで聞いてわたしは母の手許のワインを見た。思ったほど減っていないので、酔った戯言ではないらしい。わたしも手酌で自分のグラスにワインを注ぎ、一気に飲み干した。多分酔わないと聞いていられない。
ロウの女性に対して潔癖すぎるほど冷たいところも好みだった。好色の助平よりよっぽど良い。さらに母は拒まれると更に燃え上がるタイプ、狩人気質だった。日をあけず戦地であるシャガルに向かい、冷たくあしらわれてもめげず、ついに挨拶を返してもらえたときには達成感に涙したという。
戦地でまとわりつく母を追い返しても送り付けてもまた現れる。頼まれもしないのに刺繍入りのハンカチや剣帯や、その他身に着けられるものをプレゼントし、想いを綴った手紙を渡した。いつしかロウは戦場でも突然母が現れないかと心配して、守備を固めるようになり、シャガルの砦の防衛は隣国を寄せ付けぬ不落の砦となった。
そんな折、突然母はシャガルに姿を見せなくなった。心配した両親から外出を止められてしまったのだ。母はふさぎ込んで部屋から出なくなってしまった。
そこに奇跡が起こる。
辺境伯ロウ・シャガルが花束を抱えて、タイナイラ子爵家に求婚に来たのだ。
曰く、突然姿を見せなくなったりいつ現れるかわからずに困るので、いっそ手許に置いておけば安心できると思うとのこと。プロポーズにしては如何なものか、と思わないでもあるが、押せ押せで突撃を繰り返した甲斐があったと母は大変喜んだ。勢いで両親を説き伏せ、ロウの気が変わらぬうちにと強引に嫁いだ。娘アーシアの誕生は結婚して二年後、あっという間のとても幸せな期間だったそうだ。
「わたしが生まれたことで、お母さまの幸せを壊してしまったのでしょうか」
「いいえ、もともとそういう約束だったの」
母は目を伏せて首を振った。
子どもができたら別れよう、と初めに言われた時は頭に血が上った。だがロウの揶揄うでもない真剣な表情に、本気を悟るしかなかった。
ここは戦場で、いつ敵襲があってもおかしくない。妻一人なら守り切れる自信はあるが、妻と子と、どちらもとなると守ることができなくなるかもしれない。もしそんな状況に陥ったとき、妻と子のどちらかを選ぶこともできないと。別居したとてそれは同じだ。ロウの手の届かない場所で辺境伯の弱点として狙われるかもしれない。だから離縁すると。
ロウが本気で言っていることは母にもじゅうぶんわかっていた。だが母は子どもが欲しかった。母と子ども、どちらも大切にしてくれると言う不器用な男の子どもを産みたいと思った。
「でもあの方はとてもストイックでね、閨ではとても苦労したのよ。あの手この手で誘ってね……」
「お母さま、両親のあれこれはさすがに……」
わたしが遮ると、母は不満そうに今後役立つこともあるのにとブツブツ言いながら頬を膨らませた。ワインを注ごうとボトルを持ち上げてみると、ほとんど残っていないくらい軽くなっていた。前言撤回だ。母は結構酔っている。
「それでね、子持ちの出戻りに良い再婚先もないだろうって、今の夫を探してくれたの。当時はわたくしも怒り狂ったわ。離縁する妻の再婚相手を世話する夫ってどうなのって」
だが結局、母は義父と再婚して良かったと結んだ。穏やかな幸せも悪くないと。
母の離縁についての誤解はわかった。少々酔ってはいるが、当事者が言うのなら間違いではないはず。世間で言われている離婚理由は敢えて広めたものだということも。
ならば、何故わたしはそのままここで暮らすことが出来なかったのだろうか。疑問が顔に出ていたのだろう。母が少し眠そうにしながら小さな声でわたしの耳元に囁く。
「あなたに、王家から縁談が来る話があってね、正式な要請が来る前に、仕方なく辺境伯領に戻したのよ。嫡子は王家に嫁げないから」
「わたしが王子妃になると何か不都合が?」
「それは、あなたが自分の目で確かめなさいな。これから王宮に向かうのですもの」
確かに王家には良い印象はない。十分な支援も得られず、港が陥落したときには自国に賠償責任さえ取らされた。わたしが王子妃になっていれば、何か少しは変わっていたのだろうか。
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