麒麟

ginsui

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 ひわは苦しげに眉をひそめ、目を閉じていた。
 あのまま麒麟とともに〈霊喰い〉に呑み込まれてしまったほうが幸せだったと言うわけか? 
「なんとか、方法はないのか」
 羽白は、絞り出すように言った。
「ひわを助ける方法は」
「ひとつだけ」
 長い間を置いて、井月はゆっくりとうなずいた。
「いまの世界は、麒麟の成獣が生きていくだけの地霊がない。ひわも正気には戻れない。だとすれば、ひわを麒麟が生きていた時代に送り出すしかありません」
 羽白は、息をのんだ。
「できるのか、そんなことが」
「やってみなければ、わかりません」
 井月は、答えた。
「ためしたことなど、ありませんからね。でも、私ひとりの力では無理でしょう。あなたの助けが必要です」
「できることなら、何でもしよう」
「その時代に結びつく何かがあれば、過去への扉は見つかるはず、と聞いています」
「なにか?」
「たとえば、土器や骨といった過去の遺物です。多ければ多いほど成功の確率は高くなる」
「遺物か」
 羽白は、茂みの中に目を向けた。
「ここに、麒麟がいる」
「洞窟には、古代人が残した麒麟の絵もあります。そして、私が呼び寄せる過去をはっきりと思い描くことができれば」
 井月は、羽白を見つめた。
「麒麟の幻曲を弾いて下さい、羽白」
 羽白は、目を見ひらいた。
「あなたの幻曲があれば、私の呪力も高まるでしょう。ひわと麒麟を、もう一度結びつけることが出来るかもしれません」
「神官が、幻曲を弾けというのか」
「ひわたちのためです」
 井月は、きっぱりと言った。
「なぜ人が麒麟に憧れてきたか、分かるでしょう、羽白。どんなに愛し合った者たちでも、魂を共有する事はできません。でも麒麟は魂も肉体もひとつになることができる、孤独を知らない唯一幸福な生きものなのです」
 羽白は、井月の揺るぎない瞳を見返した。
「ひわと麒麟を、このまま引き離すことなどできません」
「神官としては」
 羽白は、ちらと歯を見せた。
「少々、修行が足りないようだ」
 井月は、笑った。
「私もそう思います」
「やってみよう」
 羽白は、ひわを静かに横たえて、琵琶の弦の調節をはじめた。
 井月も地面に胡座を組み、目を閉じて思念を集中した。
 新しい麒麟の曲は、羽白の中で生まれつつあった。
 あの壁画を見たばかりか、〈霊喰い〉の中でじかに麒麟の霊と触れあったのだ。
 ありありと麒麟たちの群れを想い描くことができた。
 想いの高まりとともに、羽白のしなやかな指は弦の上をはしっていた。麒麟の角のような硬質の音をはじき出し、わずかな光の具合でも変化する金色の毛並みの輝きや、完璧な均衡をもつ優美な肢体を旋律にのせて。
 木陰に憩っていた一匹の麒麟は、やがて身をひるがえして仲間に合流する。緑あふれる草原を、何十頭もの麒麟たちが黄金の川の流れのようにたてがみをなびかせ、美しい筋肉を躍動させて駆け抜けていく。
 壮麗な琵琶の音の奥から、地の響きが聞こえてきた。
 井月は、身じろぎもせずに羽白の背後を見つめていた。
 灰茶色の枯れ山の光景から、裂けたように緑の野があふれ出た。
 地の響きは、麒麟のひずめの音だ。麒麟たちは、誇らしげに角を振り上げ、井月と羽白の前に躍り出た。
 井月は、持てるだけの呪力を集中し、思念を過去の一点に向けた。
 こんなふうに麒麟たちが自在に駆け回っていた時代。ひわの片割れである麒麟の幼獣が生まれていた時代。
 麒麟たちの光景が、さらに奥行きをもってきた。
 群れは去り、残りのものたちは明るい日差しを受けてゆったりと草をはんでいる。親にぴったりと寄り添って離れない生まれたての幼獣もいれば、互いの耳を噛み合ってじゃらけているのは、いくらか大きくなった幼獣だろう。
 白い花をふりこぼしている木の根元に、一匹の麒麟がうずくまっていた。他の子供たちより身体は大きかったが、額の肉色の瘤は確かに幼獣だ。
 琵琶を弾きながら、羽白はその獣を見つめた。
 どこまでが自分の幻曲で、どこまでが井月の導いた過去なのか。
 しかし、あの麒麟はまさしく──。
 
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