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しおりを挟むアウルは神官のために二頭の馬を用意した。
ライと館の若者のマアチも連れて、翌朝一行は森に向かった。
森に入るのは久々だ。昔はアレンのように年の近い子供たちと釣りをしたり、木の実を拾ったり、罠を作って小さな動物をつかまえたりしたものだったが。
いまは夏。頭上に枝を広げている木々はみずみずしい葉を茂らせ、木漏れ日までも緑色に染まってしまいそうだ。
小道のところどころに、石で作った小さなほこらがあった。森で迷わないための道しるべであり、精霊への供物をささげる場所でもある。
「森は精霊のものなのよ」
母の言葉を思い出す。
「人間が生まれるずっと前から精霊たちは森に棲んでいる。私たちは木を切ったり、狩りをしたりしているけれど、わがもの顔にしてはだめ。彼らの森に入らせてもらっているのだから、感謝を忘れずにね」
アウルと森に散歩に出るとき、母はいつも一握りの麦をもっていた。それをやさしくそなえながら、
「私たちが森を愛した分だけ、精霊も私たちを愛してくれるのよ」
母が生きていたら、アウルになんと言うだろう。森に異国の神殿を建てるなんて。
後ろめたい思いでアウルは馬をすすめた。
父がいたら、わかってくれたともおもう。ダイの将来のため。森の一角を使わせてもらうだけなのだ。精霊に、これまで以上の感謝をもって。
木々の間から、きらめきが見えた。森をぬってゆるやかに流れるイーグ川だ。まだ子供たちの姿はないが、今日も川遊びにはいい日だった。
「きれいな川ですな」
ジャビが言った。
「どこから流れてくるのですか」
「この先のグイン湖です」
「行ってみましょう」
後ろでソーンが言い、アウルは思わず振り向いた。
「ずっと先ですよ」
「かまいません。せっかくきたのですから」
一行は川ぞいに馬を進めた。
日ざしは強くなってきたが、木々のつくる影で馬上はさわやかだ。下生えの草木は淡い色の花を咲かせ、可憐な羽の蝶が舞い飛んでいる。連れが神官でなかったら、どんなにかこの散策を楽しめたことだろう。
やがて目の前がひらけ、大きな湖が姿を現した。
向こう岸は遠く、さらに深い森が続いていた。森を抜けきった所に海があると聞いていたが、アウルが知っているかぎり、そこまで行った人間はいない。
静かにさざ波だつ湖の真ん中に、こんもりとした島があった。島の木々はあかるい陽の光をあびて輝くよう。湖面に緑の色をうつしたその姿は、対岸の暗い森を背景にして息をのむほど美しい。
アウルたちは馬から降りた。
人影に驚いた水鳥がいっせいに飛び立った。
「すばらしい光景ですな」
ジャビがわれにかえったように声を上げた。
「森の中に、こんなところがあったとは」
「ここにしましょう」
ソーンは指さした。
「あの島がちょうどいい。橋を架けて」
「なんと、現世とクリシュラの世界を結ぶ橋だ!」
ジャビは有頂天で両手をひろげた。
「目に浮かぶようだ。神殿は湖面にはえていっそう神々しいものになるだろう」
アウルに向き直り、
「王国一美しい神殿になるでしょう。これこそわれわれの求めていた場所です」
「でも」
アウルはあわてて口をはさんだ。
「人里から離ているのでは」
「ご心配なく」
ソーンが言った。
「木を切って、馬車も通れる広い道を通します。木材は大量に必要ですからちょうどいい。道沿いには門前町ができるでしょう。いずれは向こう側の海まで道をのばし、港を造れば、海上からも人が訪れる」
「すばらしい。ダイは、都にも劣らぬ賑わいになりますぞ、領主どの」
「それでは森がなくなります」
あっけにとられてアウルは言った。
「精霊が怒ります」
「精霊?」
ソーンは島を眺めたまま、冷たく笑った。
「精霊など」
「古い迷信の時代は終わったのですよ、領主どの」
ジャビが言った。
「これからは、新しい神の時代です。王国は神の恩寵を得て、より帝国に近づくのです」
迷信だって?
アウルにとっては、わけのわからない大陸の神の方がうさんくさく思えた。突然やってきてダイの精霊たちを踏みしだき、おまえたちは過去のものだという。
「もともと、この国には森しかありませんでした」
ソーンは言った。
「大昔に、帝国から人間が渡ってきて住み始めた。原生林を切り倒し、居住地を広げて。あなたの何十代前のご先祖から、森を壊してきたのです」
アウルは、こぶしをにぎりしめた。なぜこの男はいちいち感にさわるようなことをいうのだろう。
「だからこそ私たちは、森に、精霊に感謝して生きてきました。むやみに荒らさず、おりあいをつけて。ずっとそうやって来ました」
「神殿を造ることは、むやみとはいいませんぞ」
ジャビが心外したように言った。
「この地は選ばれたのです。光栄と思っていただかなくては。さっそく王にご報告しましょう。必ずや喜ばれるはず」
アウルはかんしゃくをおこしそうになった。こちらの言い分など、聞いてくれる気はないらしい。
「領主さまもダイに神殿をお望みだったはず」
ソーンがとどめをさした。
「大なり小なり森を潰すのは覚悟の上でしょう。今さら」
「わたしは」
アウルはほとんど叫びそうになった。
「雨ですな」
ライがぼそりと言った。
たしかに風がひやりと冷たくなって、顔に冷たいものが落ちてきた。みるみるわき上がった雲が、湖の色を暗くする。
ジャビがあわてて馬に飛び乗った。
「濡れますぞ、帰りましょう」
「精霊が怒っているのです」
アウルは言ってやった。
「この季節にはよくあること」
ソーンは軽く笑った。もう一度湖を見てなにか言ったが、聞こえなかった。いっきに降り出した雨が、すべての音を消してしまったから。
どしゃぶりの雨の中、アウルたちはやっとのことで館にもどった。
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