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「あんたはちっとも変わっていないなあ、イムラ」
そう言ってイムラを抱きしめたフフルはみごとな体格の大男で、アロウィンはイムラの細い身体が折れはしないかと真剣に心配をしたものだった。
そのフフルも鼻先に皺をよせておもむろにキアル族との講和を承知し、三人が旅支度を整えているやさき、砂漠からの斥候が帰って来た。ここを目指して五十人ほどの騎馬武者たちがやって来るというのだ。
彼らは敵ではないという証しに持っている武具をことごとくフフルに渡し、アロウィンとの面会を求めた。ハリスラムを新王と認めない者たちだった。
アロウィンがグララ族の村に向かっていると彼らに教えてくれたのはエルグだった。
長旅に疲れた彼らをアロウィンは丁重にねぎらい、これから起こるだろうレヴァイアの禍いと、メダリアに行くつもりであることを話した。彼らは自分たちも同行すると言い張ったが、アロウィンはうなずかなかった。このような旅は小人数の方が早いし、動きもとれる。
「連中は、ジュダインよりもあんたを選んだってわけだ」
ライランが言った。
「ぼくのためじゃなく、シャデルの意志を継ぐためにね」
「やけに皮肉っぽいな。あんたらしくもない」
「かもしれない」
アロウィンは苦笑した。
「理由はどうあれ、彼らはぼくのところへ来てくれた。嬉しいのよ、とてもね。ただ、ぼくとしてはライラン、シャデルの力を借りなくとも、彼らを引きつける人間になりたいんだ。今は無理でも、いつの日か、ね」
メダリアに行く最短距離はローハ砂漠の横断だったが、さすがにそれはやめにした。深い砂漠を迂回して、三人は馬を進めた。
高い山脈の連なりは、ずっと同じ位置にありつづけるような気がしたが、しだいに緑の草木が多くなってきて、砂漠地帯を抜けつつあることが実感できた。
馬は、いつしか山脈の麓にたどり着いていた。あたりは緑にあふれ、湿り気を帯びた空気が喉に快い。そして何より、ここにはやすらぎがあった。砂漠からの悪意は、ここまでとどいていないらしかった。
けもの道を、突き出す木の枝に用心しながら馬を進めていると、様々なもの音が耳に入ってくる。木々の葉ずれ、羽虫のうなり、野鳥の声。
「あれが幻惑鳥の鳴き声ですよ」
イムラが教えてくれた。
「どれ?」
「ほら、ガラスをひっかくような一番耳ざわりな声です。うまくいけば姿も見られるかもしれませんね」
アロウィンは王宮のケルガイの神殿に描かれた真紅と白の美しい鳥の絵を思い浮かべた。幻惑鳥のいるメダリアに来るなんて、あの時は考えもしなかったっけ。
「幻惑鳥が幻を見せるというのは本当なのかな」
「ええ、名前通りにね。自分の身を守るためにそうするんです。だから、危害を加えない限り、だいじょうぶですよ」
メダリア山脈はレヴァイアとロドロムの国境になっている。三人が向かっているのは山脈の間にある盆地の草原地帯だ。〈緑人〉はおそらくそこにいるだろうとイムラが判断したのだった。
その朝、三人は森の窪地に火を焚いて早い朝食をとった。
木々の枝にからみついている朝もやはしだいに晴れ上がり、空をあおぐとメダリアの険しい山頂が白く、くっきりと輪郭をきわだたせていた。
「何よりもありがたいのは」
昨日の残りの兎肉シチューをほおばりながらアロウィンは言った。
「〈緑人〉が、あんな高い所までいかなかったことだね。あそこまで登るとなると、とても自信がない」
「生身の人間でメダリアの山頂まで登ったって話はきかないな」
ライランが言った。
「山頂は空気が薄くてしょっちゅう豪雪にみまわれているんだ。そこを平気で越せるのは風の王ぐらいなものさ。彼はロドロムを出る時に、好んで山越えをした」
「伝説だろう、それは」
「伝説だって、たまに真実を語ることもあるさ。もっとも、おれたちが風の王の血をひいているとなると眉つばものだがね」
「それは本当のことですよ、ライラン」
イムラが口をはさんだ。
「へえ?」
「これは、あまり知られていないことですけどね」
イムラはちょっと間を置いてから語り出した。
「風の王にはルーファという一人息子がいました。彼はクラウトとして生まれながらクラウトの力を持っていませんでした」
