サルバトの遺産

ginsui

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 開け放たれた窓からふいに吹き込んで来た風が、読みかけの本の上に一枚の木の葉を運んで来た。
 その本、「レヴァイア年代記」に熱中していたアロウィンは我に返り、細かく書き連ねてある文字から目を離した。
 窓の外の中庭の、木々のざわめきや噴水の音、放し飼いにされている鳥の鳴き声。そういった物音いっさいが急に耳もとによみがえって来る。
 アロウィンは大きく伸びをしてベランダに出た。白いしっくいで上塗りされたベランダは、傾きかけた陽の光を照りかえしている。
 風は暑い空気をゆるがすだけで、とてもさわやかなものとは言えず、ちょっと動いただけでも汗ばむほどだったがアロウィンは気にもしなかった。レヴァイアは一年の大半が夏なのだ。
 夢で見た通りの街、ネイクロートの王宮に入り、王にしっかりと抱かれたのは半月前のことだ。
 王はシャデルの死に打ちのめされはしたが、あきらめはついていたようだ。今ではそのぶんの愛情をアロウィンに向けているように見える。
 アロウィンもいくらかぎこちなくではあるが、生まれてはじめて会った父に好意を持ちはじめていた。
 午後のこの時間、王宮は静まりかえっている。
 誰もが自室にひきこもり、昼の眠りについているのだ。
 この昼寝にどうしてもなじめないアロウィンは、一人で本を読んだり、なにかしらのことをしてすごすことにしていた。
 アロウィンは散歩しようと思い立ち、ベランダを越えて中庭に降りた。
 幾何学模様のタイル張りの散歩道は、さすがに通る者もなく森閑としていた。
 時おり鮮やかな原色の鳥が目の前をかすめ飛んだり、よく肥えた猫がのんびりと木立ちの間を歩いているのが見られるだけ。そんな道を木もれ陽をまといつかせながら歩いていると、じきに木立ちが開けて小さな白い建物が姿を現す。
 レヴァイアの守護神ケルガイの神殿だった。アロウィンは王宮の中でここが一番気に入っていた。
 神殿の中にあるケルガイの石像が好きだった。
 片膝をつき、右手に剣、左手に盾を持っている少年像。かすかに眉根を寄せて前方を見据えている目はどこまでも鋭く、それでいてどこか悲しげに見える。
 石像の後ろの壁一面に描かれているのはケルガイのしもべ幻惑鳥だ。真紅のくちばしと純白の羽毛を持った美しい鳥で、西の砂漠を越えたメダリア山脈にだけ群れをなしているという。
 飽きることなく石像を眺めていたアロウィンの腕を、誰かがぐいと引っ張った。
 驚いたアロウィンは、とっさにその手を振りほどいた。
 アロウィンと同い年ほどの、小柄な少年がそこにいた。
 灰色の目の、きかん気そうな顔を癖のある赤毛が縁どっている。
 どこかで見たことがある。
 彼の顔をまじまじと見つめながらアロウィンは思った。
 どこでだったろう?
「あんたがアロウィンか」
「そうだけど。きみは?」
「まだ島なまりが消えていないな。おれはライラン、あんたのいとこさ。憶えておきな」
「ああ、そうしよう」
 アロウィンにはいとこが二人いる。王弟ハリスラムの二人の息子たちだ。
 どうりでライランを見たことがあると思ったはずだ。彼は兄のジュダインによく似ていた。
「きみの兄上とはシャデルの葬儀の時に会ったけど、きみとは初めてだね。どうして来なかったんだい」
「シャデルは海の底だ。いまさら葬式をしても始まらないだろう」
 ライランは腕組みをして言い捨てると、アロウィンをじろじろとねめまわした。
「あんたを迎えに行って、それきりシャデルは帰らなかった。彼はレヴァイアにはなくてはならない人だったんだ。あんた、その代わりになる自信があるのか」
「そんなこと、わからないさ」
 アロウィンはむっとして答えた。
「それでも、ぼくはぼくなりに、やれるだけのことをやってみるつもりなんだ。きみがなんと言おうとね」
「よろしい」
 ライランは鼻を鳴らした。
「それなら、一人でこんなところをうろつくなんて馬鹿なまねはやめるんだな。ここには、あんたが目ざわりな人間が山ほどいるんだぜ。おれの親父もジュダインもそうだし、王妃だってしかり」
 アロウィンはぞくりと寒気を覚えた。
 まったくその通りなのだ。
 アロウィンさえ来ることがなければ、〈王を継ぐ者〉は当然ライランの父ハリスラムのものだった。
 それに、王妃。
 自室にとじこもったきり、ことごとくアロウィンを避けているようだが、彼女からは冷ややかさを通り越した憎しみすら感じられる。まるでシャデルの命をうばったのはアロウィンだとでも言いたげに。
 アロウィンは弱気を見せまいと、まっすぐにライランを見返した。
「きみは、どうなんだい」
「おれか?」
 ライランは、いくらか表情を和らげて首を振った。
「おれはシャデルが好きだった。あんたを王にすることが彼の望みだったのなら、おれは喜んであんたに力をかそう」
「だけど、きみは」
「ジュダインはジュダイン。おれはおれだ」
 ライランは声を落とし、アロウィンの耳もとにささやいた。
「親父は小心者で問題はないが、いいか、くれぐれもジュダインには用心するんだぞ。あの人は、いつだって支配されるよりも支配することを望んでいるんだからな」
 ライランは、顔をしかめて言い足した。
「そして、それができる人でもある」

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