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ひわの声は洞に反響した。
羽白は、ひわを落ちつかせようとした。
しかしひわは、羽白の手をすり抜け、井月を押しのけて、闇の奥に駆け出した。
「ひわ!」
羽白は叫んだ。
井月は追いかけようとした羽白の腕をとった。
「この暗闇です。私が前を行きましょう」
「神官は、闇でも目が見えるのか」
「見えはしませんが勘はありますよ。私から離れないで下さい」^
言葉通り、井月は確かな足取りで前を進んだ。
ひわは、ずっと先まで行ったようだ。
こんな危険な闇の中を、突然ひわは駆け出した。さっきから、様子はおかしかったのだ。いったい、何が起きたのか。
井月に腕をとられたまま、自分で歩けないのがもどかしい。それに、井月に対する疑念が、またしても膨らんできた。いまの状況ならば、井月は羽白にどんなことでもできるはずだ。
羽白が幻曲師であると知っているならば。
「神官」
あれこれ思い煩いたくはなかった。羽白は、冷たく声をかけた。
「はい」
「私が何か、知っているのだろう」
「琵琶弾きです」
井月は言った。
「琵琶弾きで、幻曲師です」
羽白は小さく息をして頷いた。
「どうする? 私を」
「まだ、なんとも」
井月は、淡々と答えた。
「ここを出られないとすれば、いずれ私たちは地霊に還るのですから、あなたに毒を使う必要はないわけですし」
「たしかに」
羽白は言った。
「だが、私をこのまま置き去りにすることもできる。早く務めをはたしたいとは思わないのか」
「ひわがいます。そんなことはできませんよ。それに」
井月は、ちょっと間をおいた。
「あなたは、神官が好んで呪力者を見つけているとお思いですか」
「違うのか?」
「もちろんです。たまたまあなたに出会ってしまって、私は動転しています」
「動転?」
羽白は小さな笑い声をたてた。
「とてもそうには見えなかったが」
「あなたがこれから先、琵琶を弾かないと約束してくれるら、見過ごしてもいいのですが」
「できないな、それは」
「困りましたね」
井月は、真実困ったように深いため息をついた。
その時、前方にうっすらと光がさした。
出口?
羽白は井月を追い抜いて、光の中に足を踏み入れた。
そこは、
出口ならず、またしても広い鍾乳洞。
光は、高い天井の切れ目から差し込むものだった。赤みがかった夜明けの光だ。
石筍取り囲む岩床はつややかで、かつて水が流れていたらしい波状の跡があった。そしてその先に、まだ水をたたえた小さな池がひとつ。
池のまわりには、白い木の枝めいたものが数多く転がっていた。よく見るとそれは、動物のものらしい大小の骨なのだ。
ひわは、骨の中にぐったりと倒れ伏していた。
羽白はひわに駆け寄って抱え起こした。
ひわは、目を見開いている。
しかし、その瞳は黒い虚。
何も映してはいなかった。
井月は、ひわと池を見くらべ、身震いすると一歩退いた。
「羽白。ひわを抱いたままこちらに来て下さい。それ以上池に近づいてはなりません」
「どういうことだ」
「頼みますから、言うとおりに。その池は、〈霊喰い〉です」
「〈霊喰い〉?」
「ずっと昔に死に絶えたと言われる太古の生きものですよ。池自体が危険な生命体なのです。水面に影を映したものの霊を喰ってしまう。洞窟に迷い込んだ獣を餌食にしていたのでしょうが、こんなところにまだ生きていたとは」
羽白は思わず池に目を向けた。
澄んだ水面に何かの姿が映った。
小さな獣。
鹿でもなく、馬でもなく──。
まさか。
羽白は獣の正体を見極めようと身を乗り出した。
「羽白!」
井月が叫んだ。
しかし、その時には羽白はしっかりと獣の姿をとらえていた。
美しい金色のたてがみ、額にぽつんとのぞく肉色のこぶ。
麒麟の幼獣だ。