アロウィンとライランは、目を見開いてイムラの話に聞き入った。
「彼にとって、ロドロムでの生活は辛いものでした。何事につけ、彼は他の仲間たちとは違うのですから。クラウトは精神で話すことができます。けれど彼が自分を表現できるのは言葉だけでした。クラウトの寿命は三百年ほどですが、彼はその五分の一も生きられないことを知っていました。それに、クラウトたちが彼によせる同情、これは彼にとって堪えられないものでした。
彼がロドロムを出たのは十五の時です。風の王は止めませんでした。それがルーファにとって、一番いいことだと思ったからです。ルーファはそれから長い間ウェストファーレンを放浪し続け、とうとう帰りつく場所を見つけたのでした。レヴァイアの〈王を継ぐ者〉であったファラ・シス・マダ。ルーファは彼女と結婚し、四十にみたない若さで亡くなるまでレヴァイアを離れませんでした」
イムラは目を閉じた。
「今から、そう、二百年も昔のことです」
アロウィンは首をかしげた。
「ずいぶん、くわしく知っているんだね、イムラ」
「ええ」
イムラはあいまいに微笑んだ。
「そろそろ出かけるとしましょう。今日中には〈緑人〉の所につけると思いますよ」
三人が荷物を持って立ち上がりかけた時、地面が大きく揺らいだ。
とっさにライランと身体をささえあったアロウィンは、激しい鳥のはばたきを聞き、どこに隠れていたのかと思えるほどのたくさんの白い鳥が、いっせいに木立ちの間から飛び立つのを見てとった。
嘴だけが燃えるように赤い、幻惑鳥は猛り狂った叫びを上げて空の高みへと舞い上がり、それを目で追う間もなく、アロウィンは頭に割れるような痛みを覚えてうずくまった。
めくるめく木の葉と白い羽の中で、アロウィンはさまざまなものを見た。
島の家で織物をしている懐かしい母の姿、天幕の側にたたずむシャデルとエルグ、ネイクロートの街並や、砂漠を一人行くジュダイン、折れた塔のような廃墟にうごめく砂人たち。見たこともない赤毛の男──。
幻惑鳥がつむぎだすとりとめもない幻の中で気が遠くなりながら、アロンはひとつのことを感じとっていた。
〈彼〉はいま、確かに目覚めたのだ。
そう言ってイムラを抱きしめたフフルはみごとな体格の大男で、アロウィンはイムラの細い身体が折れはしないかと真剣に心配をしたものだった。
そのフフルも鼻先に皺をよせておもむろにキアル族との講和を承知し、三人が旅支度を整えているやさき、砂漠からの斥候が帰って来た。ここを目指して五十人ほどの騎馬武者たちがやって来るというのだ。
彼らは敵ではないという証しに持っている武具をことごとくフフルに渡し、アロウィンとの面会を求めた。ハリスラムを新王と認めない者たちだった。
アロウィンがグララ族の村に向かっていると彼らに教えてくれたのはエルグだった。
長旅に疲れた彼らをアロウィンは丁重にねぎらい、これから起こるだろうレヴァイアの禍いと、メダリアに行くつもりであることを話した。彼らは自分たちも同行すると言い張ったが、アロウィンはうなずかなかった。このような旅は小人数の方が早いし、動きもとれる。
「連中は、ジュダインよりもあんたを選んだってわけだ」
ライランが言った。
「ぼくのためじゃなく、シャデルの意志を継ぐためにね」
「やけに皮肉っぽいな。あんたらしくもない」
「かもしれない」
アロウィンは苦笑した。
「理由はどうあれ、彼らはぼくのところへ来てくれた。嬉しいのよ、とてもね。ただ、ぼくとしてはライラン、シャデルの力を借りなくとも、彼らを引きつける人間になりたいんだ。今は無理でも、いつの日か、ね」
メダリアに行く最短距離はローハ砂漠の横断だったが、さすがにそれはやめにした。深い砂漠を迂回して、三人は馬を進めた。
高い山脈の連なりは、ずっと同じ位置にありつづけるような気がしたが、しだいに緑の草木が多くなってきて、砂漠地帯を抜けつつあることが実感できた。
馬は、いつしか山脈の麓にたどり着いていた。あたりは緑にあふれ、湿り気を帯びた空気が喉に快い。そして何より、ここにはやすらぎがあった。砂漠からの悪意は、ここまでとどいていないらしかった。
けもの道を、突き出す木の枝に用心しながら馬を進めていると、様々なもの音が耳に入ってくる。木々の葉ずれ、羽虫のうなり、野鳥の声。
