7 / 9
7
しおりを挟む
「羽白」
井月が肩に手を置いた。
羽白は、井月を見つめた。
「どうなっているんだ」
井月は〈霊喰い〉を指差した。澄んだ池だったそれは、濁り、泡立ち、しゅうしゅうと音をたてて、しだいに蒸発していくところだった。
「何をした? 神官」
「この山の生きものを、引き込めるだけ引き込みました」
井月は、こともなげに答えた。
「どんなものでも、食べすぎは腹を壊しますから。吸収しきれず、一気に吐き出したのです」
「なるほど……」
羽白はのろのろと額の汗を拭った。
〈霊喰い〉は、いまやきれいに蒸発していた。
はっと気づいてひわの姿を探す。
ひわはまだ倒れたままだったが、その口から小さな呻きがもれた。
「ひわ」
目を開いたひわは、一瞬身体を強ばらせ、長い悲痛な叫び声を上げた。
羽白は、ひわを抱えた。しかしひわは身をよじり、両手で顔を覆って悲鳴を上げ続ける。
井月がひわに近づき、軽く頭に手を乗せた。ひわは、がくりと首を垂れ、動かなくなった。
「何をした?」
「眠らせました。このままでは、喉がつぶれてしまう」
「ひどい経験だった。無理もない」
羽白は、身を震わせた。
「神官のおかげで助かった」
「いえ」
井月は目を伏せ、首を振った。
「ひわにとっては、そうでなかったかもしれません」
「どういうことだ」
「私たちは身体に戻りました。問題は麒麟です」
「この子と麒麟のことを知っているんだな」
「〈霊喰い〉の中にいた時に、だいたいのことはわかりました」
「麒麟も、自分の身体に戻ったはずだ」
「だといいのですが」
井月は、悲しげにつぶやいた。
「胸騒ぎがするのですよ」
羽白は、眉根をよせた。
その時、腕の中のひわの髪がふわりとなびいた。天井の裂け目から吹いてきたものではなかった。別の方向から。
羽白と井月は顔を見合わせた。井月は立ち上がった。
「向こうのようです」
羽白は、ひわを抱き上げて井月の後ろに続いた。入って来たのとはちがうもう一つの横穴があり、しばらく行くと小さな光が射してきた。
外への出口だ。
だがそれは、出口というにはあまりに狭いものだった。いくら身体を縮めても、肩くらいしか入りそうにない。
「岩盤ではありませんね」
穴のまわりを探った井月は言った。
「堀り広げることができそうです」
二人は旅嚢の中から道具になりそうなものを取り出した。幸い穴の土は柔らかく、小半時後、羽白たちは念願の外界に這い出した。
雑木にかこまれた、崖の下だった。秋枯れの山々が、見下ろすように迫っていた。
その上を、おびただしい数の鳥たちが、狂ったように旋回していた。大きな獣の咆哮が、あちらこちからきれぎれに聞こえてくる。
動物たちは、〈霊喰い〉に呑み込まれた時の衝撃からまだ醒めきっていないらしい。
井月は、前方の茂みに目を向けた。
羽白も井月の視線の先を見た。
枯れた灌木の下に、何かの死体が横たわっていた。
狼にでも貪り喰われたのだろう。横腹は、骨がむき出しになっていた。
血にまみれた身体から、金色のたてがみが見てとれた。鹿のような、小さな馬のような──。
その額に盛り上がっているのは、肉色の可憐なこぶ。
「麒麟──」
羽白は、呆然とつぶやいた。
「死んだのは、ついさっきのようです」
井月が麒麟の側にひざまずいて言った。
「〈霊喰い〉に囚われている間に襲われたのでしょう。霊は帰る身体を失い、そのまま地霊に吸い込まれてしまった」
「今までずっと待っていながら」
羽白は、腕の中でぐったりしているひわに顔を押しつけた。
「もう少しで生身のひわと会えたというのに」
「責任は私にあります。麒麟の霊をつなぎ止めておく方法を考えるべきでした」
「ひわに、それは見せられない」
「見せるどころか」
井月は、深々とため息をついた。
「羽白、ひわの霊は〈霊喰い〉のところで一度、麒麟とひとつになっているのです。それなのにまた離されて──いまのひわは、自分を失ったも同然です」
「では」
羽白は、はっと井月を見つめた。
「ひわは、どうなる」
「目覚めても、廃人になるしかないでしょう」
井月が肩に手を置いた。
羽白は、井月を見つめた。
