サルバトの遺産

ginsui

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 アークの港から戻るとすぐに、エベドは王宮の馬場に足を向けた。
 レヴァイアで最も暑い昼下がり、たいていの人々が眠ることで暑さからのがれようとしているこの時刻に、こともあろうに馬を走らせている人物といったら一人しかいない。
 彼の若い主人、ジュダインだ。
 馬場を囲む柵の間に立って、エベドはまぶしげにジュダインを眺めやった。
 それは、人と馬がひとつの生き物に化してしまったかのような、みごとな光景だった。
 青毛の馬の乗り手は、臙脂色の乗馬服を身に着けたしなやかな体躯の持ち主で、燃えるような赤毛を風に長くひるがえしている。
 馬は高い木の塀や水たまりの障害を軽々と飛び越え、砂漠を模して作られた広い砂場の上をも難なく駆け抜ける。
 飛び散る汗のきらめきの中で、人馬はいささかの疲れも見せてはいなかった。
 エベドが彼の名を呼ぶと、ジュダインはぴたりと馬を静止させ、馬首をめぐらして近づいて来た。
「どうした? エベド」
「シス・マダの船が、さきほどアークに戻りました」
「ほう」
 ジュダインは馬から降り、エベドが差し出すタオルを受け取った。
 上着の襟をくつろげながら馬の首を叩いて軽く押しやると、馬はおとなしく厩の方に駆けて行った。
「帰って来たのは、アリ・マダだけか」
「ご存じでしたか」
「そんな気がしていた。シャデルが船出した時から」
 ジュダインは口をつぐみ、汗をぬぐいながら同い年のいとこの死をかみしめた。
 彼が、嫌いではなかった。
 ただ、これまで互いによそよそしい態度しかとれなかったのは、二人の気性があまりに似すぎていたからだろう。  ジュダインにとって、けしてひけをとりたくないと思っていた相手はシャデルひとりだったし、おそらくシャデルもそうだったにちがいない。
 もっとも、勝ち札は、いつも自分が握っていた。
 シャデルに残されていた時間は、あまりに短かった。
「いつだ?」
 豊かな髪を両手でかきあげ、ジュダインはぽつりと言った。
「一月前に。遺体は水葬にしたそうです」
「ライランが嘆くだろう。あれは、わたしよりシャデルになついていたからな」
 二人は王宮の敷地内にあるジュダインの私邸に向かって歩き出した。
 石だたみの小道は手入れのゆきとどいた薔薇の茂みに囲まれている。
 咲きほこる大輪の間には蜜蜂が羽音をたてて飛び回り、あたりには甘やかな香りがたちこめていた。
「で、おまえはアリ・マダを見たのか」
「はい。年の割りには大人びた少年です」
 エベドは答えた。
「島育ちだというのに、街を見ても気をのまれた様子もなく悠然としていましたし、あるいはそのように装っていました」
「アリ・マダか。シャデルはやっかいな贈り物を残してくれたものだな、エベド」
 ジュダインは小さく笑ってそう言ったが、エベドは彼が少しもやっかいだなどとは思っていないことを知っていた。
 目的をはたすためなら、彼はどんなことでも着実に、冷静にやってのけるだろう。
         
 自室に入ったジュダインは沐浴をすませ、くすんだ緑色の寛衣に着替えた。
 侍女が、冷たいシュメ茶のカップを持ってくる。それを手に窓辺に立っていると、廊下からあわただしい足音が聞こえてきた。
 大きな音をたててドアを開いたのは、ジュダインの父のハリスラムだった。
 この父子が似ているところといったら、赤毛と灰色の瞳くらいなものだった。ハリスラムはでっぷりと太った小男で、脂肪でたるんだ赤ら顔に丸い目がたえずきょときょとと動いている、見るからに小心そうな人物だ。
 ジュダインは、この父親をまるで好いてはいなかった。彼が父親の名を口にする時はわざとらしい敬称で呼ぶのが常だったし、彼に対する態度のはしばしにも露骨と言っていいほどそれが現れている。
 当のハリスラムは、こっけいなほど息をきらせ、肩をあえがせながらやっとの事で言った。
「シス・マダが死んだぞ、ジュダイン」
 ジュダインは、澄んだ紫色のシュメ茶に口をつけると、言った。
「聞きましたよ」
「なのに、なのに島からあの小僧がやって来た。あいつさえ来なければ」
「その先はおやめなさい」
 ジュダインはぴっしゃりとさえぎった。
「あなたはただ、〈王を継ぐ者〉としての威厳を保っていればいいのです。ラウ・マダ」
  ジュダインは、いままでそらしていた視線をはじめてハリスラムに向けた。
 まだ何か言いたげだったハリスラムは、ぴくりとして黙り込んだ。
 ジュダインは、そんな彼に哀れみのようなものを感じて苦笑した。彼は王位に就きたいという野心を人一倍持っているというのにその力がまるでない。自分の息子ですらあつかいきれないではないか。
「あなたへの人望は、わたしが作っておきましたよ、父上」
 ジュダインは、父上という単語をごくゆっくりと発音した。
「人々の多くは、アリ・マダよりもあなたに心を寄せるでしょう。アリ・マダを支持する者も、シャデルがいなくなった今となっては何もできない。あなたを遮るものはなにもありません」
「しかし・・王がいるぞ」
 ハリスラムは、どもりがちに言った。ジュダインは彼に背を向け、薄く笑った。
「わたしは、王妃の信頼を得ています」                                                     
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