「あれが幻惑鳥の鳴き声ですよ」
イムラが教えてくれた。
「どれ?」
「ほら、ガラスをひっかくような一番耳ざわりな声です。うまくいけば姿も見られるかもしれませんね」
アロウィンは王宮のケルガイの神殿に描かれた真紅と白の美しい鳥の絵を思い浮かべた。幻惑鳥のいるメダリアに来るなんて、あの時は考えもしなかったっけ。
「幻惑鳥が幻を見せるというのは本当なのかな」
「ええ、名前通りにね。自分の身を守るためにそうするんです。だから、危害を加えない限り、だいじょうぶですよ」
メダリア山脈はレヴァイアとロドロムの国境になっている。三人が向かっているのは山脈の間にある盆地の草原地帯だ。〈緑人〉はおそらくそこにいるだろうとイムラが判断したのだった。
その朝、三人は森の窪地に火を焚いて早い朝食をとった。
木々の枝にからみついている朝もやはしだいに晴れ上がり、空をあおぐとメダリアの険しい山頂が白く、くっきりと輪郭をきわだたせていた。
「何よりもありがたいのは」
昨日の残りの兎肉シチューをほおばりながらアロウィンは言った。
「〈緑人〉が、あんな高い所までいかなかったことだね。あそこまで登るとなると、とても自信がない」
「生身の人間でメダリアの山頂まで登ったって話はきかないな」
ライランが言った。
「山頂は空気が薄くてしょっちゅう豪雪にみまわれているんだ。そこを平気で越せるのは風の王ぐらいなものさ。彼はロドロムを出る時に、好んで山越えをした」
「伝説だろう、それは」
「伝説だって、たまに真実を語ることもあるさ。もっとも、おれたちが風の王の血をひいているとなると眉つばものだがね」
「それは本当のことですよ、ライラン」
イムラが口をはさんだ。
「へえ?」
「これは、あまり知られていないことですけどね」
イムラはちょっと間を置いてから語り出した。
「風の王にはルーファという一人息子がいました。彼はクラウトとして生まれながらクラウトの力を持っていませんでした」
アロウィンとライランは、目を見開いてイムラの話に聞き入った。
「彼にとって、ロドロムでの生活は辛いものでした。何事につけ、彼は他の仲間たちとは違うのですから。クラウトは精神で話すことができます。けれど彼が自分を表現できるのは言葉だけでした。クラウトの寿命は三百年ほどですが、彼はその五分の一も生きられないことを知っていました。それに、クラウトたちが彼によせる同情、これは彼にとって堪えられないものでした。
彼がロドロムを出たのは十五の時です。風の王は止めませんでした。それがルーファにとって、一番いいことだと思ったからです。ルーファはそれから長い間ウェストファーレンを放浪し続け、とうとう帰りつく場所を見つけたのでした。レヴァイアの〈王を継ぐ者〉であったファラ・シス・マダ。ルーファは彼女と結婚し、四十にみたない若さで亡くなるまでレヴァイアを離れませんでした」
イムラは目を閉じた。
「今から、そう、二百年も昔のことです」
アロウィンは首をかしげた。
「ずいぶん、くわしく知っているんだね、イムラ」
「ええ」
イムラはあいまいに微笑んだ。
「そろそろ出かけるとしましょう。今日中には〈緑人〉の所につけると思いますよ」
三人が荷物を持って立ち上がりかけた時、地面が大きく揺らいだ。
とっさにライランと身体をささえあったアロウィンは、激しい鳥のはばたきを聞き、どこに隠れていたのかと思えるほどのたくさんの白い鳥が、いっせいに木立ちの間から飛び立つのを見てとった。
嘴だけが燃えるように赤い、幻惑鳥は猛り狂った叫びを上げて空の高みへと舞い上がり、それを目で追う間もなく、アロウィンは頭に割れるような痛みを覚えてうずくまった。
めくるめく木の葉と白い羽の中で、アロウィンはさまざまなものを見た。
島の家で織物をしている懐かしい母の姿、天幕の側にたたずむシャデルとエルグ、ネイクロートの街並や、砂漠を一人行くジュダイン、折れた塔のような廃墟にうごめく砂人たち。見たこともない赤毛の男──。
幻惑鳥がつむぎだすとりとめもない幻の中で気が遠くなりながら、アロンはひとつのことを感じとっていた。
〈彼〉はいま、確かに目覚めたのだ。
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