サルバトの遺産

ginsui

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 うっすらと目を開けたアロウィンは、自分をのぞきこんでいる人影に気づいた。
 緑色の髪に白いところのない緑色の目。
 エルグ?
 ではないようだった。顔立ちがちょっと違う。それに、エルグはもっと表情が豊かだ。
「気がついたようです。宰相イムラ」
 その〈緑人〉は後ろを振り返って言った。
「宰相はやめて下さい、ワディ。いまではただのイムラですよ」
 アロウィンはゆっくりと身を起こした。
 すぐ横にライランが眠っていた。何か悪い夢でも見ているように顔をしかめて。
「ひどい目にあいましたね、アロウィン」
 イムラが側に寄ってきて優しく言った。
「ここは?」
「〈緑人〉の村です。わたしたちが倒れていたのは、ここからさほど離れていない場所だったそうです。彼らが運んでくれました」
「ぼくたちは、目的地についたんだね」
 アロウィンはぞくりと身をふるわせた。
「でも、もう遅いような気がするよ、イムラ。〈彼〉は目覚めた。すごい力だった。彼はすべてを憎んでいる。この世に生あるものすべて。どうしてあんなに憎むことができるのだろう? 破壊しようとしている、呑み込もうとしている。ただ、憎しみのためにだけ」
「落ち着きなさい、アロウィン」
 イムラは力強くアロンの両肩に手を置いた。
「ですからわれわれは、それをやめさせなければならないのですよ」
「どうやって? できはしないよ」
「あなたらしくありませんね、アロウィン。やってみなければわからないでしょう」
 ワディと呼ばれた〈緑人〉が、イムラにとろりとした液体が入った椀を差し出した。
「これを飲んで」
 イムラは言った。
「もう少し眠りなさい、アロウィン。いくらかよくなりますから」
 アロウィンは素直に言われた通りにし、ゆるやかな温かさが身体中に広がるのを感じながら再び横たわった。
「イムラ。あなたはやっぱりロドロムの宰相イムラだったんだね」
「いつごろ気づきました?」
「ずいぶん前からのような気がする。あなたは、ひどく勘がよかつたもの。それに、あの時、幻惑鳥が飛び立つ前にはっきりわかった。あなたのルーファの話、まるで彼を知っているようだった」
「わたしたちは、いっしょに育ったのですよ」
 イムラはそっと笑みをうかべた。
「シャデルは彼に似ていました。声や、ちょっとしたしぐさの感じが」
 イムラの声を聞きながら、アロウィンは深い眠りに落ちていた。