思い当たったとたん、羽白の霊は身体を離れ、〈霊喰い〉の中に呑み込まれていた
羽白は、ひわを落ちつかせようとした。
しかしひわは、羽白の手をすり抜け、井月を押しのけて、闇の奥に駆け出した。
「ひわ!」
羽白は叫んだ。
井月は追いかけようとした羽白の腕をとった。
「この暗闇です。私が前を行きましょう」
「神官は、闇でも目が見えるのか」
「見えはしませんが勘はありますよ。私から離れないで下さい」^
言葉通り、井月は確かな足取りで前を進んだ。
ひわは、ずっと先まで行ったようだ。
こんな危険な闇の中を、突然ひわは駆け出した。さっきから、様子はおかしかったのだ。いったい、何が起きたのか。
井月に腕をとられたまま、自分で歩けないのがもどかしい。それに、井月に対する疑念が、またしても膨らんできた。いまの状況ならば、井月は羽白にどんなことでもできるはずだ。
羽白が幻曲師であると知っているならば。
「神官」
あれこれ思い煩いたくはなかった。羽白は、冷たく声をかけた。
「はい」
「私が何か、知っているのだろう」
「琵琶弾きです」
井月は言った。
「琵琶弾きで、幻曲師です」
羽白は小さく息をして頷いた。
「どうする? 私を」
「まだ、なんとも」
井月は、淡々と答えた。
「ここを出られないとすれば、いずれ私たちは地霊に還るのですから、あなたに毒を使う必要はないわけですし」
「たしかに」
羽白は言った。
「だが、私をこのまま置き去りにすることもできる。早く務めをはたしたいとは思わないのか」
「ひわがいます。そんなことはできませんよ。それに」
井月は、ちょっと間をおいた。
「あなたは、神官が好んで呪力者を見つけているとお思いですか」
「違うのか?」
「もちろんです。たまたまあなたに出会ってしまって、私は動転しています」
「動転?」
羽白は小さな笑い声をたてた。
「とてもそうには見えなかったが」
「あなたがこれから先、琵琶を弾かないと約束してくれるら、見過ごしてもいいのですが」
「できないな、それは」
「困りましたね」
井月は、真実困ったように深いため息をついた。
その時、前方にうっすらと光がさした。
出口?
羽白は井月を追い抜いて、光の中に足を踏み入れた。
そこは、
出口ならず、またしても広い鍾乳洞。
光は、高い天井の切れ目から差し込むものだった。赤みがかった夜明けの光だ。
石筍取り囲む岩床はつややかで、かつて水が流れていたらしい波状の跡があった。そしてその先に、まだ水をたたえた小さな池がひとつ。
池のまわりには、白い木の枝めいたものが数多く転がっていた。よく見るとそれは、動物のものらしい大小の骨なのだ。
ひわは、骨の中にぐったりと倒れ伏していた。
羽白はひわに駆け寄って抱え起こした。
ひわは、目を見開いている。
しかし、その瞳は黒い虚。
何も映してはいなかった。
井月は、ひわと池を見くらべ、身震いすると一歩退いた。
「羽白。ひわを抱いたままこちらに来て下さい。それ以上池に近づいてはなりません」
「どういうことだ」
「頼みますから、言うとおりに。その池は、〈霊喰い〉です」
「〈霊喰い〉?」
「ずっと昔に死に絶えたと言われる太古の生きものですよ。池自体が危険な生命体なのです。水面に影を映したものの霊を喰ってしまう。洞窟に迷い込んだ獣を餌食にしていたのでしょうが、こんなところにまだ生きていたとは」
羽白は思わず池に目を向けた。
澄んだ水面に何かの姿が映った。
小さな獣。
鹿でもなく、馬でもなく──。
まさか。
羽白は獣の正体を見極めようと身を乗り出した。
「羽白!」
井月が叫んだ。
しかし、その時には羽白はしっかりと獣の姿をとらえていた。
美しい金色のたてがみ、額にぽつんとのぞく肉色のこぶ。
麒麟の幼獣だ。
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