麒麟

ginsui

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 たまというのは奇妙なものだ。
 〈霊喰い〉の中をふわふわと漂いながら羽白は思った。
 水の中ではなかった。ぼっと青みがかった靄の中に浮かんでいるような感じ。
 視覚も聴覚もない。あるのは霊の意識だけ。
 しかし、その意識にはっきりとひわの存在が感じられた。
 そしてもうひとつの存在も。
 麒麟だ。
 三つの霊は、〈霊喰い〉の中で触れ合っているらしい。
(ひわ)
 羽白は呼びかけた。
(大丈夫か?)
(あたしは、大丈夫)
 ひわが言った。霊ならば、声の必要はない。
(あたしは、もう一人のあたしを見つけたの。生まれた時から探していたような気がする。ううん、生まれる前から、ずっとずっと)
(その麒麟のことか)
 麒麟の霊が羽白の中に踏み込んで、言葉よりも鮮やかな心象を送り込んだ。
 草原を駆ける麒麟の群れ。
 めくるめく思いで羽白はそれを感じた。
 山中で木の芽をはむ麒麟たち。河辺で戯れあう麒麟の幼獣。世界が若く、地霊が豊かだったころの彼らの姿。
 ほっそりとした優美な肢体、風になびく金色のたてがみ。たしかな知性を秘めた青い瞳。そして、額から突き出た真珠色の角。
 羽白がこれまでに弾いてきた麒麟の曲のどれもが、彼らを現すには不十分だった。これほど美しい獣を主題にした曲などありはしない。
 だが、しだいに地霊は衰えた。麒麟の児は生まれず、成獣は老いて死ぬばかり。
 最後の幼獣は雄だった。最後の一匹ゆえに、ひとつになるべき雌を持たなかった。成獣たちが死に絶えた後も幼獣は幼獣のまま生き続けた。もう一方の自分を探し求めながら。
 麒麟の雌になるはずだった霊は、他の生きものに生まれ、死に、長い輪廻を繰り返していた。もう一つの自分に果てない憧れを抱きながら。
(それが、ひわか)
 際限もない幼獣の孤独が羽白をおそった。ひわの存在を感じた時の狂おしい喜びも。
 肉体よりも霊の方が先走った。ひと思いにひわのところへ──。
 しかし、無防備すぎる霊は、やすやすと〈霊喰い〉に呑み込まれてしまったのだ。
 ひわも、麒麟に感応した。洞窟の壁画を見たその時から。必死で探し、行きついた先が〈霊喰い〉の中。
 長すぎる歳月を経て、ようやく出会ったというのに、こんな状態では哀れすぎる。
 どうにかしてやりたいが。
 羽白は、自分の愚かさをあざ笑った。井月の忠告にもかかわらず、ともに〈霊喰い〉の餌食になってしまったのだ。水面にひわや麒麟の姿が映ったのは、〈霊喰い〉の罠だったのだろう。
 このままでは、じわじわと〈霊喰い〉に消化されるのを待つだけだ。麒麟の姿をはっきりと知ることはできたけれども、再び肉体に戻って琵琶を弾かないことには話にならない。
(羽白)
 ふいに落ち着きはらった思考が入り込んできた。
(神官)
 羽白は驚いた。
(神官まで)
(〈霊喰い〉に引き込まれたわけではありませんよ。自分で来たのです)
 自慢するからには、ここを抜け出す手だてがあるということか。
 羽白が思ったことは、いまや井月に筒抜けだった。なにしろ、霊がつながっているのだから。
(ためしてみます)
 羽白は、井月が発する呪力を感じた。羽白の霊をじかに揺さぶる強力なもの。
 つづいて、〈霊喰い〉の中の密度が急に濃くなってきたような感じがあって、
 羽白の霊は、四方から押しつぶされそうになった。雑多な、思考と呼ぶにはあまりにも単純なものがひしめきあってくる。
 獲物を教える風の匂いや日向の草の味。
 甘い雌の気配、天敵への恐怖。
 幾百もの獣の霊だ。それらはさらに数を増した。さまざまな種類の獣の霊が、ぶつかり、わめき、ぐるぐると逃げ惑う。
(自分をつなぎとめていて下さい、羽白)
 井月が言った。
(さもないと──)
 狂ってしまうだろう。
 ひわや麒麟がどうなっているのか、考える余裕も羽白にはなかった。〈霊喰い〉の中は混乱の域に達していた。あらゆる種類の獣たちが詰め込まれている。
 すさまじい恐慌。
 悲鳴が上がった。それは、ひわのものだったのか、自分のものだったのか。
 悲鳴は〈霊喰い〉をつんざいて、 
 突然、羽白は自由になった。
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