 アロウィンとライランがどうにか動けるようになったのはその夕暮れだった。
 二人はイムラに連れられて天幕を出た。
 〈緑人〉の村は起伏の少ない広々とした草原にあり、メダリアの青白い山並を背景にたくさんの羊が群れ集っていた。彼らの天幕は砂漠の民のものとはちょっと違う。アロウィンたちが休んでいた小さな四角い天幕もあったが、あとはたいてい長方形の大きなもので、集団生活に適するようになっている。
 〈緑人〉には家族という単位がなく、すべて世代ごとのグループになって生活していることをアロウィンが知ったのはその後のことだった。
 三人が着いたのは村の中ほどにある広場だった。そこには柱を立て、屋根をかぶせただけの簡単な集会所があり、主だった〈緑人〉たちがすでに円陣を組んで座っていた。
 着ている寛衣の違いこそあれ、アロウィンには彼らの誰もが同じような顔に見えた。若いのか、年をとっているのか見当もつかない。表情にとぼしく、動作にも個性というものがまるで感じられなかった。
 三人は円陣の空いている所に腰を下ろした。アロウィンがイムラを見ると、彼はうながすようにうなずいた。
「それでは」
 アロウィンは彼らを一通り見まわして口を開いた。
「あなたがたは、ぼくたちがここに来た理由をご存じのはずです。話してください。彼について、知っていること全部」
「わたしたちも、〈彼〉の存在を知ったのはごく最近のことなのです」
 アロウィンの真向かいに座っていた〈緑人〉が言った。
「わたしたちは、彼の夢をまず感じました。夢というのは目覚める間際に見るものですから。夢は彼の過去を物語りました」
「〈彼〉が生まれたのはほぼ一千年前、サルバトの科学者たちが変形人間を造りだすことに、ほとんど芸術に近い情熱をかたむけていた時代のことです」
「〈彼〉はサルバトの貧民窟で生まれました。生まれてからというもの、彼にとって飢えはごく日常のものとしてありました」
「一家は明日も生きられないありさまでした。〈彼〉の両親はついに決心しました。子供たちの一人を科学者に売ろうと。白羽の矢が立ったのが〈彼〉でした」
「そして〈彼〉は、自分の意志にかかわりなく変形人間になる手術をほどこされました。〈彼〉は変形人間になど、なりたくなかったのです。いつまでも人間のままでいたかったのでした」
「手術が終わった後も〈彼〉は麻酔から目覚めませんでした。科学者たちは手術が失敗したものとうち捨てておきましたが、それから間もなくクラウトたちが反乱を起こし、都も廃都となりました」
「他の変形人間たちが退化していった後も〈彼〉は目覚めませんでした。自分を変形人間にしたものを憎みつづけたまま眠りつづけました。大量に投与された薬は、〈彼〉の肉体どころか精神も変化させ、恐ろしい憎しみの〈力〉が蓄積されました」
「いま〈彼〉は目覚め、狂ったように復讐をはじめようとしています。〈彼〉は自分以外の人間すべてを、人の形をしたものすべてを憎んでいるのです」
 〈緑人〉たちはつぎつぎに言葉を継いでいき、しまいには誰が話しているのかわからなくなってしまった。
 そういえば、彼らはほとんど口を開いていない。
 アロウィンはようやく彼らが言葉を使わず、精神の中で自分たちに話しかけていることに気がついた。それとともに、〈緑人〉たちがのぞきこんだという〈彼〉の夢もはっきりと心に浮かんできた。
 暗く悲惨な子供時代、両親に裏切られた時の絶望、人間でないものになるという怒りと悲しみ。
 アロンもまた、やるせないものを感じていた。自分が〈彼〉であったら、同じことを考えたかもしれない。
 しかし、
「ぼくたちは、〈彼〉の思いのままにさせるわけにはいかない」
 アロウィンはきっぱりと言った。
「手だてはないのですか? ウェストファーレンを〈彼〉から守る手だては」
「わたしたちは、その答えを知りません」
 〈緑人〉たちが答えた。
「〈彼〉の〈力〉はかつてのクラウト以上です。現に、目覚めた〈彼〉は今、レヴァイアの王宮を思いのままに操っているのです」
「王宮がどうなったって?」
 ぎくりとしたようにライランが尋ねた。
「〈彼〉は、人間の心を自在に支配することができます。今のレヴァイア王宮は、〈彼〉の手の中にあるのも同然です」
 アロウィンとライランは目を見開いた。
「剣だけで〈彼〉に勝つことはできません。彼と戦うことができるのは、〈力〉のある者だけでしょう。風の王なら、あるいは何とかすることができるかもしれませんが」
 イムラは肩をすくめた。
「あいにくと、わたしは彼がどこにいるのか知りません。音信普通になってから、もうずいぶんたちますよ」
「じゃあ、ぼくたちはどうすればいい?」
「風の王がいなくとも、〈力〉を持った者は何人かいますよ、アロウィン。力を合わせれば、〈彼〉と闘うことができるかもしれません」
「でも、ぼくたちが知っているクラウトはあなたしかいない。これからクラウトを捜すなんて、時間がなさすぎる」
 そう言いながら、アロンは端然と座っている〈緑人〉たちを眺めずにはいられなかった。
 彼らもまた、〈力〉を持っている。しかし、彼らの心が何を語っているかアロウィンにははっきりとわかった。
〈緑人〉は〈彼〉にかかわるつもりはないのだ。今のところは、まだ安全だから。やがて〈彼〉の力がウェストファーレンをすべてを滅ぼそうとする時、〈緑人〉たちはウェストファーレンを捨てて別の大陸をめざすかもしれなかった。
 暗いもの思いに沈み込んだアロウィンにイムラが言った。
「クラウトの力を持ったものは、ごく身近にいますよ、アロン」
「え?」
「まだ気づいていないようですね」
 イムラは微笑んだ。
「あなたやライランには〈力〉が目覚めています。そうでなければ、どうして〈緑人〉の心を読むことができたんです?」
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