鬼の谷

ginsui

文字の大きさ
4 / 14

しおりを挟む
 
 夜も明けないうちに草は大聖の呼び出しをうけた。
 聖たちは〈谷〉深くに住んでいる。
 大講堂の脇の通路に入ると下り階段が現れ、それは次第に狭くなって折り曲がりながら延々と続いていた。階段は途中、何度も枝分かれし、それぞれの庵に繋がっている。
 いま使われているのは五つのみ。無人の庵、閉ざされた通路もいくつかあって、複雑さを増している。
 手にした燭台の灯りが、壁に映る草の影をゆらゆらと揺らした。毎日の祈祷のためにここと大講堂を往復するのは、もう若くはない聖たちにとって、ある種の苦行なのではあるまいかと思いかけた時、前方の角がうっすらと明るくなった。
 行者と、後ろに従う見習いらしき少年の二人連れがやって来る。二人とも、見たことのない顔だった。影がなく、後ろの壁が透けて見えそうな希薄さ。
 違う時空の者たちだ。
 それでも思わず脇によけた草は少年と目が合った。
 少年は、ありありと驚きの表情を浮かべた。叫んだかもしれないが、その声は聞こえなかった。二人の姿はすぐに闇の中に消えてしまったから。
 おそらくあの少年にとっては初めて出くわす現象だったのだろう。線の細い、育ちの良さそうな顔はどことなく卓我に似ていた。
 過去の者だったのか、未来の者なのか。
 ぼんやりと考えながら再び歩き始めてまもなく、大聖の庵にたどりついた。
 ほとんどの庵は谷の洞窟を利用して作っている。入り口も帳を下ろしただけのものだ。岩壁がむき出した狭い空間で、墨染めの衣をまとった五人の聖が草を待ち構えていた。
 真ん中に座っている大聖の可名かなは、大柄で筋肉質の老人だ。だいぶ薄れかけた髪。厳つい顔つきは聖と言うより屈強な武人を思わせる。
 可名は草に座るように身振りした。聖全員と顔を合わせるのは行者の認可を受けたとき以来なので草はいささか緊張した。
「おぬしの力は我々も感じた。一瞬で鬼を追い払ったな。まれに見る強い力だ」
 草を見つめたまま大聖は言った。
「〈念〉はもともと目に見えぬもの。光を生み出すとは〈念〉を超える力がおぬしにはあるらしい」
「夢中だったのです。大聖」
「むろんそうじゃろう。みなを守るためにしたことだろうて」
 可名のとなりにいる聖が口をひらいた。薄い白髪。小さく丸まった身体。この中の最年長であるりくだ。
「今はどうかの、また同じ力が出せそうか?」
「わかりません」
 草は正直にこたえた。
「ただ、何となくこつはつかめたような気がします」
「なるほど」
 聖たちは黙り込んだ。心語で話し合っているのだろう。礼儀上、それをのぞき込むことはできなかった。草はただじっとしていた。
「あれがやむをえなかったことは、我々も理解しておる」
 ややあって、陸が言った。
「だが、忘れるな。光は容易に影を生み出す。強ければ強いほど濃い闇をな」
「闇」
「おのれの力に支配されてはならぬということだ。力あるものが鬼になるのは、ままあること」
「わたしも鬼になると?」
  草はぎょっとした。
「そうはいっておらん」
 可名が言った。
「心せよと言うことだ。おぬしの力は〈谷〉に必要となるだろう。どういうわけか、鬼の力が変化している」
「変化?」
「鬼はたいてい個々で動く。〈谷〉への襲撃もばらばらで防ぎやすかった。しかし、さきほどは違う。ひとかたまりになっていた」
 草はうなずいた。確かにあれは巨大な黒い塊だった。一つの生き物のようにうごめき、触手を伸ばしてきた。
「なぜ──」
「わからん。これまでにない力を手に入れたのか、加わったのか。最近〈谷〉で死んだ聖はいないというのに」
 聖たちの顔が一瞬強ばったように見えた。
 聖たちも鬼になる恐怖と戦っているのだろうか。幾年も修行を重ね、自己の魂を澄まし、いつでも昇天できる準備を整えているはずの聖でさえも。
「鬼は、まっすぐに見習い部屋に向かったように思えました」
 右端に座っていた聖が慎ましく口を開いた。草が〈谷〉に入った年に聖になったさきで、最も若い。
「一番弱いところを狙ったのでしょうか」
「かもしれん」
 あの時のことを、草はもう一度思い返してみた。
 見習部屋の壁を突き破って現れた漆黒の塊。
 じわじわと這い進み、蛇の鎌首のような触手をもたげ、それらはみな、同じ方向に向けられていたのではなかったか。
 その先には──。
「卓我」
 草は言った。
「鬼は、卓我に向かって行きました」
「卓我?」
「今日入った王の甥だ」
 聖たちはささやき交わした。
「今、どうしている?」
「気を失って、杜が面倒をみています」
「鬼と王族、何の関係が」
  陸は可名を見上げた。可名は首を振った。
「卓我に会ってみよう」
 庵の外がようやく明るんできた。
 可名は草を伴って、卓我のいる療養所に向かった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

処理中です...