「どうなっているんだ」
井月は〈霊喰い〉を指差した。澄んだ池だったそれは、濁り、泡立ち、しゅうしゅうと音をたてて、しだいに蒸発していくところだった。
「何をした? 神官」
「この山の生きものを、引き込めるだけ引き込みました」
井月は、こともなげに答えた。
「どんなものでも、食べすぎは腹を壊しますから。吸収しきれず、一気に吐き出したのです」
「なるほど……」
羽白はのろのろと額の汗を拭った。
〈霊喰い〉は、いまやきれいに蒸発していた。
はっと気づいてひわの姿を探す。
ひわはまだ倒れたままだったが、その口から小さな呻きがもれた。
「ひわ」
目を開いたひわは、一瞬身体を強ばらせ、長い悲痛な叫び声を上げた。
羽白は、ひわを抱えた。しかしひわは身をよじり、両手で顔を覆って悲鳴を上げ続ける。
井月がひわに近づき、軽く頭に手を乗せた。ひわは、がくりと首を垂れ、動かなくなった。
「何をした?」
「眠らせました。このままでは、喉がつぶれてしまう」
「ひどい経験だった。無理もない」
羽白は、身を震わせた。
「神官のおかげで助かった」
「いえ」
井月は目を伏せ、首を振った。
「ひわにとっては、そうでなかったかもしれません」
「どういうことだ」
「私たちは身体に戻りました。問題は麒麟です」
「この子と麒麟のことを知っているんだな」
「〈霊喰い〉の中にいた時に、だいたいのことはわかりました」
「麒麟も、自分の身体に戻ったはずだ」
「だといいのですが」
井月は、悲しげにつぶやいた。
「胸騒ぎがするのですよ」
羽白は、眉根をよせた。
その時、腕の中のひわの髪がふわりとなびいた。天井の裂け目から吹いてきたものではなかった。別の方向から。
羽白と井月は顔を見合わせた。井月は立ち上がった。
「向こうのようです」
羽白は、ひわを抱き上げて井月の後ろに続いた。入って来たのとはちがうもう一つの横穴があり、しばらく行くと小さな光が射してきた。
外への出口だ。
だがそれは、出口というにはあまりに狭いものだった。いくら身体を縮めても、肩くらいしか入りそうにない。
「岩盤ではありませんね」
穴のまわりを探った井月は言った。
「堀り広げることができそうです」
二人は旅嚢の中から道具になりそうなものを取り出した。幸い穴の土は柔らかく、小半時後、羽白たちは念願の外界に這い出した。
雑木にかこまれた、崖の下だった。秋枯れの山々が、見下ろすように迫っていた。
その上を、おびただしい数の鳥たちが、狂ったように旋回していた。大きな獣の咆哮が、あちらこちからきれぎれに聞こえてくる。
動物たちは、〈霊喰い〉に呑み込まれた時の衝撃からまだ醒めきっていないらしい。
井月は、前方の茂みに目を向けた。
羽白も井月の視線の先を見た。
枯れた灌木の下に、何かの死体が横たわっていた。
狼にでも貪り喰われたのだろう。横腹は、骨がむき出しになっていた。
血にまみれた身体から、金色のたてがみが見てとれた。鹿のような、小さな馬のような──。
その額に盛り上がっているのは、肉色の可憐なこぶ。
「麒麟──」
羽白は、呆然とつぶやいた。
「死んだのは、ついさっきのようです」
井月が麒麟の側にひざまずいて言った。
「〈霊喰い〉に囚われている間に襲われたのでしょう。霊は帰る身体を失い、そのまま地霊に吸い込まれてしまった」
「今までずっと待っていながら」
羽白は、腕の中でぐったりしているひわに顔を押しつけた。
「もう少しで生身のひわと会えたというのに」
「責任は私にあります。麒麟の霊をつなぎ止めておく方法を考えるべきでした」
「ひわに、それは見せられない」
「見せるどころか」
井月は、深々とため息をついた。
「羽白、ひわの霊は〈霊喰い〉のところで一度、麒麟とひとつになっているのです。それなのにまた離されて──いまのひわは、自分を失ったも同然です」
「では」
羽白は、はっと井月を見つめた。
「ひわは、どうなる」
「目覚めても、廃人になるしかないでしょう」
0
あなたにおすすめの小説
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる